馴染みのワインバーが、コロナ対応でテイクアウトしてるので 新月サンに頼んで買ってきてもらいました。 オードブルとお任せのワイン1本(フルボトル) これで4500円はお得だと思う♪ ああ、早くお店にお伺いしたいなー・・・ それにはまず、姫ちゃんずがもう少し育たんと(笑)
週末の乾杯。
過去の栄光って言っちゃったら虚しいのだが
BLUEらすかる・TD61Wは2020年の「いま」ですが、これが登場する少し前まで、つまり2005年の「当時」、偉業(自分で言うかよ)の途上にあったのはTA11W・とるねーどらすかるでした。三代目エスクードがデビューする中、まだ巷は初代モデルの時代も続いていて、使い勝手からノマド系や5ドアと呼ばれる後期型が多くを占めていました。二代目に乗っていた人々には逆風の世の中ですが、二代目だって現在のSUVをみれば、立派な祖先と言えるでしょう。
翻ってうちの初代のらすかるは、「あーまーど」「すとらいく」「とねるーど」とアップデートを重ね、最終系のネーミングは「マクロスフロンティア」よりも早かったという、まあどうでもいい逸話もありますが、月までは行ったものの、戻ってくることができませんでしたし、今となっては430000キロという記録もかすんでしまいました。それでも、とるねーどらすかるがあったからこそ、月まで行くとか往復するとかの愚かながらも野望や夢を抱けました。
現行モデルに乗る人々には、このような趣味と実益(じつえきー?)を重ねたようなロングライフステージで、自車と対面しているのかどうか、知る由もありません。どのみちうちのは過去の栄光なので、埋もれていくだけですが、少なくとも「一生もの」を得ることはできました。いや、その割には乗り換えてますけどね。でもあの頃「雷蔵が初代エスクード以外に乗るはずがない」って言われちゃってましたから(笑)。自分でも、それでいいのです。
ところで、二代にわたっている「らすかる」はV型6気筒でツインカム24バルブ。それぞれ2000ccと2500ccですが、基本構造はシリンダーサイズ以外ほぼ共通です。このマルチシリンダーゆえ、同じ排気量で直4に比べると、やはり立ち上がりはおっとりしていて回さないとトルクを得られなかった。ただ僕の中ではその直4も5ドアボディーに載せると、大径タイヤなど履こうものなら元の木阿弥。ことV6はトルクバンドが狭かったのです。
加えてV6はもともと別のセダン系計画用として考えられていたユニットを、共同開発のGМから押し付けられたという噂話もあり、そもそも載せる車体がないじゃん状況下でエスクードに白羽の矢が当たってしまった。従前の1600用車体にだって重量・強度的に合わないのでタワーバーで補強するから今度は天地が合わずエンジンフードがもっこりします。整備性やコストの問題から、V6はある意味嗜好品的な位置づけとなり、主力は直4に譲ることとなりました。
それでもユニットは初代の時点で2500に拡張され、トルクの問題を解消し、二代目でグランドエスクード用2700へ進化し、これがボアアップの限界ですが三代目へと受け継がれた。贔屓目に見れば中間の2500こそ余力を持った安定のエンジンとも考えられます。まあね、マルチシリンダーってそれだけで魅力的だったのです。僕自身は1600のエスクードの方が所有経験多いんですけど(笑)。直4の2000だけ乗っていないのが画竜点睛を欠いています。
のーどがかわいたえいこーら
惜別の帰還~遺されたメッセージ~ 下
自分の正体が露呈しているかもしれないというウルトラマンは過去にもいたのですが、具体的に「ウルトラマンに変身しろ!」と言われてしまったのは、「ザ☆ウルトラマン」においてU40の戦士ジョーニアスと融合していたヒカリ超一郎でした。最終話の一つ手前で、科学警備隊内でそのような噂話が広がっていましたが、敵の本拠でこれを同僚に言われた時、ヒカリは別所の戦いに赴くジョーニアスと分離しており、秘密の保持以前に答えるに答えられない状況でした。
その分離の際、「この一番大事なときに」と訴えるヒカリに対して、ジョーニアスは「私を頼るな」と言い残します。その真意について、戦いが終息して二人が再開した折、ジョーニアスは「私たちのことをなぜ最後まで隠さなければならなかったか、わかってくれただろうね?」という問いかけ、「誰もが自分の力を信じて戦うべきだから。誰にも頼ってはならないから」と、ヒカリは答えます。ちょっと遠回しですが、歴代ウルトラの「自らの手で守る」が踏襲されています。
もっと具体的に「君の方に事情があることも知ってしまった。ウルトラの星に戻らなければならんだろう? それに今度の戦いで君は傷ついている」「もう、80に変身しないでくれ」と、UGМのオオヤマキャップに言われてしまうのが、ウルトラマン80(エイティ)こと矢的猛。だから変身しません。怪獣とは(回想シーンを除き)UGМが対決し、勝利する。猛は宇宙へ帰るラストにおいて変身という、ウルトラのメッセージを受け手として表現するに至りました。
ウルトラマン80は、中学校の先生がウルトラマンという部分が今なお語り草なのですが、ウルトラ族と地球人との邂逅と別離については、非常に前衛的にまとめられているのです。
しかしやっぱり、矢的先生としての80は教え子たちに何も告げずに去ってしまった悔恨を残したようで、ウルトラマンメビウスにおいて後日譚が描かれました。しかしこれは後日譚であって、最終話ではありません。
「ウルトラマンが現れたとき、誰もヒカリを見ていない」などと、長きにわたってドラマでほとんどスルーされていた疑問を逆手に取った「ザ☆ウルトラマン」でしたが、物語の流れとしては大した問題にならず、はたまた敵の親玉もU40最強の戦士だから正体を知りたい程度の欲求で、むしろ初代とハヤタの別れと対照的に、互いの信頼感を残して別離しながら、ウルトラの力に頼らない生き方をアピールしていったのがジョーニアスとヒカリの関係でした。
回想シーンを別にしてドラマ上最後の戦いにウルトラマンを登場させずに、80を乗り切った番組の英断は、歴代で最もウルトラのメッセージを具現化したものになりました。矢的猛は婚約者のウルトラウーマン(ユリアン)と地球の最後の余暇を満喫し、最後の最後で変身してウルトラの星へ帰っていくのですが、まあ、余暇を満喫している時間内に教え子のところに顔を出さなかったことは、あとになって「しまった!」と思ったことでしょう。
しかしそれ以上に、教育者というフォーマットを無理やり詰め込んだことが、放送局との絶縁に始まる円谷プロダクション破綻への道を歩み始めた歴史が哀しい。けれどもこの項はそこまで突っ込むものではないので、放漫経営と言えどもスポンサーに頓着せず、物語を紡ごうとしていったスタッフを称賛したいところです。
この数字は人類にとってはどうでもいい記録だが、私個人にとってはもう疲れたの一言に尽きる1日だった・・・
でも、天気図を見ていたら、やるなら今日(10日)しかないじゃん。この日以降は梅雨入りして雨降りか曇天続きになってしまう。ってことでたまたま(うそくさい)君津市と富津市に仕事があったので、都内から川崎経由で出かけてきました。
2009年末まで通っていた湾岸の東側は、先代らすかるの時代は館山道も圏央道もない、隣県なのに遠さを実感するところでした。昨日のルートは奇しくも、その先代が380000キロを刻んだ日に走った街を同じように行って、帰ってきました。だから圏央道を使わずの約400キロです。摂氏30度と梅雨の前のいかにも夏という陽射しと空と強い風は、仕事でなかったらもっと遠くまで行きたい衝動に駆られますよ。
3密の抑制だとか不要不急の出歩きをするなとか他県へ越境するなとかのご時世だと、オフラインミーティングを設営できないもどかしさがあります。そういう場を設けたいところですが、やっていいのかよくないのか判断しにくいので、ひとまずブログにてご報告と御礼を申し上げます。月まで行って、昨日ようやく還って参りました。






