我が家の苺。
収穫する前にナメゴンに喰われたとか、腐ったとかで放置された実(種)から出たらしいちっこいのがあっちにもこっちにも・・・
新月サンに言ったら
「ああ、毎年出てくるよ。ランナーから育ったのが一杯あるから抜いて捨てちゃってるけど」ですって・・・
苺も発芽するんだねぇ・・・って事は、買ってきた美味しい苺も埋めたら芽が出る???(よしなさい)
信じなくてもいいが、我はネコ科の眷属だ
マミポコさんが陣中見舞いに送ってきてくれた風景に佇む、もう濃すぎるキャラなシーサーさん。現地では少し離れてもう一体、阿吽の吽状態な白いやつもいるんですが、これを見てつい連想してしまったのは獅子ではなくカプセル怪獣のミクラスでした。似てるのか?って言われると、まったく似てないんですけどね。だいたいミクラス自体は古代インカ帝国の儀式に使われていた仮面がモチーフらしいですし、なんとなく水牛っぽい。
ミクラスに牛を感じるもう一つの理由は、ウルトラセブン放送当時にソフビ人形を作っていたマルサンが倒産し、再構築されたのがブルマァクで、会社のマークがバッファローだから。その頃僕にはマルサンの記憶は無く、ウルトラの人形だとブルマァクだったため、ミクラスはそれに気を使ったと勘違いしてました。ミクラスのデザインは青森県出身の成田亨さんですが、セブンを企画したのは沖縄県出身の金城哲夫さんという縁もあり、シーサー風味が入っても不思議は無いと思います。
事実、セブン版ではなくウルトラマンメビウスに出てくるミクラスなんかは、かなりシーサーアレンジが入っています。
しかしシーサーは水牛どころか古代オリエントのライオンを原点に遡る伝説の神獣だそうですから、極論を言えば狛犬ですらなく、猫の眷属らしいのです。でも、こいつの対になっている「吽」の白いやつなど、どう見ても犬なんですよねえ。
並んだ(ゾロ目ではない)
充実の安全装備。と・・・
1400ターボのエスクードも意外な速さのマイナーチェンジ。ハンガリーじゃ更に1000ccターボという新機軸さえ存在するわけですから、初代のとき以上の進化ぶりです。
今回、フェイスリフトよりも安全装備の充実にエポックがありそうです。まあこの車に限ったことでなく、自分の右斜め後方って大きな死角ですから、そこをサポートする機能は歓迎すべきです。
細かい話はカタログでも眺めていただくとして、四代目では三種類めのグリルデザインが、JB23末期モデルのそれを思い出させる方向に来ました。
1400登場時のグリル変更は好評だったようですが、僕に言わせれば「なんでわざわざ日産車に似せる?」なデザインでした。で、今回がなんというか、あれですか?「スズキ伝統の~」? 1600の最初のグリルには、日本刀の鎬と刃文のような趣があったと僕は思っているのですが、そう感じる人はいなかったみたいね。
それより年上じゃだめですか?
「昭和40年男」という雑誌のこの名前が、既に僕らの層をターゲットにしていないのねという寂しい思いをさせるものなんですが、マブチの水中モーターやら野球盤やらトランシーバーやらスパイ手帳(!)を取り扱っているのをみると、それらってむしろ僕らの直撃アイテムばかりだよねえと、羨ま嫉妬な気持ちになります。
そんでもって、仮面ライダースナックカード。1番からラストの548番まで、全552枚が掲載されています。
雑誌通りの年代で考えると、ライダーカードの時代、昭和40年生まれの少年少女はまだ6歳かそこら? 当時、一袋20円(消費税無し)という価格とは言っても、彼らにこのスナックを買い求め、カードを集めようという意識や行動が伴っていたのかなあと、ちょっと首をかしげるのです。ラストナンバーが548なのに~しかもこれがゲルショッカー首領というとほほな図柄~全552枚なのがなぜなのかなんて、後付け知識なら別ですがリアルタイムで収集していなかったら知らない話ですよ。
記事を書いているライターさんは、プロフィールによればまさしく昭和40年生まれのようですが、書き出しでいきなり「ライダー、へんしんっ!」と仮面ライダー登場の時代を綴る。いやいや、本郷猛は初期の変身では決め台詞もポーズもとりませんのだよ。
さて僕の周りには、昭和40年前後生まれの友人が結構たくさんいらっしゃるのですが、ライダースナックを貪り食って(あ、それは僕だな)カードを集めていた人ってどのくらいいるのか?
「集めてた」「集めてなかった」でコメントにて統計をとってみたいのですが、ご協力ください。かなりの数で、昭和30年代の人になるような気がするんですけどね。
なんですと!? ~マニワガタイヘン~
栃木県那須町のチーズケーキ工房といえば、つくばーどでは公私ともに昵懇にしていただいたお店だったのですが、この度「エーデルワイスカフェ」とかいう、べたべたな名前に変わってしまいました。
摩庭さん、どうしちゃったんだっ? 先月おじゃましたときには何も言ってなかったじゃないですか・・・
MANIWAファームは2008年に開業した、彼の地では隠れたスポットだったのですが、少し前に皇室の方々が遊びに来られてから有名になっていき、自分のところじゃホームページすら持っていないのに、どんどん口コミで人気が広まっていたのです。
しかしやっぱり、ことしの猛暑で乳牛にも負担がかかったのでしょうか。こんなべたな名前に鞍替えすることになろうとは・・・
などといつまでもフェイクニュースなことを書いてると叱られるだろうからこの話を切り上げますと、これは3年後の夏の風景らしく、13日に放送された「黄昏流星群」の最終回のほぼ最後にあったシーン。摩庭さんのお店がこのシーン以外にも出ていたかどうかは、そもそも僕はあの原作と漫画を描いている人と画風が大嫌いなので、ドラマも見ていないから知りません。じゃあなんでこの件知ってんだ? と言われれば、先週出かけてきたという、取引先の女子ーずから教えられたからです。
で、フェイクな話ではなく、摩庭さんによると、「1月6日のNHKだったかなあ。にも出るかもしれません。撮影に来るとか何とか言ってたけど、どうなんだろうね? ほんとに来るのかな」ということです。番組は新日本風土記か何からしいですが、そこは見てのお楽しみと言うことで。






