ミカン山でsuuuサンにもらったタイヤカバー。
また、たび助ステッカー貼ろうかなって言ったら
新月サンに「でんいちは?」と言われましたよ。
三匹貼ってもいいのか?
(恥ずかしいのは多分新月サン)
2年ほど前に、ちょうど50年前のことだったとして「先駆者の時代」を書いていました。そこが我が家とスズキの邂逅だったというわけで、僕が知人からSJ30(2型)を譲ってもらうのが、その20年後となります。残念ながらこのジムニーについては写真が残っておらず、我が家のスズキクロニクルは完成することが叶いません。30自体はエンジンの焼き付きをやってしまって廃車となり、JA71へと交代しています。いずれにしてもエスクードが登場するまで、我が家のスズキ小型車はフロンテ800のみでした。
その一方で、やはりフロンテ800から20年めのこと。実に久しぶりにスズキフロンテが我が家に導入されています。小型車ではなく軽規格六代目で550ccのWitカスタム。妹の吹雪が買ってもらった最初のクルマです。親父も親ばかです。倅のジムニーなんか撮影もしてくれなかったのに、娘のクルマはこれこの通り(笑 それにしてもなんだってこんな背景で撮ってんだよ、かっこ悪い)。
もっともその後、父娘は娘の遅まきの反抗期にぶつかりこのような写真を撮らせてもらえなくなったようで、彼女が短大を出て仕事に就いてからしばらくして「アニキ、あたしゃ自立するぜ」とか言い出してセルボモードのSR‐4(四駆ではない方)に自ら乗り換えてしまい、それからしばらくして嫁に行ってしまいました。よってその4気筒セルボも写真が残っておりません。
うーん・・・、アルトワークスの足回りをピレリP700で固めて、軽自動車のくせしてツインカム16バルブでインタークーラーターボなんて、どんだけ反抗したかったんだろう?
美味いから食うものの
気仙沼の土産物屋に併設された食堂が出している「港町丼」は、これ一杯でなかなか満腹感を達成できることと、扱われている素材がそこそこ良質なので、時々食いに行くのですが、単価的に見ると観光客対応価格でいささか高いよなと感じます。
地元の人々が通うお店を探せばもっと安価でこの手の献立にありつけるのでしょうけれど、車を楽に置けてすぐ入店できる店という条件付けのため、路地裏まで探訪できません。
それでもここ数年での変化は、気仙沼へ出かける所要時間が震災以前よりも短縮できるようになったことです。あと2年もすれば、仙台から2時間を切れるようになるかもしれない。震災直後のことを思い出すと考えられない三陸沿岸道路の効果です。
それに加えて、震災直後からしばらく、太平洋沿岸で魚料理を注文する気に慣れない時間がけっこう長く続いていた。あの年の夏の頃は、魚を食いたくて酒田まで出かけて行ったほどですし、当時はそれこそ酒田へ行く時間の方が短くて済んだのですから。
自分が経験した震災から6年以上過ぎたかと思えば、来年になると宮城沖地震から40年めだったり岩手・宮城内陸地震から10年めだったりと、災害の記憶を風化させないムーブメントがまだまだ続くようです。
今だ旅立つときはONECE in MyLife!!
と、ついうっかり「Xボンバー」を歌ってしまいましたが、X・・・BEEの間違いでした。
市販対象とは聞いていましたが、もう今月出てくるとは!
しかしこのリーフレットはお知らせバージョンなので、1リッターターボエンジンでマイルドハイブリッドの4WDと2WDで6速ATであることと、カラーバリエーションくらいしかわかりません。ティザーサイトとまあ一緒。
主治医は息子さんにエスクードを譲ってしまったので「これ買っちゃおうかなー」とか言っております。しかし価格帯がどんなものなんだか、営業マンはそれらの資料を持ってこなかったというトホホな状況。
「イグニスより高いということはないと思うんですが」
「ちょっと待ってよ、四駆で200万未満だったら、JStyleⅡの見積もり白紙にするしかないじゃんよ」 ←え゛?
やーそれにしても、Xボンバーの映像を探しに行って「ブライアン・メイ」のビデオクリップを拾えるとは思わなかった。どチープなんですけど、母艦(Xボンバー)から離艦して合体するビッグダイエックスのシークエンスなんか、当時はよく作ったなーと感心したものです。特撮で人形劇で合体ロボですから。後年、これをCGに起こした人もいるのはうれしい話です。同番組のCGクリップにはデザインの異なるビッグダイエックスが出てくるものもありますが、こっちの方がよく再現されている。
あっ、XBEEの話じゃなくなっちゃったよ。
誰が呼ぶのか知らないけれど
人はどうしてこうも格付けやら分類化をしたがるのかわかりませんが、自分にもその傾向が無いわけではない(最長不倒距離とか)ので文句を言える立場ではありません。が、ネオ・クラシックカーって陳腐な言葉だよなあとは思います。
悪いことを書かれていませんからむしろ感謝しなくちゃいけない。しかし隔絶の世を感じます。いや昭和63年当時の僕にセンスが無かったのだとも言える。あの頃ディーラーで見た実車がまさにこのダークブルーのハードトップ。とにかく色と言い地味さと言い「なんだこれかっこ悪い」と、その無表情さに閉口したのですから。
30年近く年月が経てば、軟派な四駆も立派なSUVとして語られるのは、それほどに車のカタチも用途も拡散しきったからなのかもしれません。それでも、このコラムは「スポーティなバケットシート」のことを除けば(テンロクショートのシートなんてインチキもいいところの見せかけだけだから)的確に論じてくれています。
先日、二階堂裕さんと雑談していて、
「それまでとこの後と、スズキ自身がまったく継承しなかったデザイン」
「だからこそ片岡(祐司)さんの傑作となった」
「でももったいないよね。なぜこのデザインを捨ててしまったのか」
などという話になりました。時々、エスクードのデザインワークスをジウジアローと勘違いする人がいますが、エスクードのエクステリアは、現名古屋芸術大学の片岡祐司教授によるもの。当時は30代後半くらいの社内デザイナーでした。
で、今になってこういった評価をしてもらえるようになった初代のポジションも、いよいよネオクラシックというカテゴリーに入ってきたらしいですが、常々大きなお世話です。図鑑や博物館で眺めてるわけじゃない。古くなったことを否定はしないけど、少なくともうちのクルマはいま、現役よ。
さて、履き心地は如何に?
固定ページにてお知らせしているように、今月16日、天狗の森スカイロッジにおいてつくばーど忘年会を行います。
奇しくも翌日の17日午後に、愛宕神社の奇祭「悪態祭り」も巡ってきます(ま、昨年もそうだったんだけど忘年会場所が異なっていたから奇しくも、です)。だからといって忘年会は前夜祭というわけでもなく、悪態もつきません。
忘年会はだらだらと呑んだくれているようで、けっこう持ち寄りの食材や料理がうまいモノ揃いになるのも特徴。ただそれだけだと面白くないので、ことしは主食におでんを用意し、おでんの具材の「許される限界」に挑みます。しかし食えないものやまずいものを投入するわけにはいかないので、闇鍋化を極力避けつつ、笑いをダシにとれる材料を考えるのはけっこう大変です。
忘年会は16時以降ロッジを開けます。例年だと12‐B棟だったのですが、今回は12‐A棟(大型二棟の裏手の方)です。忘年会のみ参加の方は17時を目途に、遅くは夜中まで到着を受け入れています。
16日当日、買い出しがてら林道探検も午前中に行うこととしました。これに参加される方は、9時30分に茨城県つくば市北条5144「カスミ筑波店」に集合してください。
27日から毎夕、国際宇宙ステーション(ISS)が宮城県付近の太平洋上や山形県沖の日本海上空軌道を通過しており、天候次第でしたが27日夕刻にはなかなかよいコンディションで(でもどうにかこうにか)目視できました。
写真はもちろんそのイメージですが、BLUEらすかるが670000キロを刻んだ日にこれを見上げられたというのはまあ、個人的慶事でした。
するとどういう御縁か翌28日、呼ばれて出かけて行った講演が、宇宙航空研究開発機構でISS・きぼうモジュールの利活用をリードしている技術領域主幹の方でした。
地表から見上げる宇宙というのは何処からが宇宙で、月軌道とはどのくらい離れたところなのか。いろいろな視点から宇宙を解説するなか、
「仙台を起点にすると、宇宙という領域の入り口は郡山あたりですね。ISSの軌道は名古屋くらいまで離れたところを飛んでいるのです」
などと、僕がエスクードを走らせる際の距離的イメージと似たような例えをされるのが、案外おもしろくて嬉しいものでした。講演後名刺交換させていただき質問すると、ISSは日本政府の方針ではあと7年、アメリカの考え方でも9年程度で運用が終了するのだけれど、まさしくそのあとのことは何も決まっておらず、今後台頭してくる宇宙探査というフェイズの組み立て方によっては、まだまだ手入れし使い続ける価値を有しているとの説明をしてもらえました。
開発研究の舞台から、宇宙は少しずつビジネスチャンスの世界に移りつつあるなかで、やはり探査というテーマにおいては月面基地が作られるにしても、月と地球の中継点としてのフロンティアには違いないのだなと感じます。
さてそのISS、今夕16時51分くらいに仙台市の頭上を通過するのですが、29日までは晴天だったのだけれど、どうも朝から曇天のようです。もっとも予定表を見たら某団体の企画会議で部屋の中に閉じ込められている時間帯なんですが・・・
かわねこさんが北海道で観測してくれました。
それぞれの高度が異なるとしても、流星と交差する軌跡というのは狙っても撮れないチャンスだったのでは?




