約4年ほど、ほったらかされて市(役所)の公用車専用駐車場に使われてた病院跡。
やっと解体工事が始まりました。
病院を移転して、跡地に市役所を建てて、市役所の跡は公園にするそうな。
新しい病院建てたところが元は公園だったから、三つの施設(?)をぐるっと場所替えするワケね。
菅原道真が太宰府外帥に左遷されたのは昌泰4年/延喜元年(901年)2月21日のこと。その後わずか2年で急逝してしまうのですが、この短い年月に、道真の配下か信奉者たちは忠義を尽くし、一夜で都から追ってくる「飛梅」のもととなるような梅の木の植栽を施したとみられます。のっけからこんな書き方をしたらロマンも減ったくれもないんですが、この後祟り神と化し都の清涼殿に雷を落としに現れる道真自身より、ずっと想像力をかき立てられます。
東風吹かば にほひをこせよ 梅花 主なしとて 春を忘るな
都を追われる際に道真が詠んだ歌はあまりにも有名ですが、ロマン抜きで考えたら梅の香りを持っていく術がない。いやそれほどに庭の梅を愛でていたならば、密かに株を分けてでも太宰府に持ち出すか、同じ梅を調達しようかと、あれこれ思案したであろうそれこそがロマンです。
ついでに言うなら、道真のこの歌が世に出るのは寛弘2から3年(1005~6年)ごろに編纂された『拾遺和歌集』巻第十六 雑春。さらに
東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ
と、わざわざ文学的にアレンジを施したバージョンが治承4年(1180年)頃の編纂とされる『宝物集』巻第二に収録されます。
清涼殿落雷事件(930年)以降、道真の神格化が行われ、怨霊の権化から解放されてこそ、歌の持つはかない魅力が民衆の心にとどまることになった。こういう流転の影に、誰一人何も手を下していないはずはないでしょう。
こうなると、道真を左遷に追いやった派閥の中核とされる藤原時平の、後世に伝わる悪人ぶりにも判官贔屓的に道真派の何らかが関与しているようにさえ思えます。ここは千年ちょっとの怨讐を乗り越えて、時平の良いところも見出してあげたい気がします。
TA52Wからデフを外す川添哲朗君の様子。5リンクの締め上げはそのままに、TA51Wから足回りもデフも移植しようという作戦なのですが、
「デフ自体の容量は52の方が大型化されているし、そもそもマウント自体がかなり設計変更されていて、なかなか勉強になる厄介さです」
という島雄司監督。
TA51Wは少なくとも向こう2年、休眠となるそうです。後藤誠司君はおそらくJB43へのスイッチを予定しているようですが、すぐに走り出せるわけではないでしょう。しかしウエストウインと言えば「ダブルエスクード」(そんなチームに誰がした? ←おい)。あの黄緑色のレジントップで、18歳の梅津知浩君が走り出すわけですが、排気系横出しだとか早くもやんちゃなモデファイが進んでいるそうです。開幕戦は3月15日。彼らの新しい10年が始まります。
新帝国WANIの挑発に乗ってか、霰と霙は小田原の南を目指して進撃するそうです。
・・・小田原の、南? 東じゃなくて???
「新帝国がワニで来るなら、我々はメンダコとシーラカンスで邀撃するのです」
「あと、ささらがたとういろバーも買い付けてくるぜ」
まてまてまてっ、行き先2カ所かよ!
近隣にお住まいの皆様、どうぞお気をつけ下さい。
しかしさすがは沼津。奴らを警戒するまでもなく、目当てにしていた喫茶店などはことごとく定休日のようです。明日の午前中いっぱい、足止めを食らってしまったぜ。
そればかりかおそるべし沼津。深海魚水族館はやっていたようですが、肝心のメンだこの展示は先週一杯で終了していたらしく、目的を果たせませんでしたとのことです。
最近では「跳んで埼玉」がコアなファンを増殖させているそうですが、人の棲息圏ではない扱いの群馬やら茨城という凄まじい扱いに、茨城在住の土着民はため息つくばかり。しかしですよ、その群馬では「頭文字D」なんて映画が(撮影は新潟だとか?ですが)作られているし、茨城では「跳んで~」など蹴散らせる(かもしれない)「下妻物語」が描かれ、2004年に映画化もされていましたよ。もっとも原作が描かれたのは「跳んで~」の方が遥か昔ですが。
恥ずかしいほどの、時々ありえないローカル色を逆手に取った「下妻~」は、隣県他県を蔑む「跳んで~」とは異なり、能動的に東京を肯定して主人公を代官山へ通わせます。しかし物語は悲しいほどに茨城のとかいなかで面白おかしく展開するのです。東京が埼玉とバトルを繰り広げているうちに、イバラキ県南ではもっともっとローカルでピュアでえげつない戦いが勃発するのです。というわけで、本日久しぶりにWOWOWシネマで放送!