Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

そもそも用がなかったかも・・・

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片方だけー

レッグウォーマー編んで、片方編み上がった時点でくじけました。
だって暖かいし・・・

さて・・・続きを編むのは来シーズンでしょうか・・・

九年目の足跡

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いよいよ常磐線が不通区間を復旧させ東京から仙台をつなぐことになります。しかし震災以前から、あの三月のダイヤ改正で東京からいわきまで、いわきから仙台までと寸断する乗り継ぎ路線化されることになっていました。今回の改正ではどうなっているのか知りませんが、一気通貫できない鉄路というのは路線力の後退です。そして復旧するのは常磐線であって、それは慶事だとしても福島第一原発エリアの解決ではない。風化と忘却を恐れなくてはならないことは変わりません。

にもかかわらず、日本どころか世界中ウイルス感染問題でそれどころじゃなくなってしまった。最初のニュースが流れてからこっち、国の対応が源発事故の頃と(政権政党は違うけれど)同じにしか見えない判断の甘さと間違いと隠ぺいというか、すっとぼけ。

デマ流言に踊らされる民衆も、当時以上に落ちぶれている気がします。でも、あれほど放射性物質で風評被害に遭った人々が、もっとたちの悪いウイルスが蔓延しているであろう首都圏に対して攻撃的な言動を起こしていないことが救いだなあと思います。

満腹のち腹ごなし(笑)

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美味しそう(いや、美味しかった)

鮟鱇ー!
アニさまが忘れ果ててたSIDEKICKサン仕切りの時と、北茨城に泊まりで食べに行ったのと二回だけだわ鮟鱇鍋。
(新月サンはそれ以外にも食べた事があるらしい)

湯気の向こうのワクワク♪
お腹に沁みるやさしいお味でした。
あああ・・・お酒が欲しい・・・

ご馳走様の後、撮影ポイント目指して移動。
同じ車種5台連なって走るのって、珍しいかな?
感覚としては、スキーで先生の後真似しながらみんなで滑り降りる感じ。ちょっと気持ち良かったぞ♥

揺れる車内から撮るのむずい。

「ワトソン君、用事がある、ちょっと来てくれたまえ」

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こんなのしかなかった

魏が滅亡したり(226年)、グラハム・ベルが電話でトーマス・ワトソン助手を呼び出したり(1867年。本日のタイトル)、東京が大空襲されたり(1945年)、富士山レーダー観測が始まったり(1965年)、天王星で「輪」が発見されたり(1977年)、太陽系で惑星直列しちゃったり(1982年)、 東海道・山陽新幹線の食堂車が廃止になっちっゃたり(2000年)、アメリカのマーズ・リコネッサンス・オービターが火星の軌道に投入されたり(2006年)カーネル・サンダース人形が24年ぶりに再発見されたり(2009年)、 鶴岡八幡宮の「公暁の隠れ銀杏」が倒壊したけれど(2010年)、

3月10日は「水戸の日」なんだそうです。

御簾越しの密会(ぉぃ!)

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御簾じゃないし。

鮟鱇鍋食べに大洗♪
その前の待ち合わせのカフェ。

昔、実家にあったわこういう建具。
冬は硝子障子で仕切ってて、夏は風が通るように簾みたいな材で作られた障子(なのか?)に模様替えしてました。
後々虫に食われてボロボロになってしまい処分されちゃいましたけどね。
わざわざそんな建具設えてたお父ちゃんのセンスって、意外とイケてたのかしら・・・

美味し♪

スズキだったのかいすゞだったのか

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乗っているのは「ふもふも」です

バービーの誕生日(1959年3月9日)なんてESCLEVにはどうでもよい話なんですが、彼女が40代になった頃、つまり90年代、専用ビークルが発売されたことがありました。

これがねえ、テールランプや微妙なフェンダーから想像して、エスクードというかサイドキックでなくて何なんだよ? との議論がその昔繰り広げられました。フロントグリルとヘッドライト形状がビッグホーンっぽかったため、審議がかかり、かかったわりには決着もつかなかったので、もう一方的にエスクード/サイドキックだと言い切っています。ま、時は流れてますんでこのビークルもモデルチェンジしており、BМWなのかトヨタなのかでもめてそうです。

つくばーどin大洗

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さて、例年のごとく天狗の森の一番桜はいま満開です。社会的なコンディションも天気も良くないためか、というより花見の季節感を持つ人がまだ出てくるわけないのでひっそりとしてます。

我々は花より団子な性分なので、大洗町まで出かけて古民家カフェでお茶飲んで、さらに鮟鱇鍋を食ってきます。

実は最近まで大洗の地元勤務だったAМGさんは、今回お邪魔した「きくち」に何度か出かけたもののそのたびに貸し切りだったり臨時休業だったりで、フラストレーションがたまり気味だそうです。風花さん談によると、各地の美味いものを食っている新月さんは、北茨城で試した鮟鱇が最もうまかったとプレッシャーをかけてきます。クロさんといわさきさんに至ってはもう目をキラキラさせるばかり。SIDEKICKさんは・・・関係ない話ですがきわめて甘党でした。

鮟鱇料理は鍋とはいえ、ある程度の値段から上がうまい。けれども今回は日ごろから食材を大事にしている大将のお店なので、ある程度の値段くらいでもうまい。こう言っては何だけれど、戦車道娘の宣伝にも(さほど)迎合していないところが良いのです。

大洗はそこそこの人出で海岸の駐車場も混雑気味。それを避けて阿字ヶ浦まで移動。雨に降られなかったのが幸いでした。

リポートはこちら

ある意味ブームの火付け役・・・だったのかもしれない

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RVブーム。という時代を明確にいつからと定義するのは難しいのですが、ざっくり80年代あたりとして、それに出会って触発されていく風景はどんなものだったのか。それこそそれは十人十色の風景だと思いますが、ひとつのきっかけに、その頃たがみよしひささんが描いていた「軽井沢シンドローム」のガジェットがあると考えています。ただしあくまで私見ですから、そうかもなー、くらいで勘弁してください。

たがみさんはデビュー当時から、登場人物と同時に細やかなタッチで様々な自動車をドラマの中に登場させています。軽井沢~以前だったらクーペやスポーツモデルが主力で、それらは軽井沢~にもたくさん出てくる中、主人公の相沢耕平がほぼ唯一、「J3か何かにМBの車体を載せた」、いわゆるジープで登場し、異彩を放ちました。この車両は漫画が先か現実が先かは不明ですが、新谷かおるさん所有の個体をたがみさんが譲り受けた、というグラビア企画も、連載当初の雑誌で紹介されていました。

いや、それだけで軽井沢~がRVブームの火付けになったとは言い切れませんよもちろん。たがみさん自身が漫画で扱うガジェットにて、RVにこだわったことはありませんから。しかし、このМB風J3(らしき車体)は、80年代前半の青年漫画の世界ではちょっとしたインパクトを持っていたように思います。

ま、残念ながら軽井沢~の時代にはスズキエスクードはまだ誕生していないので、耕平やその仲間たちがエスクードに乗って走るシーンは全巻隅々まで読んでも出てこないのですが、ブームの後半になると、たがみさんもしっかりこれを取り扱ってくれます。『NERVOUS BREAKDOWN』(なあばす ぶれいくだうん)の第7話に登場するTA01Wタイプのエスクードは、おそらく漫画作画として扱われた世界で最も古い事例です。

『NERVOUS BREAKDOWN』自体に、毎回様々なメーカーのカスタム四駆が出てくることも当時の楽しみでしたが、このたがみタッチ・テイストなエスクードは、89年2~3月くらいの掲載なので、実際に車両デビュー1年に満たないタイミングでした。実に早い扱いです。どのくらい早いかって、アピオのオーストラリアン・サファリ参戦よりも早い。悔しいことに僕が乗り始めるよりも早い(笑)。火付け役でなくとも、ブームをけん引した風景の一つなのです。

春が来たー!

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抜ける抜ける・・・

我が家的、春の訪れ。
花粉症と猫毛・・・

帰宅した新月サンが着替える間もなく、いちに洗面所に誘われまして・・・
本猫もムズムズするんだかブラッシングをご所望ですよ(笑)

それはそれは盛大なゴロゴロ音と舞い飛ぶ猫毛
あああそのズボン、コロコロかけなきゃ。
洗面所もモップかけなきゃ・・・

紫峰の風景

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富士山と筑波山のどっちが推しなの?

と問われたなら、迷わず筑波山です。万葉集を読めば一目瞭然(でも一目では無理)、富士山を詠む歌11首に対して、筑波山は25首に及ぶ注目度ですし、なんといってもあんなに低くても日本百名山(百座中百番目という標高)。それでいて関東平野のけっこう多くの場所から遠望できて方位目標にできるのです。

懸垂曲線で玄武岩質成層火山である富士山に対して、深成岩(主に花崗岩)が隆起したのち風雨で削られた筑波山は、噴火の歴史を持ちません。それゆえ怖れよりも愛でる親しみを永く与えられた山でしょう。稜線は出かける方角によって様変わりします。二つの峰が完全に重なることさえあれば、ごつごつと不整形な山並みの場合もある。『世界大百科事典』によれば、茨城県西部からの眺望が美しいとされているようですが、東にいる僕にとっては凡庸な山体です。

地元ではその場所に住みながら眺めてきた筑波の峰こそが筑波山と言っても過言ではない、推しの意見がありますこう語ると筑波山は茨城の何処からも見える独立峰のように思われますが、実は阿武隈山地の南の端っこ。筑波山塊としていくつもの山並みが連なっています。白状しますと、つくばーどとか言っていながら、この山塊の一部に飲み込まれているつくばーど基地自体からは筑波山は見えません。ま、それはそれで、より土着の親しみを抱く天狗の森があるからなのですが。

一押しの姿は、薄暮の頃に夕映えするきりっとした二つの峰のバランスを得られる、霞ケ浦の高浜入りから玉造の浜あたりです。富士山では立ち木を入れずにいられなかったのと同様で、高浜入りや浜からの霞ケ浦の水面を手前に置きたくてしょうがないという悪癖も出ますが、稜線をクローズアップすると車は写せません。車なんか無くてもいじゃねーかという声もあるんですが、これも理屈じゃないんですよねえ。