ふんわり薫ってきた木犀。 家の前の公園の木が咲きはじめたみたい。 会社の金木犀なんて、まだ緑がかった蕾なのよ。 ここ暫く9月末には咲いてたような気がするんだけど?
スズキが創業したのは1909年10月の、創業者鈴木道雄氏による鈴木式織機製作所立ち上げがルーツでした。ゆえに2009年に創業百周年記念事業でもあった(と思われる)歴史館が開館されていました。
が、ことしも創業百年。鈴木式織機製作所が株式会社化されたのが1920年3月であるためです。ただこの時代、同社はまだオートバイも自動車も手掛けていませんでした。
1936年、鈴木道雄氏は初めてオートバイ用エンジンの研究を命じ、自転車に取り付ける補助エンジンに始まり、実際にオートバイとして開発されたコレダCОが登場するのは1954年のこととなります。国が自動車取締令を改正し、オート三輪や小型車などにようやく認可が出るのが1930年だったからです。戦争による中断を挟み54年の6月、社名が改称され、ようやくスズキ自動車工業株式会社が誕生したのです。
そういった歴史について今になってあれこれ言うのも無粋なので、夢のある話に持って行きます。つまり、2020年の百周年は、偶然にもマツダと同い年の会社という地域の基幹産業同士の縁を持っている(ほとんど話題になっていませんが)年回りだけれど、1954年からの百周年なんていうのも、絶対にありそうです。すごいな、三度も百周年を迎えられるなんて。しかもその時は「ゴジラと同い年」って言うことができるのです。
と、23歳の誕生祝にと考えていたら、霙が自ら購入してしまいました。
娘よ、そりゃあ「いま」だよ。若いうちにしか無茶はできないよ。と、思ったけど、幌エスクの存亡にかかわるので、そんなことは絶対に口に出してはならないのです。
ミニカーのついで話ですが、「つくばーどin写真展01」をアップロードしました。なんかしばらくぶりのページ作成だったせいか、ページサイズめちゃくちゃ。
中秋の名月が10月というのもずれた感じがしないでもないし、今夜の月がまだ月齢にして十三。だから明日の満月は十五夜とも言いきれないじゃないのよ?
などとぼやきながら、テイクアウトで受け取った袋から月見バーガーを取り出したら、なんだかその月齢に合わせたように部分潰れで、まんまるじゃなくなってました。
暦を遡ったら、2017年も10月4日がその日で、満月はさらにずれて6日でした。中秋すなわち「7月から9月にかけての秋の真ん中」を旧暦の8月15日と定めていることや、新月から満月まで平均約14.8日という日数と、楕円軌道で動いている月の位置から、満月の日が後ろにずれる傾向があり、こういうことがしばしば起こるそうです。次に10月に中秋の名月が巡ってくるのは2025年と2028年になります。見上げる月も月見バーガーの味も、そんなに変わるものじゃないですけどね。
かつて僕よりも早く、エスクードを50万キロ台に乗せたitoさんから「終活を始める」という電話をいただき、ぎょっとしてどこか具合でも悪くされたのかと聞いたら、
「今までやってきた仕事の記録を体系化してまとめるくらいのものだよ」と、早とちりするなと言われてしまいました。itoさんは街づくりコンサルタントの仕事を長年つとめてきました。
アフターコロナの時代、高齢化の進む時代、これから街づくりはどうあるべきで、地域の交流には何が求められるのかを、ご自身の経験値と有志の意見を基に考える懇談会が、実際の立ち上げでした。だから終活的な雰囲気は全くありませんが、「長年の仕事は仕事として完結しているけど、自分と土浦や霞ケ浦とのかかわりでは、やりっぱなしなんだよ。それを何かにまとめたいの」という趣旨だそうです。
この8月、共通の知人である建築史の学者さんが亡くなり、そのことをきっかけに、自分の足跡を残して若手につないでおこうという思いが立ったのだそうですが、itoさんそんなに年老いているわけではなく、でも、こんなに早くからそういう行動を開始するのかと、やっぱり驚かされました。
もともと思い切りの速い人ということもあります。エスクードにしてもわずかの変調で迷わず修理入庫させてきたし、その変調が「これは手間がかかるな」と判断したところで63万キロで退役させたあたりも、迷いがなかったようです。
全国を駆け回っていたitoさんは、郷土(ご実家は岩手県)の茨城においても、街づくりや道路、霞ケ浦の環境など手広いコンサルティングを行ってきましたが、今後は悠々自適なライフスタイルに移行していくのでしょう。
遺せるものがあるのって、いいなあと思ったね。
とうとう動いちゃったようです。
言ってしまえばでっかい機械仕掛けの黒子が操作する人形のようなそれで、全く面白くもなんともないんですが、この大きさでやってのけたことに意味があるのでしょう。
でもあれだね。以前潮風公園で組み上げられていった風景の方に臨場感を感じるのは、これが動いたらというイメージの共有で、今回のは動くことの気持ち悪さを感じるからなんでしょうかね。
だけど、何度でも言いたいことが、RX78はコアブロックシステムを介して78以外のモビルスーツに換装できるというのが大きな特徴。むしろそこが最大の開発コンセプトだったはずなのです。だから操縦席が1年戦争後の全方位型になってるのはアトラクションとしても許せんし、立ったまま操作するとなったらもうモビルスーツじゃなくてモビルファイターのトレーサーじゃんかよと。ましてや近場で見るのに観覧料が4950円て、考えた奴の価値観最低。