Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

恐るべき黙示録

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デビルマンやバイオレンスジャックがどれだけのインパクトを保有していようとも、僕自身の中ではハレンチ学園の第一部結末として描かれたハレンチ大戦争の顛末こそに怖さを覚え、今なおそのポジションは崩れていません。

まあ無理もないよね。小学生でしたし、なんだか大人がヒステリックになって永井豪さんを糾弾していたし、少年ジャンプは隠れて読まないと危険と思い込まされるような風潮の中、

「社会秩序の乱れをもたらすハレンチ学園をもろとも抹殺すべし、という国家が繰り出す大教育センターの軍隊による蹂躙に加え、次々と惨殺されていく登場人物やその身内」

の展開が毎週エスカレートしていくわけですから。

その後、マジンガーZの連載が始まって、ようやく安心して買ったジャンプを家に持ち帰れるようになり、しばらくしたら今度は少年マガジンでデビルマンが描かれ再び恐いものを読まされるのだけれど、先住人類デーモンという設定が、そりゃ面白いにしても空想的な距離感を覚えたのです。

それに対してハレンチ大戦争編というのは、粛正する側、抵抗する側、巻き添えとなる者の全てが、人間のエゴそのもののぶつかり合いでした。絵空事の中に言いようのないリアリズムを突き付けられ、永井さんご自身が大人からの糾弾に対し抵抗し反撃し続けたストーリーに押しまくられたのです。これをあの年齢で読んじゃったら、後から来るあばしり一家やデビルマンには悪いけれど金字塔はこっちになってしまうのです。

どうも本日刊行される第三巻で、あの惨劇が蘇るらしく、今の世の中でこれを読んだらどう感じるのか誰彼と無く問いかけてみたい気持ちです。

すっかり忘れてたけど、山岸とか十兵衛って、このとき12歳という設定だったんだ。

笑顔の現場

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「初めての試みなんだけれど、観に来てくれる?」

トンネル工事の専門技術を持つ寿建設の森崎社長から連絡をいただき、福島市で開かれている写真展を訪ねました。トンネルや道路の傷んだ部分を補修したり、積雪時の除雪に機材を出したり、路傍の雑草を刈り取ったりという、人の目に触れない工事現場を主題に撮られた写真展です。

このような工事の仕事をインフラメンテナンスと呼ぶのですが、橋にしろトンネルにしろ、作られて何十年も経過するとぼろぼろになるわけで、これから先その件数はとんでもない数に跳ね上がっていくそうです。それがインフラクライシスの時代。誰かが修繕していかなければ、道も川も危険な存在になってしまうのです。

トンネルの内壁の「向こう側」って、地山との間にコンクリートを充填して固めていくのですが、古いトンネルほどアーチの上の方は充填しきれておらず、そこに地下水がたまって内壁から染み出し流れ出す。東北じゃ冬場はでかいつららができていたりします。こういうのは極めて危険な状況で、森崎社長のところでは地下水のたまっている部分を見つけ出し、小さな穴をあけて排水したのち再充填して補修する技術を持っています。

「この分野の仕事は何事かが起きてからでは意味を持ちません。何もなくて当たり前でなければいけない。でもね、劣化し壊れたものが自然に回復していくこともないんですよ。そういうことを広く知ってもらいたくて」

というのが森崎社長の思いです。

それらの現場を撮影したのは、ご自身も阪神・淡路大震災で被災した写真家の山崎エリナさん。彼女の友人が森崎社長の友人でもあったという縁で、この企画が実現したとか。約一年をかけて様々な現場が撮影されました。

山崎さんと少しの時間、対話ができました。

「はじめは工事の迫力や重機のごつさに圧倒されていたんですけど、そこで仕事をしている人たちがとても生き生きとしていて、笑顔がかっこいいんです。インフラのメンテナンスを撮らなくちゃいけなかったんですが、いつのまにか作業している人たちの表情ににじり寄ってしまいました」

建設の世界を撮るのは初めてだったそうですから、こんな機会はまたとないです。まだ各地に縁の下で支える現場の笑顔が沢山あります。

山崎さんの被写体ジャンルにぜひ加えていただきたいです。とお願いしちゃいましたが、よーく考えてみたら、こんな機会だったら「僕のクルマ、もうすぐ70万キロになるんですよ、撮ってくれませんか?」って言えばよかったんじゃないか?

写真展は31日までやってます。福島信用金庫本店の隣というか、後ろにある同信金相談センター内にギャラリーがあります。

1984 鈴鹿四時間耐久

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唐突に鈴鹿の話を振ってしまうばかりか、8時間ではなく4時間耐久。しかも34年も前のことを書いてどうするんだ? と、自分でも思います。4時間耐久レースは8時間決勝の前日(本年は今日。台風12号の影響が心配)開催ですが、1984年はヤマハXJ400ZSが優勝した(と思う。忘れてる)歴史は置いといて、最多ラップをホンダVF400Fが刻んだ(はず。うろ覚え)もほっといて、スズキが優勝してしまう話を無理やり発掘します。それ前提でないと話が進まんのよ。

この年、前年にホンダがCBR400Fを登場させた話題に対抗し、スズキが繰り出してきたのがGSX‐R。400ccクラスの群雄割拠とレーサーレプリカ台頭の頃でした。当時の十代少年、一馬力一万円とか言いながら貯金していた時代、Rを59馬力から65馬力にチューンし、4名の高校生が2台を出走させ、そのうち1台が走路妨害を受け転倒しながらも、まあ逆転優勝しちゃうわけです。あ、4時間もあるのにかなり端折ってしまいましたが、とりあえずそういうストーリーなの!

この高校生ペアの1人は、後に全日本250、世界選手権500のライダーに成長しますが、84年の4時間耐久では、実はもう1台のGSX‐R(左図)が、なんと74馬力もの無謀チューンの末ドタバタ劇を展開し、なんだかんだで結局優勝してしまうというパラレルな話もあったのです。さあ大変だ、さすがバイクレースの甲子園。まるで77年F1のSV01改対トドロキスペシャルみたいなことが、4時間耐久でも起きていようとは。貴方はどっちの優勝を支持します?

ギリギリセーフ。

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完成。

三日間の土用干しが終わって、無事瓶詰め。
毎日毎日焦げそうに暑いと文句垂れながら、すっかり忘れて今頃に。
慌てて干し始めたら曇りがちだし、台風出来ちゃうし(爆)
とりあえず三日とも日は当たったから良し。
さて、床下収納庫に仕舞おうっと。

BLUEの称号

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青けりゃいいってもんじゃなくて、そこまでやるのかというのめり込みが欠かせないことが「こりない」・・・じゃなくて「BLUE」の称号。

マミポコさんの7型G16A、リビルド専門業には委ねず、彼女の主治医のメカニックさんが自ら全バラして組み上げるそうです。メカニックさんご自身は直6のエンジンを積んだ日産を20年来手入れしながら乗り続けているとか。その眼と腕前で組み上げられるエンジンとは、なんともうらやましい。

マミポコさんのエスクードは新車で購入して320000キロ台。時々フェリーで久米島に渡ったりするも、この走行距離を沖縄県内だけで刻んでいるというのがすごい(ちなみに沖縄本島を一周すると約400キロほどだそうです)

彼女と知り合った頃から「いつやろうかどこまでやろうか」との相談を受けていましたが、その頃、8年ほど前はまだ220000キロで、「腰から下までオーバーホールするならもう少し先でもいいのでは」と引っ張ってきました。今回が10回目の車検にあたり、ここが決め時だろうと大手術が行われています。

メカニックさんの考え方や処方については、いずれスーパースージーの連載にて紹介しようと思います。こういうパートナーシップで手掛けられるエスクードは、たとえジムニーシエラがあらゆる面で凌駕しようとも、オーナーが目もくれないでしょう。申し分ないほど「BLUE」の称号にふさわしい(ありがたくないとか言われそうだけど)

マミポコさんは「お嬢様」と呼んでいるそうですが、この際だからBLUEの冠をつけて何か命名したいところです。

すやすや。

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昼間ここにいるの久しぶりねぇ。

酷暑から解放されて、おのおの好きな所でお昼寝中。

風くるかい?

・・・食われてる?

いちだけ妙な所に潜り込んでますが。

TT800 あと2500km

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独りFレイドは目的地がたった1か所の往復だったので、体力温存が可能でしたが、朝イチで青森市役所に出かけ午後イチで能代市に赴きそこから秋田市となると、これはもうタイムトライアルなのです。だからといってオーバースピードで走るわけには行きませんから、肝心なのは相手とのアポイントメントの時刻を上手に設定できるかにかかってきます。このことについては毎度、行き先でコンタクトする人々には助けていただいております。更に最近は「あと何キロくらいですか?」と聞かれるのが恒例化(笑)

今回は秋田から素直に北上市をめざせばいいものを、全行程を800キロに持ち込みたくて、わざわざ大曲で横手へ進路変更して新庄まわりをしています。体力的にはその方が楽なのです。しかもこの日は青森で19℃、秋田へ行っても22℃というありがたい気温でした。エンジンルームに熱のこもる初代エスクードにとっては負荷を軽減できるのです。

しかし逃れられない消耗はタイヤ。トレッド面が削れていくのは当然のこととして、サイドウォールを見ると、ここ数回の北東北移動距離が顕著で、かなり熱による変質を受けています。むー・・・昨年新調したフロントはともかくデューラーAT694のままのリアはもうそろそろ限界か。というところで、700000キロまであと2500キロを切りました。とか言ってたら本日、片道460走る羽目に。でもって明日は八戸から基地を目指すことになりましたよ。もってくれよエンジンもタイヤも・・・

どれから食べよう。

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夏だー。

庭に水撒きしたついでに、新月サンが収穫してくれました。
キュウリは糠漬け。
トマトはスライスして塩・コショウとオリーブオイル。
茗荷は冷奴で、ピーマンは・・・どうしようかな。
無限ピーマンでも作るか(笑)

今年は食うさ

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自分のブログに出てくるかき氷というキーワードを拾ってみたら、かき氷のことに触れてはいても、ほぼ食っていなくて、たぶんこれは食ったかなというのは2016年の「暑気払い」のときくらい。でもこのときにはスイカが切られているので、僕はきっとこちらにかぶりついていて、かき氷には手を出していないような気がします。

 

しかし今年はもうかじりつかずにはいられませんよ。天然氷がどうとか特製のシロップがこうとかいうブランド吟味も必要ないですよ。

かき氷の日(実は本日)というのがこの一両日話題になっていると思われますが、制定されたのは意外と最近のことです。その話はやはり2016年の「氷か風呂か」で触れています1930年代の山形県に限らず、当時の内陸に今年のような気圧配置が来ていれば、かなりの気温になったでしょう。40℃の世界となれば、人的被害も少なくなかったはずです。

その山形での日本最高気温記録にちなんだのがかき氷の日で、その後最高気温は他所で更新され、遂に一昨日、熊谷市で41.1℃という凄まじい塗り替えが行われてもなお、記念日としては固定されています。しかし今年の猛暑被害は気象庁が災害レベルとまで発言しましたから、かき氷の日を記念日として話題にするのはけしからぬとか言われてしまうかもしれません。

先日、BLUEらすかるのエアコンが故障した折には、久しぶりにロックアイスとクーラーバッグで飲料水を冷やしながら移動し、ロックアイスが融けきったら今度はヘッドレストと後頭部の間に挟んで頭を冷やし、最終的にはそれをボトルに移して飲み、余剰分のパックはあとでウインドウォッシャーの補給に回すなどをやりました。

こんな夏がずっと続くとして、いや、夏が続くのは個人的には好きなんだけれど、命に係わる気象という報道がなされていながら2年後のオリンピックに対しては、日中プログラムはせいぜい30分から1時間程度の開始時間繰り上げで凌げるという対応策。打ち水作戦なんてのもあるそうですが、どれほどの水をまけばいいのか想像できませんし、ゲリラ豪雨の存在などは忘れられた感があります。

ケムール人がやってきたとき日本人総出で熱中症にあえいでいたら、逆に侵略されずに済むかもしれませんが、国際大会の是非以前に気温と水と電気のことを考えておかないと危険じゃないのかなと感じます。ま、これで再来年が冷夏だったら杞憂に終わって良しなんですけど。

しかし現実的には再来年どころか今の暑さ対策だね。

「今年は誰も暑気払いやらないの?」などとうかつに話題にできない・・・

熔けるぞ。

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暑いんだってば。

「おかーちゃんがえあこんつけてくんないの」
と、当てつけのようにこんな場所に。

・・・だってあんたらエアコンつけたら部屋から出てくじゃないか。
(夜、寝室にくるけど10分も経たず出たがって鳴く)
エアコンつけたらリビングに監禁ですがよろしいか?