道路っ端にすくすくと伸びたアザミ。
住宅じゃない同士の境界じゃ誰も抜かないわな。
気づいたら1Mくらいに育ってまして、結構な数の蕾がわんさか。
毎日2~3輪ずつ咲いてます。
・・・ところでナニアザミなのかしら? 蕾はこんなだけど。
先日、岩手県の仕事で出かけた公共施設のいろいろな場所に四人掛けのテーブルが配置されていて、そこで小一時間ほど原稿を書いていたのですが、テーブルごとに置かれているコーションプレートのピクトグラムによれば、休憩と飲食は可。ミーティングと勉強は不可。という利用上の注意が出されていました。
むむ? おれ仕事しちゃったけど、これは勉強と同格かもしれない。
といっても結局は近くを行き来する施設の職員にとがめられることもなかったのですが。だから向こう側のテーブルにも勉強中の道具が見受けられます。一応注意はしたよ、沢山の利用者がいるから長居にならないよう気をつけなさいよ。というところにこのプレートの真意があるのかもしれません(小一時間は長かったのか短かったのか、どきどきだな)
ふと思ったのだけれど、近くのテーブルで自習していた高校生と、別テーブルの大学生は、学校が休みの日にまで学校に出かけて自習するという習慣はないんだなということ。まあ高校生の場合だと制服でないと登校できないうえ、スマホもいじれないだろうから避けてしまうのか。
コーションプレートのルールを厳守すべきかどうかという論点はまた別の話題なのですが、学生の行き場として自習を黙認するこの施設のスタンスは悪くないなと感じます。
普通ならば日の出が早く昼の最も長い日と呼ばれる夏至ですが、ここ数日夜明け前に走り出して現地へ向かい日暮れの後に作戦室に戻るという行程が多いので、なんだか年がら年中夏至か白夜かという生活パターン。しかし当然のことですけど仙台なんて北緯39度をちょっと越えた程度の街ですから、夜になれば当たり前に暗くなります。
これが北緯66度より北だったら、今頃は白夜の季節。禿山の一夜のような精霊のざわめきを経て、週末には聖ヨハネの西端に基づく夏至祭がやってきます。
日本では伊勢市の二見興玉神社で夫婦岩をめぐる夏至祭が行われていますが、北欧あたりだと縁結び的な迷信や信仰はもっと庶民的に拡散していて、それはもう精霊の力が高まってますからアレをこうすると将来の伴侶を見ることができるとか、それをああすると未来の伴侶に出会えるとか、そういうのが各地にあるようです。
その辺のエポックが日本に乗り込んできていないのは意外といえば意外ですが、北欧のような短くも最適に過ごしやすい季節を活かし子供の夏休みや夏至祭休暇をる土地風土でないから、これらが土着しないのも仕方がない。
それだけの高緯度地域となると、夏至の頃早々とミッドサマーとも呼んでしまうところが、夏が短く貴重なのだとも感じさせられます。北欧でも最も気温が高くなるのは7月のようですが、夏至の頃というのは民俗的にも宗教的にもひとまとめにしてしまえという凝縮感があります。まあ日本でも企業団体組織は総会やら役員改選やらで右往左往してはいますが、賑わいの本質が違うというか、白夜もないのと同時に6月は祝祭日も無いんだよなあ。
ニュース番組を見ていて、視聴者撮影映像の増殖に違和感を覚えるのは、僕がそういう時代に馴染まない古い人間になってきたからなのだと思います。
「お客はね、おあいそ、なんていうこっちの世界の言葉を使うもんじゃない」
こういう作法で社会勉強してきたから、と言えば分りやすいかもしれません。
多角的に情報を伝えたいが報道クルーの数では手が足りない。昨今誰もが撮影ツールを手軽に所有している。それが動画サイトや個人のSNSなどにすぐアップロードされる。
しかしそこには禁じ手の意識も必要ではないのかと。一般市民が好奇心で携帯端末の撮影装備を事件・事故・災害に向けたとしても、それが好奇心でなかったとしても、歯止めが効かないとしてもです、マスメディアがそれに頼ってはいけないのではないか。
視点をがらっと変えて、ふとイメージするのは、報道の世界の働き方改革だとか担い手確保といった就労環境の行き詰まりが、こういう状況を生み出しているのかなあということです。
これはSF的与太話ですが、それならいっそ報道部から事件・事故・災害担当記者とカメラクルーをすべて排除してしまって、ニュース番組は全部視聴者投稿で作ってしまえば・・・人件費がかなり浮くぞ。
・・・いやいやいや、それはそれで恐ろしい世の中になりそうだからやめときましょう。だから、マスメディアには、市民投稿なんてものはモフモフしてたりほっこりするようなジャンルだけにとどめておいてほしいと思うのです。
先週の水曜日。
アトレーが動かなくてドタバタした後、家に帰り着いてお茶啜っていたら、ふぅを撫でていた新月サンが「げっ!」
何事かと思ったら
「ふぅの耳、腫れて熱もってる・・・」
「げっ!!!」
明日と明後日、かかりつけの獣医さん休みだよっ!
触ってみたら、確かに猫の耳とは思えない厚み(汗)
ほっぺが爆発した時の薬を使っていいものかどうか悩んだ挙句、本猫がさほど気にしていないのと普通に食欲もあるので様子を見る事に。
二日の間に腫れモノは破れて、私の布団がスプラッタ・・・
土曜日の午前中獣医さんに連れて行ったら、のまちゃんの中で大鳴き。
(のち、鳴き過ぎて吐かれた・・・)
「膿殆ど出ちゃったわね。腫れも治まってるから塗り薬で大丈夫かな」
と、先生が消毒しながら触診してたら
「あら、中と外に穴があるわ。これ噛まれたわね」
「でん助だっ!」
・・・遊んでほしくてじゃれるんです齧るんです・・・
殆どはいちに絡むんですけど、たまに婆にゃに突進するんです・・・
ひとまずは大事にならなくて良かった。
傷は快方に向かってます(結局、ほっぺ爆発の時の消毒薬と塗り薬を使ってます)
外房沖の地底の動きが気味悪いなと思っていた矢先に大阪での大地震。日常、防災や注意警戒と意識していても、それが来るときは防ぐことができません。
そして東北でも熊本でも、最初に来た地震が本震ではなかったという危険をはらんだ時間帯に、近畿地方はまだあります。どうか事後の混乱が最小限にとどまりますよう、今は祈念することしか一個人にはできません。
とは言いながらも、大阪の友人とはコンタクトできており、必要なものが出てきたときにはなんなりと連絡して、とのネットワークは作っています。どうやって短期間で送り届けるかの限界もあるのですが。
先だって、宮城沖地震、中越地震、岩手宮城内陸地震、東日本大震災、熊本地震とよくまあそれだけ当たったものだという国の災害査定経験者の人と対話していて、身につまされたことがひとつ。
「私の立場で公にはこういうことは言えないのですが、発災のとき、災害対策マニュアルというものは役に立ちません。ただしその場に、過去の災害を経験した人がいるかいないかで、マニュアルの効力は変わっていくんです」
実に切ない話ですが、そうなんだろうなと思わされましたし、マニュアルも何も持たずに仙台に来て間もなく東日本大震災を食らった自分を振り返ると、安否の分け目というタイミングは運だったとはいえ、確かに経験しないとわからないことばかりでした。
個人単位で情報端末が使える時代、その情報が膨らみすぎて判断を鈍らせることもあるし、要らぬ声を発する場面もずいぶんありました。被災地の方々にはくれぐれも、惑わさせない情報と声を伝えなくてはと痛感します。
本震かもしれない余震にお気をつけて。悪化している天候にもご注意ください。