今年も新月サンに連れられて、3ツアーズ観に行ってきました。
しぶこちゃん人気で、観戦客数大幅増・・・
去年より早く駐車場着いたのに、奥のそのまた奥へ誘導されましたよ。
ゴルフ場に行ったら早々に人だかり。
しぶこちゃん目当てと思われる方々が前の組からずっとお待ちになられてて・・・
見えん(汗)
またしても新月サンの誘導であっちに行ったりこっちに来たり。
でも去年と違って筋肉痛にならなかったのよ・・・お尻は。
なぜか肩と頸がゴチゴチになってて、湯船に浸かるまで辛かったー・・・
早朝、フェリーで久里浜から金谷に渡り、南房総を時計回りに280㎞。ごーちゃんの慣らしを兼ねて、のんびりと走ってまいりましたです(笑)
春になったら菜の花見物に再訪してみるつもり。
今回は、あの新帝国の変な科学者ではなく、和邇さんご自身のツーリングとSSレイドレポートです。です、と言っても、↑これだけですけど。
久里浜の埠頭から、日曜始発のフェリーだと6時20分。のんびりってものでもなく、まだ真っ暗なうちに自宅を出発しているはずで、これに同行するお嬢も早起きというより徹夜明け?
何にしても父娘でツーリングなんて羨ましいことです。
日本での初上映だって戦後とはいえ僕が生まれる前ですから、1939年の映画がどれほどの手間暇をかけて作られたのかなんて、映像でしか知りえません。その、ちょうど80年前の12月15日に「風と共に去りぬ」は封切られ、映画史に名を残すこととなりました。これをいつ観に行ったかはもう忘れてますが、当然、テレビ枠で2週にわたって放送した吹替ものと、リバイバルものとしての上映です。インターバルが入るほど長い、という映画は、昔はざらにあったようにも思います。
アメリカ・南北戦争末期のアトランタで繰り広げられたスカーレット・オハラの物語は、過ぎたるは及ばざるが如しの連続にして、なんだってそんなに素直になれないのさ? と思いながら、自分に素直であるが故そうなってしまうすれ違いの恋の物語。
そうなんです。スカーレットとレット・バトラーとあと何人かの恋の紆余曲折が本筋でありながら、えっそうなの? と驚かされる南部の貴族文化の崩壊と奴隷解放と、つまりアメリカの内戦の描き方の力の入れようにしか、あの頃は目が行きませんでした。なんといってもレット役のクラーク・ゲーブル(の顔)が気に入らなかったし。
けれども、北軍に攻め込まれたタラの市街地が炎上するシーンを、30年代の映画が特撮で撮れるはずもない。燃え上がり崩れ落ちる建物の前で脱出非難する馬車と馬のシルエットは、そのままそういうセット撮影をしている。後になって知るのは、ハリウッドすごいわと驚愕するそのシーンの撮影時点で、実はまだスカーレット役の女優が決まっていなくて、撮影を見に来ていたまだ無名の女優が現場で抜擢されたという、ヴィヴィアン・リーの逸話。そしてちゃっかりと原作の和訳本が僕のお袋の本棚にあって、「50年代のロードショー観たことある」と言われたびっくりと、あちこち本筋と異なるところで記憶に刻まれています。
原作者のマーガレット・ミッチェルは南北戦争時代の人ではなく、母親から聞いた戦争と自身の体験を組み合わせ、書き上げた物語。彼女が母親と死別し大学からアトランタへ帰省したのが、偶然にもいまから100年前のことだそうです。ところでいろんな人が日本語版を当てている中で、機内版のスカーレットが鈴木弘子さんだと。それは観たことないけど、あのフランソワーズ・アルヌール(003)の鈴木弘子の声なら、観たいなあ。どこ路線でかかってたんだろう・・・
毎年お歳暮で頂く会社のシクラメン。
園芸種のシクラメンは文字通り〝温室育ち〟なので。
寒い冬は室内で育て、暑い夏は休眠させるというのがセオリーなんですが。
その通り育てたら、写真の4鉢以前のは弱って枯れてしまいましたよ。
室内で育ててるのにハダニが湧くってどういう事???
(乾燥すると出るらしいけど)
こうなったら勘に頼るしかないなーと、写真の場所でほったらかして・・・2年?
直射日光は当たらないけど(夏はむしろ当たらなくていい)適当に風が通るし、水遣り簡単だし。
結果、当たりだったらしくて枯れもせずにすくすくと育ってますわ(笑)
蕾が沢山出てきたから、年明けくらいには花が見られるかなー。
南極のケンプ・ランドは、南極大陸の海岸線から最も遠い地点と言われ、昔はその概念によって「まあ辿り着くのは無理よ」と、到達不能極と呼ばれていたそうですが、1958年12月14日に、当時のソビエト連邦南極探検隊が足跡を付け、到達不能極基地を作ってしまいました。現在は雪と氷に埋もれた史跡とのことで、相変わらず南の到達不能極に位置付けられています。このような理屈に基づき、地球の大陸にはそれぞれの到達不能極が存在します。
そうかー、大陸じゃありそうな逸話だよなー。でもって行っちゃった奴なんかもいるんだろうよと、今では地図ソフトで場所だけは楽々と検索できる時代です。ただ実際に行くとなると、それらは今でも到達至難のポイントであることには変わりありません。
ちっぽけな島国の日本列島じゃできない話・・・かと思ったら、96年に国土地理院が計算上その場所と言っても差し支えない位置を突き止めていました。なるほど理屈に照らし合わせれば、スケールは小さくなっても日本のどこかに「海岸線から最も遠い場所」はあるわけです。
それが長野県佐久市田口 字榊山209-1って、番地があるのかよ。群馬県南牧村との県境付近にあたるそうですが、やっぱり到達至難のわりには測量点も打ち込まれ、標識柱も案内看板もあるという・・・
佐久市のホームページではどんな場所かの解説もしています。到達できた人への認定証も発行していることについては、安全面でどうなのよとも思いますが、秘境ってあるんだなあ。でもなんだかんだで暴かれちゃうんだなあと、ため息が出ます。
十二月もまだ半ばに何を言ってんだと言われるかもしれませんが、正月に煮炊きするための薪をとりに山へ分け入る日であります。
要はそれにこじつけて林道に出かけるだけのことです。
実は正月どころか来年二月の話になりますが、九月に天狗の森に予約を入れてロッジを確保しておいたのに突然、大規模改修が始まるのでよそへ移ってくれまいかという寝耳に水な連絡がきたのです。予約を受け付けておいて今になって何を言い出すんだ観光協会!
よそへ、とはどういう意味かと尋ねると、筑西市や大洗町に類似の施設がある。というのだけれど、そこへの紹介をしてくれるわけでも何でもない。単に「ある」と説明するだけ。ばかゆってんじゃねーよ、子供の使い以前だろうそんなの。
ロケーションは高い評価でも、それこそ「よそ」の類似施設に比べたらバカ高い費用が掛かるのが天狗の森。何を大規模改修するのか知りませんが、そちらは笠間市の事業なのでとあまりにも歯がゆいので、そんならこっちから願い下げるわと啖呵を切ってしまい・・・
という顛末にて、新年会事始めで場所の確保に山へ分け入る。てのが正確なところです。
ダイハツからロッキーが(トヨタからも別ブランドで)発売され、ずいぶん昔にそんな対決が無理強いされたよなーと思い出していたらば、今度のロッキーはずいぶんと時代を読み取ったスタイリッシュないでたちとなりました。初代は、エスクードの初代とぶつけられましたが、それ自体がどちらにも無理強いだったのです。しかしロッキーには時代の流れが立ちふさがりました。
「二代目? と単純に言っていいのかどうか。かつてのクロカンベースで1600クラスのロッキーとはコンセプトが異なります。そこは初代が辛い競合を押し付けられたのですが」
とは、ウエストウインの島雄司社長の談。確かにその姿はもはやクロカン四駆の時代ではなく、と様相を変えたエスクード同様の方向性に迎合してきました。
しかも、この車格はエスクードと競合するのではなく、クロスビーにぶつけている。ダイハツのモノ作りは油断なりませんから、こういうのが好みか、クロスビーのようなファニーが良いかで大きく市場も揺れるでしょう(駆動方式など詳細はまた別の話)。だけど1400や1500クラスでスズキが他社とやり合ってきた激戦区が、実はここまで小排気量化してきたことが、時代の趨勢なのかなあ。
出ました!!!ステーキを焼く小僧・・・かと思ってたら「ココスビーフハンバーグ」を焼いている姿だそうです。
いやー良かった良かった。まあまたもやキャベツを洗う小僧はだぶったんですけど、これでようやく五種類揃いました。
・・・ええーっ!?
右からUGМ小僧、ウルトラフォース小僧、UМA小僧、W.I.N.R小僧。現在それ以降を工作中。teamEYESあたりまでいけそうです。