つくばーど基地は山腹に所在するため、たまたまですが大気の逆転層に入り込んでいて、坂を下りたら外気温は5℃くらい下がります。隣町あたりでフロントグラスがバリバリに凍っても、基地の敷地内ではそうならないのですが。
当然開放系の上方向なので、雪が降ってくると冷蔵庫並みに冷えます。はてさて7日の朝の下界はどうなっていることやら。ここが冷蔵庫ならさしずめ冷凍庫か。
昨年、うちが余計な仕事を頼んでしまったばかりにウルトラ大変な多忙人にされてしまった島雄司監督でしたが、熊本の耐久レースで入賞、TDA最終戦では優勝を果たすなど、やることはきっちりやっております。このTDAをインターネットに載せたことも話題。YouTubeで活躍中のトイマンチーズがTDAに参戦し、面白おかしく全容を紹介しています。とりあえず「レンタカージムニーでレースに出たらそこそこ走れたわ!」。これ以外にも10本ほど配信されています。
表題の動画では最終戦の模様を観ることができますが、42分あたりで
という場面が出てきます。
それはさておき、日産フィガロのような骨董品を扱うのは、ウエストウインでも例が無かったと思われます。骨董品クラスで言えば、年式を経た四駆は常連ながら、そういうのって時には力ワザでやっつけてしまえる(不穏当発言)。しかしフィガロの場合、顧客が顧客なだけにかーなーりデリケートに手を入れてくれたようです。そして懲りない島さん、フィガロを超えた骨董品ぶりの1台に手を入れていくのだそうで、ことしも話題に事欠かないでしょう。
フィガロのエンジンフードはフロント側に起こすタイプで、こういうのはそれこそ親父の若い頃の車でしか見たことが無いなあと思いながら、コーションプレートを点検したわけですよ。
霙のフィガロは、生産20000台のうち、16000台をこなして、それよりあとのラインアウトだということを確認しました。
フィガロって、計画8000台で予告したら希望殺到となり、最終的に20000台生産が決定して、1991年2月の第1ロット出荷前に一1回目、その年の8月まで3回に分けた抽選で出荷されているので、それを考えると霙のクルマは92年に出荷された個体じゃないのか? という、身の毛がよだち血も凍る疑念・・・
これはたまらん。と車検証を確認しましたよ(してなかったんだよ)
初年度登録・・・平成3年10月。 ←奇しくもぷらすBLUEと同じ
人騒がせな疑念なんか浮かべるんじゃないよっ
喪中なもので年賀状も書かず注連飾りも装わず、初詣も辞退し、年始に来る客も無く・・・はなく、それなのに出勤していく娘らはえらいなあと思いつつ、年老いた夫婦は雑煮を食って寝正月です。
でも渋滞なんか厭だし人混みも願い下げだしそのくせ二日間で炬燵籠りには飽きているという困った状況。しょーがないねえ。
一昨年の大晦日に家内の実母が無くなり、昨年3月には僕の親父が逝去しました。親父の喪はもう少し続きますが、親父だからもういいや、で、本年は年賀の戯言を書かせていただきます。
その昨年、半年にわたってTD61WのV6エンジンをオーバーホールに費やし、下半期はほとんどこれに乗ることがありませんでした。エンジンを預ける際、やれることはすべてやってほしいと依頼し、まさか半年もかかるとは思いもよらず、その後はもう「乗り掛かった舟」の心境で待つこととなりました。英語圏では「船は海に出たら進むか沈むかだぜ」と云うらしいですが、勢いで敢行したオーバーホールは部品ストックの枯渇(メーカーが保管コストを削減するため部品を放出してしまった)に阻まれ、待てど暮らせど車が戻ってこない日々が続くのでした。
この故事、『隋書・独孤皇后伝』によれば「大事すでに然り。騎獣の勢い、必ず下ることを得ず」とのお言葉で、「ここ一番のときですからねー。虎の背なんかに乗って勢いよく走り出ちゃったんだから、振り落とされたら食われて命はありませんよ。そんなわけでもう下りることはできないんで、努力して下さいねっ」とのこと。努力してねと諭されるだけで振り落とされずに済むなら世話ねーよ、です。
かくしてBLUEらすかるは、車検切れ直前に2500ccの6気筒に火が入り、無事に息を吹き返しました。なんだかどこかのヒーローが絶体絶命の淵からパワーアップして蘇るあれみたいです。オーバーホールしただけなので、パワーアップなんかしてませんけど。とはいえ、おそらく現存する同型エスクードのいずれの個体よりも、エンジンと、新調した足回りだけは優位に立っています。フレームと車体の方は、ディーラーに見捨てられたくらいに満身創痍ですが。
さてこの個体、現在820000キロ。騎虎の勢いで走り出したら、もう力尽きるまで往くしかありません。何処へかって、オドメータを一周させることですよねやっぱり。