ホントに明日、降るの??? 暖かいし晴れてるし気配もないよ雪の。 この感じだと、夕焼けも綺麗そうだわ。
いーい天気なのだけど・・・
蘇っちゃってたよ
もっちもち。
ひょっとして遠隔操作のおそれは?
昨年末、新帝国WANIから津久井浜柑橘機雷が着弾した折、もう見え見えなトラップが仕込まれていたのですが、開けてみるとその昔APIОで売っていたゴールドメッキ風Sマークと、ポジションランプ連動型自光式Sマークが出てきました。
もう貴重品というかオーパーツです。尾上さんとこでもこんなの作って(メーカーオプションにもあったけど)たんだねえ。
さて、これをうっかりBLUEらすかるに取り付けたりすると、新帝国の脳波コントロールを受けてしまったりするのだろうか?
テイスト好きずき
つくばーど®の独りリポートで既に出してしまっていますが、「外房漂流」での最後の立ち寄り地、カフェ923は、商業写真家、國房魁(くにふさ・はじめ)氏が福岡県から上京して70から90年代くらいの東京住まいで活躍したあと、今のいすみ市に購入した土地に建てたご自宅で、娘さんがお店として利用しています。調度品もすべて國房氏が使っていたもので「統一感がまるでないんです」と。氏の晩年はここを拠点に、千葉県の観光広告などを手がけていました。
國房氏が逝去されて10年ちょっとが経ち、ミノルタカメラのCМからは半世紀も経っています。つくばーど®のリポートにはそこまで書きませんでしたが、あの有名なジーンズ脱ぎは篠山紀信さんの作だったと記憶していました。ファンの方々やお身内のお話だと、実際には國房氏が撮っていたらしい。業界的にありそうな話だけれども、お店のアルバムには収録されていない。今更そのあたりのことを詮索してもせんないのでほっときます。
「千葉に出るには今はそう遠くないけど、なぜここだったんですか」と聞いてみたら「ここの番地の末尾が92の3だったから。『ここはぼくんちだよね』って」と奥方が楽しそうに話してくれました。氏は知人友人から「くにさん」と呼ばれていたそうです。
お店は開業からちょうど10年。当時僕は東北赴任だったので、訪ねたかったずっとの念願がかないました。
だから、何故に今?!
七歳にして没した白い猫が、何年かしたのちに蘇ったら猫どころか赤い林檎の野獣などと呼ばれてしまって、しかし不屈の意志でロックスターになって渡米すべく修行の道を歩んでいるそうです。なぜ渡米かと言えば、「みんなを喜ばせて力を蓄え、HOLLYWOODの丘に行けば元の姿にもどれるだろう」という助言を受けてのこと。彼?彼女?は、元の飼い主が手掛けていたドラムの技術を取得し、白猫に戻るための冒険の途上にあるとか。
これが何年か前には海外のギタリストコミュニティーサイトにおいて「世界で最も過小評価されているドラマーTOP25」の1位にまで昇り詰めているそうです。誕生から本日で二十歳になるらしいのですが、故郷の青森県黒石市で、白猫に戻った姿を見かけた事例はまだないようです。






