リビングでぼーっとしていたら
カッタン・・・カチっカタカタ
と、怪しげな音がするので見に行ったら・・・
洗濯物入れる籠(網)の中で困ってるゆき。
遊ぶのは構わないけど、そのまま転げ落ちないでね。
出られないでち・・・
スタッドレスタイヤを外してオールテレーンに戻す作業の最中、フレームについた擦過傷を確認して愕然です。右に据え切りするときだけ、いやーな音がすることがあるのは、先日入れ替えたDМ‐V3のときから始まっていたのですがこれほどとは。
夏冬ともタイヤ規格は一緒。外径も幅も変わらないので、アライメントが狂ったかストラットの取り付け角度が歪んだかパワステベルトに故障が出てきたか。
最近、入手できにくくなったはずのオールドマンエミューがなぜか楽に注文できたので、リア用のランチョとともに取り寄せ中です。据え切りをしなければ当たらないけれど、早いとこ直したい。
この機にブレーキパッドも交換しましたが、通常だと7万キロくらいが限度の純正パッドが、今回は10万キロ耐えました。ブレーキ踏まないもんなー。
週末の雨で、土曜日まで満開だった近所のソメイヨシノも見納めです。ことしは桜と菜の花の見ごろに梨の花が八重桜を追い越し追い付いてしまう暖かさです。
天狗の森はいよいよ腐海の様相になってきました。いやそうじゃない、花々と新芽の入り乱れで賑わい出しています。
熱血だった時代
三期12年にわたって千葉県政を舵取りしてきた森田健作さんが、本日付で退任となります。知事就任の折、仕事柄インタビューを申し込んだら千葉県はお高く留まって「5分で」とかぬかしやがって、「それだけの対話で公の場に原稿が活字になって表れて、知事の品位を逆に下げてもいいならそれでやりますが」と応酬したのが一昔前のことです。前知事の堂本さんだって30分は割いたというのに、結局15分で軟着陸して5分オーバーさせてやりました。
あーいや、県政とその後の話はどうでもいいんだ。なんで森田さんなのに水戸市の挿絵を出しているかというと、これが50年前にさかのぼるのです。
放送は71年の秋になりますが、当時森田さんが主演していた「俺は男だ!」で、剣道の全国大会が水戸で開かれ、青葉高校剣道部の面々が神奈川県から遠征してくるのです。ところがいろいろあって、試合当日、森田さん演じる小林弘二は肩を脱臼していて、結果的に負けるという展開。竹刀一本で同好会を打ち立て、共学化していたけれどウーマンリブ風潮で女子優位だった学校に新風を巻き起こしながらの、挫折の瞬間が水戸の街に待ち受けていたのです。
ここでなんだってLJ10が挿絵に出てくるかというと、弘二の肩を脱臼させた級友にして強敵の、西条を演じた志垣太郎さんが、これと同型のジムニーに乗って、仙波湖の辺りを走るシーンが出てきて、おそらく僕が初めて見るジムニーの姿がこれだったと思われます。えっ、高校生でクルマ乗ってるの? しかもデビューして1年程度のジムニー!というところは、西条くん不良で1年留年経験の転校生という役(なんと銀座でスナック経緯している)。水戸市から大洗町だったか那珂湊市(現ひたちなか市)だったかにある(設定)実母の営む喫茶店に赴いた帰路、ジムニーが故障して弘二が迎えに来てその場で行きがかり上決着をつける決闘になり、蹴りを入れられ肩を痛めてしまうのでした。
「俺は男だ!」は、80年代に映画化され森田さん主演での「完結編」を描き、船乗りになっていた弘二が青葉高校に呼び戻され、荒れた校内を鍛え直してほしいと依頼される。教員免許関係がどうなっていたか忘れましたが、あの学校は私立だったはずだから、講師扱いか。弘二は持ち前の熱血で挑みますがしらけられて相手にされないながらも、一部の学生には興味を持たれて、彼等に接するために自動2輪の免許を取りに行きます。
この教習所が、後に霰や霙の通った笠間市内の学校です。しかし突っ込みどころがあって、まったく適性が無く原付の免許しか取れなかったオチがあるんだけれど(ちなみに教官は笑福亭鶴瓶さん)、高校時代の水戸遠征の折、学校に内緒で水戸市内の宿泊先から大洗(那珂湊?)決闘の場所まではオートバイで来てたじゃねーかと。
そういえば西条編と水戸遠征は、津雲むつみさんの原作には無い脚本でした。熱血の時代と、地元がほんのわずかに出会う回。ついでにジムニーを初見していた半世紀前のお話です。
世界の平和を守るため
「仮面ライダー」の第1話を、実は僕はリアルタイムで見ていません。なぜかというと当時、茶の間のテレビのチャンネル権は大人にあり、その中でも金曜日に放送されていた、しかも「仮面ライダー」放送開始の前日から始まった「帰ってきたウルトラマン」の権利を獲得できたため、土曜日の枠は得られなかったからでした。そんなわけで祖父母とともに、太平洋戦争を描いたアニメーションの「決断」を見せられたのです。「帰ってきた~」の前にあった権利は「謎の円盤UFО」でした。
しかし祖父母は様々な手段を駆使して、やれ風呂に入れとか布団を敷いてこいとか僕の背中をたたき、「8時だよ全員集合!」にチャンネルを変えるという暴挙に出るのですが、それに抗えない子供の悲哀。要するに翌年、「ウルトラマン見ていいんだから仮面何とかはだめ」と宣告されてしまったのでした。
偶然にも、その祖父母が旅行で不在の時、テレビを占有できて初めて見たらば、画面では一文字隼人が「お見せしよう、仮面ライダー!」などとしゃべっているではありませんか。ですから本郷猛を見たことのないまま、「仮面ライダー」と邂逅するというかなり間抜けな展開であるばかりか、それを補完するために読んでしまったのが漫画版の「13人の仮面ライダー」ですよ。本郷猛、ショッカーライダーに射殺されちゃってるじゃありませんか!
自分の中では大混乱です。見かねたお袋が自分の洋・和裁作業部屋にモノクロのテレビを設置してくれて、一文字編をなんとか見始めました。それはそれで、茶の間に孫がいないと不機嫌になる祖父母のプレッシャーも受けることとなるのですが。
ところがこの年の年末、祖父母はありがたくも温泉に出かけて年越し。つまり72年の元旦に放送された「死斗! 怪人スノーマン対二人のライダー」をカラーテレビで(笑)、リアルタイムで見ることができ、ここで初めてテレビシリーズの本郷猛と巡り合うのです。後に後楽園(まだドームじゃなかった)で、アトラクション会場に置いてあった本物のサイクロンを目にした時の感動ときたらもう、書き出したらパニックでしょう。そんな紆余曲折から、とうとう50年ですよ。
だからってこうくるとは!
仮面ライダーシン(真=真・仮面ライダー 序章)の立場がないじゃん。というより、もはや「シン・」ブランドは歯止めのかけようがないモンスター化の道を這い出しているような雰囲気です。「シン・」つけちゃえば埋もれた遺産をどんどん発掘できるかもしれない。って一瞬、「シン・さよならジュピター」って不謹慎にも思っちゃったよ。
と思っていればこんなことに!
なんだかこう、ここまで乱発が続くと原作者が怒って化けて出てくるんじゃないかって気がしなくもないです。「シン・」ブランドと同様、この路線が使えるのなら「人造人間キカイダー・02」「ロボット刑事・K」「雷神・イナズマン」「見参!変身忍者嵐」なんて論法も可能だよなあ。
遠く離れて地球にひとり
新ウルトラマンが地球に帰ってきた日から、50年が経ってしまいました。
初代ウルトラマンの時には僅差で「マグマ大使」にカラー放送初の巨大ヒーローを持って行かれましたが、新ウルトラマン(しつこいようだけどシン、ではないし、ましてやジャックなどと呼びたくない)は、約三年弱のお待たせで「帰ってきた」、正当なウルトラの星からの後継者なのです。でも第二次怪獣ブームの先鋒は「宇宙猿人ゴリ」に持って行かれました。
科学特捜隊ムラマツ班のサブリーダーというエリートではなく、地球防衛軍の防衛網をすり抜け隊員となってしまう元々宇宙からの戦士と異なり、新ウルトラマンが出会った地球人は平凡な自動車整備士。その青年のウルトラ戦士としての成長譚が軸になり、時には怪獣に敗退するし侵略者の罠にも陥る。夕日が似合うと言われながらも「なんだか弱い」と揶揄され、所属する怪獣攻撃隊も何かというと解散させるぞの恫喝を受けた部分がクローズアップされましたが、批評によると第一クールの大人っぽいシリーズ構成が「子供受けしなかった」ということらしい。
当時の記憶を絞り出して考えると、そうだったかなあ? と反論したい気分になります。むしろハヤタやダンは、怪獣や侵略者がやってくるステージに立たされた存在で、郷秀樹は逆にそういった舞台を与えられた中でどう立ち位置を示していくかを見せてくれていた。「人間ウルトラマン」であることが、ヒーローとしての存在感を際立たせたと思うのです。まあそれらは今の僕の言葉が紡ぐもので、子供時代の僕にとっては、ヘルメットも隊服もМATのマークも、全てがスタイリッシュでかっこよかった。
ビルの内部構造としては一部あり得ない科学特捜隊、大掛かりで見惚れたけれど「サンダーバード」を意識したことは間違いないウルトラ警備隊。もちろんそれぞれ、突込みよりもかっこよいシークエンスは大好きですが、МATの場合も地味になりながらもなかなか凝ったカットを差し込んでいるし、少数精鋭部隊を描くうえで、ウルトラホークのような超兵器からは一歩引いた、割とありそうな装備を空でも海でも表現しました。マットジャイロなんて、ティルトローター機は時代を先取りしていたのです。
国際平和機構の地球防衛庁という組織形態は、自衛隊を凌駕するかもしれない武装を日本国憲法第九条下においても運用できたことで、防衛庁(当時)を脅かす存在として疎まれた部分も多かったとみられます。その軋轢を、自らの上層部からあてつけられる姿は子供心にも納得できなかったけれど、それこそ進退を賭けて超兵器使用を阻止する「現場の意志」というのは、新ウルトラマンと同等に信頼を深める存在でした。
スポンサーの意向で「帰ってきたウルトラマン」でありながら、初代とは別人の新ウルトラマンとなった事情はあるにせよ、レトロフューチャーな前作と異なり、70年代に70年代を舞台にしたドラマを残したことが、今見ると古さを感じさせません。初代やセブンの頃よりはドラマが理解できる少年に成長した分だけ、僕にとっては臨場感を伴う番組でした。あれ? 50周年とか言いながら、ウルトラマンのことほとんど書いてないじゃないか。
我 侵攻セリ 和邇さんの手記060
既に雷蔵めのサイトにも侵攻を果たしたのぢゃ。
見たか我が帝国の恐ろしさ。
・・・なにを寝ぼけたことを言って・・・
・・・・
ああっ!
てなわけでして、本日より2021年度。
追記 4月2日付で侵略鰐は捕獲しましたので、サイトの状態は変わっております。
ちょっとだけ贅沢な夕飯。
桜の満開は入学式の風物だったはずでしたが、ことしは特に前線の足が速くて、ついでに花散らしの雨も手伝ったりして、花見の設営どころではない。と思っていたら天狗の森には「さくら祭り」の幟が延々とたなびき、連日よその県からの来場者が絶えない様子です。さすがに野外の宴席は激減しているし、泥酔して路上昼寝やらへたくそなカラオケ大会のスピーカー音も無くなりましたが、これをやらないと落ち着かないという風潮と心情は見てとれる桜見物が続いています。
樹齢から来る開花の勢いも場所によって変化していて、とっておきの桜が少しずつ衰えを隠せなくなったり、いつの間にか立派になったなと感じさせるものが育っています。河津から始まり(今年は伊豆並みに早かった)ソメイヨシノや枝垂が駆け足で通り過ぎていきながらも、このあと八重桜が五月までつなぐという趣向は、実は笠間市に合併する以前の町の観光政策によるものでした。だけど将来、季節感だけがずれていってしまうのは食い止めようがないかもしれません。







