Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

さよならのかわりに。

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女の子だからピンク。

ふぅが最後の2週間だけお世話になった、たび助のかかりつけだった先生からお花が届きました。

なんだか申し訳ないなぁ・・・

マラソンクラス5台目

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エスクードマイレッジに登録されている300余台の歴代エスクードの中で、しろくまさんが走らせるTD01Wが、2月2日に500000キロに達したとのことです。ここへ到達したのは登録車両内ではitoさん、雷蔵、kawaさんに続いて4台目。最長不倒距離の実証を行うきっかけとなった、既に伝説の尼崎のTD01Wも含めると5人目となります。最近「初代エスクードを見かけなくなった」「懐かしい」という声が多いけれど、これだけしぶとく血筋をつないでいます。

しろくまさんのエスクードは、現役500000キロ越えの中で唯一、5速ミッション搭載で1600ccであるというところも希少価値です。世の中にはこれくらい走っている個体が他にあるかもしれないし、いずれここへ届いてくる個体も必ずあると思われますが、その励みになります。

しかも、しろくまさんも一度走ると恐ろしい距離を移動する人なので、そのうちBLUEらすかるの距離を越えていくかもしれません。

走る阿呆に居る恵方

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節分です。が、何の関係もなく猿ヶ島。こじつけるなら「2019年の恵方は東北東」「つくばーど基地はSSC出版の東北東に位置する」という強引な論理で、TD51Wを運転させてもらいに出かけたのですが、これまた唐突に引き合いに出すならウエストウインの島社長が「J20Aの直4は最高ですよ」とおっしゃる意味がよくわかりました。

例えばこの浮き砂利の斜面。二階堂裕さんが乗るBLUEらすかるは楽に登りますがそれは車高を上げてあり大径タイヤだから。ノーマルでリアサス抜け気味規格品ラジアルタイヤの二階堂さんの51Wを運転して突入するのは覚悟がいりましたよ。斜面の直前に溝まで掘られて横切っている。うわこれは刺さるぞっ と思ったけど、そうはならず、助走なしで腹もこすらずどかどかと登ってしまいました。

あらためて初代の直4の2000が持つレスポンスの良さを認識しました。フロントは明らかにV6よりも軽い。だからストロークが不足している足回りでも、アクセルワークとタイミングでけっこう行けるのです。ただし、泥ねい地だったらどうなのか、そこは粘りのあるV6が、排気量差のトルク分も手伝って有利かもしれません。しかしそれを差し引いても二階堂さんのTD51Wは、30万キロものだということを感じさせないエンジンでした。

二階堂さんのあとを追随して(人様のクルマだと思ってなにやってんだか)走っていて、BLUEらすかるの足の動きも観察でき、それだけに

「いやいやいや、さすがにそこはノーマルじゃ無理でしょ」とビビりましたが、スタックもしなければ致命打も与えず、2度ばかりフレームをこすった程度で、ノーマルのエスクードでもけっこう走れるものだと再確認できました。

で、帰路の途上、やはりSSC出版の恵方の方角にフジ・オートがあるのだよと立ち寄ってみたら、こんな風景が・・・

うーむ・・・サンダとガイラかアボラスとバニラかグドンとツインテールかゴジラとビオランテ? 「居るとは思わなかったわ」来るとは思わなかったよ」てなオチと相成りましたよ。

東北はやっぱり大陸なのよ

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東北は大陸だ。と言ったのは僕ですが、その元のコピーはJR東日本による「東北大陸から。」というCMです。島国日本で大陸なんて、どれ程誇大広告なんだよ? と思われるでしょうけれど、自分で走ってみると、この言葉は実感を伴うのです。日本橋から国道4号で青森市に行って帰って来るだけで、片道700キロを越える。陸送のドライバーや高速バスの運転手は偉大だと思います。僕の感覚だと、仙台あたりまでで最初の「いやになってきた」感覚が過ぎります。

おそらくそれは西へ走っても似たようなものなんでしょう。それを踏まえて東北が大陸というイメージは、たったひとつの地方でそれだけ広いからだという表現なのです。仙台暮らしをできたからこそ、青森までの距離を半分で済ませてこられましたが、東京から走ると仙台でいやになり、盛岡で絶望感が湧いてくる。以前、毎年のように浜松から大間まで走っていた酔狂なエスクード乗りもいました。彼に言わせれば、酔狂呼ばわりするならその前に自分でやってみろよという話(笑)

この、大陸を実感するボーダーラインが、僕の中では盛岡の北に横たわる北緯40度線です。勿来でも白河でもなく、ここを越えてこその東北大陸。まあアメリカに存在したルート66に比べたら、片道700なんてかわいいもんなんです。それでも、国道4号を起点から終点まで縦断とか、北緯40度を太平洋から日本海まで横断とか、そういったレイドを東北在住の間に実現できなかったことが悔やまれます。東日本大震災への遠慮を、どうにも払拭できませんでした。

東北ではあまりイベント企画できなかったのが残念です。

新番組

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てなわけで、昨日まで杜の都、今日から花の都。

電車の乗り方なんか忘れちまったよ。

こっちが婆ロス。

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ドキドキ

ふぅ婆が旅立って、緊張の糸がプッチリ切れまして。
吐き気と発熱に見舞われて寝込みました。
「やばいインフルだったらどうしよう(汗)」
と、慌てて病院へ行きましたが。
37.6℃っていう微妙な温度と喉の痛みも鼻水も出てないという事で「胃腸炎ですね」と診断されました。
「胃カメラのんだ事ありますか?」
「ありません」
「じゃ、念の為検査しようか」

・・・こんな軽いノリでいいのか?
そんなワケでついでにピロリ菌の検査もして参ります。

さよなら仙台

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振り返ったら最初の縁は2001年の3月。先代らすかるが200000キロを刻んだ場所が、宮城県庁のそばでした。実はそれ以前の東北行はすべて、仙台なんかすっとばして岩手県以北にばかり出かけていたので、この街はおろか宮城県をほとんど知らないままの、気まぐれなドライブでした。

ま、それにしても当時です。200000キロくらいで大騒ぎしちゃってるんだから、かわいいもんです。

まさかその10年後にここで暮らすことになろうとは。1000年に一度とやらの未曽有の災害を喰らおうとは。そのまま居つくことになろうとは。という仙台になりました。

うーん、結局は東北人ではない自分。パンドンを倒しながらも満身創痍で帰還するわけでもない自分(なんだその喩えは)。それでも、いくらかは後ろ髪を引かれながら、帰路につきます。・・・基地を通り越して厚木経由ですが(笑)

 

ちんまりとはしなかった。

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たびと同じサイズでした。

たびとちぃもお世話になったところで、ふぅ婆さま無事荼毘に付されてご帰宅。友達が最後のお別れにと持って来てくれたお花と並んでおります。

係のお兄さんが21才という年齢に驚いていましたが、年の割にふっくらとした体に綺麗な毛艶にも感心(?)していました。
で。お骨拾う段になって「年齢考えると、大抵は火の勢いに負けて崩れる事が多いんですけどね。かなりしっかり残ってますね、この猫ちゃん」と更に吃驚。
よく食べてたもんね、ご飯(度々体調は崩したけどさ)
こんなところで食欲魔猫の効果が出たか・・・。

そして風邪ひいたチビずは婆ロスのショックか、良くなる気配がありません(泣)

蒼いし懲りないし

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今の自分よりもずっと若くして鬼籍に入った賢治の言葉は時々難解だしさまざまに解釈されますが、これに感化されて東北に何かしらの憧れを抱いたのが十代のころ。銀河とか巨きな力とか、誰も中二病などとは言わなかった。

で、そういった概念や観念には、今でも毒されているわけです。熱を無くしたらおしまいなのよ。とか。蒼くがきっぽいけど、本音。

 

〆の晩餐

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たぶんほぼ初めて仙台を訪ねたとき(というのも、中学生の頃鉄路で宮城蔵王にスキーに来たことがあるので、初めてとは言い切れない)、牛タンの店を見出せずに普通に焼肉を食って帰宅していました。

それはそれでうまい肉屋だったんですが、北環状線沿いにあったはずのその店は、転勤してきたころ既に無くなっていました。

震災被災するまでの一カ月ちょっとの期間、物珍しさに駆られていろいろな店の牛タンを食い歩きするというお約束をしました。が、初仙台(ほぼ、初)で焼き肉だったことを思い出し、仙台〆の贅沢も牛タンではなく仙台牛にしました。

いやその、知りませんでしたよここに住むまでそんなブランドがあることを。だから真っ先に米沢とか前沢に出かけていたのですが、仙台牛もまた上質の和牛で、A5しか扱わないという生意気この上ない特選な品書きです。まあそんなですから気軽に暖簾をくぐれなくて、この8年で数回も食っていなかったので、どうせならポンド級でと思ったけれど・・・そうもいかない(笑)