チビず、一年ぶりの病院へ。
来てすぐの頃に二匹揃ってお腹壊して以来怪我も病気もしないので、のまちゃんにも猫バスケットにも慣れてくれません。
いい事なんだけどね、健康優良児でさ。
いちをちぃが使っていたバスケットに。でんをたびが使っていたバスケットに押し込めて(慣れてないから入れるのも一苦労)病院に着いたら、今度は出すのに一騒動・・・。いちは飛び出して逃げようとするし、でんは地蔵のように固まって出て来ない(汗)
うーん・・・
婆にゃずはこんな苦労しなかったんだけどなぁ。オスとメスの性格差??
無敵の力はいつの間に?
ただし、初代ウルトラマンと新ウルトラマンのような相関図ではなく、おいたマンさん本人です。三代目エスクードの2700からスイフトRSを経由し、四代目の初期型に戻ってこられました。1400ターボは、ご当人の走らせ方には合わないということで、NAの選択もおいたマンさんらしいです。
最初の連絡をいただいたのが9月28日の昼頃で、納車待ちだと。仕事で猪苗代にいた僕は勘違いして「試運転でひとっ走り来なさいよと」言ってしまったのですが、正式な納車は6日だったそうです。納車時点で積算走行距離200キロ未満で、エスクードマイレッジにエントリーしたときには500キロ。この週末は早速、ご家族を乗せて走り回ったのでしょうね。
Team WESTWIN Warriors#126
島監督から連絡があり、先日広島で開催されたダートレースJ‐ONE・GPにおいて展開された川添哲朗選手とエスクードの戦いが、スーパースージー誌上でも取り上げられる算段になったということです。夏前の転倒で全損状態を修復した手負いのTA52W、整備してもなおフロントデフに信号が伝達されず四駆に切り替えられない、そのトラブルがよりによってJ‐ONE本戦当日に発生、練習走行をあきらめ現地でデフ玉を割っての修理、本戦5分前の修理完了、そして準優勝。
というのがウエストウインのダイジェストでした。
そりゃーこんなドラマを残しておかない手はありません。これを取材しているのは、九州かわら版や九州J通信のライター・高橋陽介さんなので、ウエストウインのチームスタイルや後藤・川添両選手とエスクードの戦歴には精通しているし、安心して次号を待つことができます。
「なんだか、場合によっては2ページ扱いだとも言われたんですよ。J‐ONEそのものが始まったばかりのレースなので、まだスーパースージーなどでは大きく扱われたことがないようで、この機会にレースの紹介を主にするのだとは思いますが」
それはそれでスタンダードな記事構成でもいいじゃないですか。ただ、ドラマであるとか臨場感であるとか、セコンドを書くというのは案外大事なことで、遠征組のウエストウインが広島まで十分な装備の用意なく出場して、まさかの故障という事態に、居合わせたチーム内外の沢山の人々が物資の調達やら工具の提供・借り受けやら、まんじりともしない時間の中で奔走した。その人々に対して、本人は負けて悔しかったと言っていますが結果ではなく記憶を刻みつけた(それでも2位獲得、準優勝はすごいんだけどね)という、その部分が血沸き肉躍るわけです。
スーパースージーのレースレポートに、そんな切り口の記事はなかなか出てこなかった。だから楽しみで仕方がありません。思わず「それはもう、つまんない原稿書けないよねえ。って伝えといてください」と、監督に伝言頼んでしまいましたよ。
常連にもほどがあるよな
太平洋無着陸横断記録の日
今だと三沢からウェナッチまで、乗り継ぎしても空路20時間ちょっとらしいですが、ミス・ビードルは41時間43分をかけて、太平洋を横断していったそうです。1931年10月5日朝の到着は現地時間ですが、軽量化と抵抗軽減のために主脚を切り離してしまったため、胴体着陸だったことが伝えられています。
きちんと調べていないのですが、意外と三沢とウェナッチの飛行距離は不明のようです。まあエスクードで41時間走り続けるなんて冗談でもやろうとは思わないですけど、仮にやったら地球十分の一周くらいは行けるのか?(ただし時速100キロ維持)
うしとらの奴が来た!
今夜、というか明日の深夜「このマンガがすごい!」がテレビ東京で始まるんだそうですが、どうもトーク番組を軸にしながらも、出演するゲストが番組で扱われるマンガのドラマ再現をやってしまうというのは斬新な企画です。
でもって、その一篇として蒼月潮をこの人がやる。なんともう以前綾野剛さんが「石川 五ェ門」や「ケンタウロス男」をやった時以上のインパクトかもしれない。
いや・・・ケンタウロス男には敵わないか。
だけどこれ仙台じゃ拾ってくれる局がないんだよ。基地の方で録画するしかないから、うちの連中と予約がダブったらアウトなんだよ・・・
で、録画を見ました。斜め上すぎてなんも言えん・・・







