偕楽園の梅まつりに合わせてか、2月下旬に放送されたため、うわーこれはしばらく混んじゃって近づけないぞと思ってまして、1カ月もすればほとぼりも冷めただろうと、焼肉の漫遊亭に。
しっかり自己宣伝してるし・・・
そして相変わらず混んでた(笑)
水戸光圀さんと言えば、「生類憐みの令なんざ知ったことか」と牛でも豚でも羊でも食っていた人でしたなあ。
実はこの店では、これよりも500円安い味わい漫遊カルビの方が人気で、実際に美味いのですが、肉厚から来る歯ごたえと食った感に関しては、確かにこれの方が上でした。
石畳の広場を訪ねてみたら、街路樹がなかなかの成長ぶりでした。10年ほど前、ぷらすBLUEを持ち込んで撮影した頃はまったく知名度の無いところで、広場の外周ならばどこに車を置こうが迷惑になりそうもにない、格好のスポットでした。その後、車雑誌も目をつけこんな場所でもSUVの背景になっちゃうという(最初にやったの俺だから、人のことは言えん)今やドラマや映画のロケが頻繁に行われているようです。
そんな場所になろうとは思いもせず、左の写真のようにSSレイドの課題の場所にしていたのですが、現在これをやろうとすると、カフェのオープンデッキから見降ろされ衆人環視の中の撮影を余儀なくされます。
以前はタクシードライバーが昼寝さえしていたほどなんですけどねえ。
ある建物の地鎮祭に呼ばれて末席で参列しまして、式典の最後に神酒拝戴というのがあるんですが、当然僕はウルトラスーパーマーベラスな下戸である以前に車ですからこれをいただくわけにはいかず、飲んだふりだけしてそっと足元に蒔くのが慣例でした。
が、今回はなんとアルコールもカロリーも糖質もゼロ(ただしカロリーと糖質は完全なゼロではない)というのが振る舞われました。
聞けばアルコールゼロの清酒は2014年には登場していたそうで、糖質などにまで改良が加えられたのはその翌年だとか。しかしここ数年の神事参列では初めてのお目見えです。
と、主催者の部下の人に教えられましたが、それはつまり、飲んだら酒臭くなるってことじゃねーの? その状態で検問に出くわしたらどうなるのか、製造・販売元は実地で試してほしいのですが・・・
その昔、道路の開通式ではお浄めに日本酒を路上に振りかけるという行事があって、これを任されるのが地域の代表者と、道路管理者関係としてその所轄の警察署の幹部だったことがあります。
それっておかしくないか? 道路交通とお酒は因果関係を持つべきではないんじゃないの? と指摘したことがあります。すると圏央道の開通式あたりからは、もう無理やり開通区間の地域の湧水を汲んできて代替するようになりましたが、このところ道路の開通では(東北では)見かけなくなりました。
だけどなあ、神事だからお神酒は切り離せないんだろうなあ。ニッチなビジネスチャンスとはいえ、神様も千鳥足では昇神できない時代になりましたよ。
先日、初代の1型エスクードのカタログと永代橋のことを書きましたが、これが2型にマイナーチェンジしたあとのカタログでも、ロケハンを伴う撮りおろしのスチルが多用されていました。
その一つが、幕張国際展示場前のカット。永代橋(当時)の黒々としたトラスト対照的に、赤いトラスがアクセントとなった背景です。しかしここは車寄せのさらに奥にあたるため、さすがに一般の人間じゃ車を持ち込めないです。
余談ですがマイナーチェンジは90年のこと。この頃東京モーターショーも幕張に会場を移した直後でしたから、案外トレンドな都市風景だったのかもしれません。
で、91年の1月から放送開始でしたので、おそらく似たような時期に撮影やっていたかもしれないのが、特急指令ソルブレインのオープニング(笑) 前作の特警ウインスペクターにはエスクードも出ていたんですけど、この番組トヨタ車で固めていたから、いなくなっていたかもしれません。
今年はやりますか?
地獄のミカン狩り(笑)
ということです。でかい文字を、脳内で赤い彗星っぽく読み上げてください。和邇さん、手記の040でも予告しているのを忘れてるみたいですが、つくばーどin津久井浜を再開するようです。
ひとまず
しかしさすが三浦半島。河津桜も菜の花もとうに満開です。みかんまで待てないから、魚を食いに行きたいですけどねえ。
罰が当たったわけではなく、筑波科学博のことに触れたら唐突に研究学園都市に出張という、いやそれ出張どころかかなり楽な仕事シフト(というのはもちろん公然の秘密)になりました。
85年のその日から30数年、筑波がつくばと表記されるようになって久しく、あの頃の常温超伝導とか新素材研究とか、どこ行っちゃったんだろう?というくらい、この街のことには疎くなっています。
実際にはここ5年ほどの間にマテリアル系の分野で革新的な動きのあるところだそうです。それはさておき、「仮面ライダーフォーゼ」のフォーマットで語ると、2011年の頃には非公式ながら日本にも外宇宙技術開発機構・OSTОという法人が存在し、政財界や諸外国とのどんなパイプがあったのかはさっぱりわかりませんが、月面基地まで有していた。しかもこの月面基地ラビットハッチは、遡ると1991年には既に現地で稼働していたのです。
するとこれはひょっとして、72年のアポロ17号月着陸時に、何らかの秘密裡な建設ミッションが組まれ、おおよそ20年かけて基地建設が進んだということなのでしょうか。公式にはこれ以降、人類は月へ行っていないのですが、そこに秘匿された歳月が介在するのかもしれません。ただ、外宇宙技術開発機構に関わるキーパーソンの一人、後の天川学園高校理事長となる我望光明は、69年の少年時代に「宇宙の声」を聴き、野望に目覚めるので、17号とは年月の差が狭すぎます。
その辺、史実とすり合わせても意味はありません。やりすぎると宇宙開発どころか、筑波研究学園都市だって建設が間に合わなくなりますから。仮面ライダーフォーゼこと如月弦太朗が生まれるのが94年。その3年前に、フォーゼ世界ではコアスイッチ(人類に対して働きかける宇宙の意思的存在が異生命あてにばらまいたといわれるオーバーテクノロジー)が月面で発見されるなど、架空の宇宙開発は面白い時間軸をちりばめています。で、うちの幌エスクはその1991年式(笑)
と、どきどきしていたのですが結論から言うと
出走予定だった全員が日常の仕事業務やら社内行事やらでダブルブッキングしてしまい、前代未聞の事態となりました。
「元号が変わる直前の年度末って、本当にあわただしいんですね。うち以外のアンフィニクラスエントラントも仕事を休めず、半数も参加できない状態でした。逆にほんの追加料金でリミテッドクラスの人たちから希望を募り、アンフィニの雰囲気を体験していただく企画などを急きょ展開しました」
島社長曰く、草レース時代に戻ったみたいな閑散だったそうです。
まさかの流れで、次回の九州J通信やイベント記事で先に出ちゃうなあと思っていたウエストウインの今シーズンの話に、追いつけてしまうようです(こちらの連載記事は7月掲載まで待ちですが)