ポケットモンスターの「赤」「緑」が世に出たのが1996年2月27日。霰は生まれてましたが霙はまだ不在(ふざいって言うのか?)。しかし今や「剣」「盾」にはまりまくる二十代です。
いやそれより、いまさら気づいたことというのは、96年って、ポケモンの歴史はBLUEらすかると同い年なのか!ってところでした。
一方のBLUEらすかることエスクードTD61Wは、この年の10月期マイナーチェンジによって登場しているので、なんとピカチュウよりも年下(笑)です。
だからどうした? な話ですけどね。
柘植行人一派が決起し東京を舞台にテロ活動を敢行したのが、2002年2月26日のこと。警視庁警備部特殊車両二課(ほぼОB)の超法規的活動によってこれは阻止されたものの、2013年に再びシンパによるテロ行為が勃発し、またも特車二課の手で鎮圧されました(されたんだってば)
夜な夜な、あるいは明け方、都心を走っていても、今は武装蜂起の様子はうかがい知れません。
ふと思い出したのが、柘植の部隊が18年前に都内を爆撃した際、攻撃ヘリが有楽町センタービルを銃撃していたような気がするのですが、これが同ビルなのかよくわかりません。同ビルであるならなぜ攻撃対象となったのか。
有楽町センタービルの位置にはその昔、朝日新聞東京本社が所在し、二・二十六事件で襲撃を受けていますから、そのオマージュなのかもしれませんが、同東京本社は1980年から築地で操業しており、2002年に撃たれちゃうのはどうなんだかなーと。まあそれこそがクーデターではなくテロなのだよと、たたみかけるのも容易ではあります。しかしこのビルの壁面にアンテナがある(現物には無いと思う)ので、ほんとに有楽町だったかどうかはちょっと自信がないのですが。
インドのマルチスズキによるS.PRESSОは、軽自動車よりちょっと大きいサイズで1000ccのガソリンエンジン。ふと高度経済成長期の親世代が乗っていた車たちのいくつかを思い出させる一方、インド発のビークルデザインなどの垢ぬけ方は、当時の日本以上に洗練されていると感じます。そこは20世紀末を駆け上ってきた日本のクルマ作りが下地になっているのだから、半世紀の進歩を一緒にはできませんが、まあ極端なことを言ったらインドは核を持ってるし(関係ないか)
ヨーロッパを意識し続けての日本のSUVがいろいろ訳の分からない迷走の末に、やっぱりステーションワゴンには戻りたくないという苦悩を抱えてクロスオーバーとかやっているうちに、アジアのあちこちから追いつかれてる。ちょっと変なグリルになっちゃったけどまだバランスの取れているビターラ・ブレッツァやS.PRESSОにそれを突き付けられている気がします。
とか生意気なことを言っている僕も、旧世代感覚なんだと思い知らされるのが、2代目ハスラーにも持ち込まれているセンターコンソールへの機能集中と、そのデザイン。やー生理的にこんなのいやなんです。だけど、そう思っている僕の方がもう遊び心の欠落で、古い感性なんでしょう。輸出先のアジアディビジョンに日本が含まれているのかまでは知らないんですが、ずっと以前からあったように街に溶け込んでしまいそうです。
比べて、外野の予想とはいえエスクードの次のモデルのこれは・・・ひどい。ざっくり言えば、初代から二代目に移行した時ほどのインパクトもないのに、ひどいと言えちゃうところが哀しい。
でも次があるのねーってところは少し安心です。今度出てくるらしいハイブリッドのやつが最終型ではないと。まーこっちのほうがまともな気がしますが。
まさかまさか、伝説の「パジェロエボリューション」の実車を見られるとは…
などと、あの三菱党な「いわさきさん」が嬉々としてツイートしているので、なんだろう思ったらどうも「激走戦隊カーレンジャー」の動画配信でクルマジックパワーに触ったらしく、珍しく車雑誌(ムック)を買ってのことのようでした。パジェロエボリューションといえば、かつてウエストウインの後藤誠司君がダートラデビューしたマシンです。
そのパジェロエボから、後藤君がエスクードにスイッチするきっかけとなったレースと言えば、3500ccのハイパワーを振り回しながら、1600ccのエスクードに翻弄され大敗を喫したことが、むしろESCLEVやつくばーど的伝説(ごめんよ後藤君、毎度引き合いに出しちゃって)。いやいや、決して後藤君が乗りこなせていなかったのではありません。弁慶の前に牛若丸が立ちふさがったような痛恨事だったのです。
それにしても、三菱を多角的に愛してやまないいわさきさんの微笑ましいこと。と、ふと気が付いたのですが、suuuさんがいつものエスクードノマドでなく、あの77年式ミニカでつくばーどのイベントに来てくれるような仕掛けをやって、いわさきさんを呼んだらどんな反応を示すか。なんか興味がわくなあ。などと、両名になんの断りもなく思いつくだけ思いついているという不届き者な僕でした。でも密かに、瓢箪から駒でも出ないかなあと・・・
2月22日、SDF‐1マクロスが進宙してから早くも11年が過ぎました(過ぎたんだよ)。この日、第一次星間大戦も勃発しているのですが、その後戦乱は一旦終息し、2012年9月には二番艦メガロード01が進宙。しかし宇宙移民が目的だったメガロード01は4年前に銀河系中心域で消息を絶っています。
80年代に描かれた未来はこうしてどんどん過去に埋もれています。
ところが、このマクロスの防空隊に所属していたエースパイロットのマクシミリアン・ジーナスに視点を移すと、彼と彼の妻であるミリア・ファリーナ・ジーナスの家庭はまだ、現代から未来へと橋渡しを続けています。二人の最初の子供であるコミリア・マリア は2011年3月の誕生。この娘を長女として次女ミラクルが2017年誕生、三女ミューズと四女 テレーズの双子は再来年(2022年)、五女 エミリアが2024年、六女ミランダが2026年に生まれてきます。
さらに初孫のミラージュをはさんで2031年2月に、マクロス7に登場する七女ミレーヌが誕生する予定で、まあかーちゃんがゼントラーディの血筋とはいえマックスもお盛んだねえと思ってしまうわけです。
主人公が三角関係やってる間に、彼らの家族こそが異星とのファーストコンタクトを成功に導いていたことを、今になって気づかされました。