たまーにカルディとかで見かける、可愛いイラストの瓶入りマヨネーズ。
過去にはセサミストリートやパディントンベアなどを買った事も。
毎年12月になると干支のイラストの瓶が販売されるんだけど。
年末に近くのスーパーとか探したけど見当たらず・・・
ネットで購入~
で。3個もどうすんのよアタシ・・・
(いや、使うけどさ)
瓶に釣られて買ったはいいが・・・
you aer the lonely more than the lonliness
もはや古典なんだと思い知らされた「超人ロック classic」。第一話にあたる「ニンバスと負の世界」が執筆されたのが1967年ですから、サイボーグ009と3年程度しか違わない。70年代になってから、まだ月刊化前のОUTが取り上げその存在を知った頃には、ロックそのものは軽印刷のポケット版(第一話、二話の二冊構成)と、新書版の復刻もの四冊を買うことができました。それらの最も古い四話とプラスアルファの構成で、こんなものが出てくる時代となりました。
第二話「この宇宙に愛を」、第三話の「ジュナンの子」までは同人レベルの画力でしかなく、四話目の「コズミックゲーム」から別人のような画風となっていくのですが、これをSFものとして読み解くと、たぶん009よりも高度なフォーマットを築き上げているのです。
なんでまたいまどき、この時代ものに絞って出版するのか(昨年12月時点)と思ったら、少年誌連載開始から40年めだったと。もう少年キングの連載第一回目の「炎の虎」だって古典の域です。しかもまだメディアを変えて新刊が出てくるんだから、若い人たちに原点を読んでもらいたいという意図はわかるような気がします。ちなみに2001年に描かれた「オメガ」は「この宇宙に愛を」(自動的にニンバスと負の世界も内包)、2002年の「久遠の瞳」は「ジュナンの子」のそれぞれリメイクなので、このclassic版と読み比べると、当時すでに前衛的なセンス・オブ・ワンダーだったことと、リメイクにおいて当然、10歩も20歩も進化させていることがわかるでしょう。
「風花」の正しくない鑑賞
連休中、神経痛にのたうち回りながら気を紛らわそうとディスクを磨き直して、現在所有のパソコンで再生していました。ワゴンセールで買ってきた、途中で読み込みできなくなっていた「風花」のソフトです。
この映画もトロントの映画祭で発表されてから20年も経ってしまいました。批評は引用したサイトでレビューされている、まあまさにそんな感じの出来栄えです。
怪我人が気を紛らわすために観るような内容じゃありませんから、例によってエスクード馬鹿な鑑賞。ツールとして出てくるTD01Wのシーンしか興味ないぜと送っていくのですが、それでも今まで気づかなかったところが出てきたということは、これまでは映画の物語に傾倒していたのだなとあらためて感じました。
そのひとつが、中盤でエスクードに乗り込む小泉今日子さんのカット。
相米慎二監督作品と言ったら一つのシーンを長回しする撮影が特徴ですが必ずしもその限りではなく、カット割りも多用されています。このあとタバコを吸うために「車を止めて」と運転する浅野忠信さんに告げるシーンがあるのですが、何かおかしいぜとお気づきになりますでしょうか? 映画だからこそなんですが、これは運転している人間が振り向かなければ見ることのできないアングル。ほら、おかしいでしょ?
これを「現場」的な視点で考えると、撮影では運転席にカメラがあって、しかしエスクードは走っているという「おかしいでしょ?」とは別の謎が浮かび上がってきます。それを突っ込んだら物語が成立しない無粋なお話になりますからスルーしていいのですけど、トレーラーで引っ張っての撮影はスタンダードな手法です。でも、だからこそ、このあと後席のドアから降りてくるキョンキョンに、おいおいと思ってしまう。
まったく、助監督や演出は何をやってんのよと苦笑いしていたら、牽引されず自走しているシーンで「エスクードあるある」のような場面もあります。かんとくーっ、と言おうとも相米さんもう故人なんで、粗拾いよりもエスクードをこれほど沢山出してくれたことに、むしろ感謝するのがエスクード馬鹿な視点の、たぶん正しくない鑑賞です。
ま、いいか。
医者の判断が湿布薬と痛み止めの処方だけというのは、傍から見れば「なんだ軽傷じゃん」ともとられてしまうのですが、本人は極めて厳しい状態です。立って、歩いている方がまだ楽。
しかしこの歩いていられる様子がまた「だから大丈夫だよね」の誤解を招くのです。そんなわけで連れてこられた病院の駐車場には、あとから霰・霙と僕の妹夫婦が来ている。
あっ、しまった。我が家の新年会を中止宣言していなかった!(というか、この時点でそれを察しろよ)
とは思ったものの、お店は予約しちゃってたし歩くことはできるしで、すぐには帰宅できずに助手席に押し込まれながら新年会に連れていかれたのがこの顛末
それみたことか って言われそうだなー
ぎっくり背中というよりは、危うく帰ってきた椎間板ヘルニアに陥るところでした。
今回はまだ椎間板はやられていないようなので、安堵っちゃー安堵なんですけど、それだから痛み止めと湿布薬しか処方されないので、爆弾抱えたままってやつには変わりないよねえ。
帰ってきた「ぎっくり背中」
病人対怪我人の上にも月は昇る
病気療養中の和邇さんから、時折「それ笑いを盗ろうってのか?」という闘病写真が送られてくるごとに、こちらも腰が痛いの背中が痛いのの近況返信をしているぼちぼちジジイ交流の正月も松が取れます。
和邇さんの写真をなぜ使わないのかといえば、まあ人さまにはお見せできないもの。という内容なので。
そんなこんなでお互いに「そろそろ満月だし、怪しい力をもらって元気になりますかね」とか激励し合っているのって、ほんとにジジイどもだよなあ。
世の中じゃ毎年最初の満月をウルフ・ムーンなんてかっこよく呼んでいるというのに、方や五分粥、此方泣き言の応酬です。しかしなんでウルフなんだ? と紐解いてみたら、要するに真冬で食い物がないんだよーっという風に聞こえる狼の嘆きの遠吠えが由来らしい。
なんでー、俺らとたいしてかわんねーじゃんよー
などと罰当たりなことをぼやいております。




