ぷらすBLUEの車検を通さねばならないので主治医のところに打ち合わせに行くと、若葉マークのついたTDA4Wがいました。主治医は嬉しそうに
「私がこれまで走らせてきた距離をあっという間に乗っちゃいそうな勢いですよ」
と言っております。あっちもこっちも世代交代・・・
シン・ゴジラを観てもいない人間が言えることではありませんが、巷の絶賛の声の中に「怪獣なかんずくゴジラ映画のハードルが一気に高くなってしまった」というものがあって、そこは言葉通りにシン・ゴジラがとてつもないスタミナをもって真正面から作られたことに間違いはないと思う一方で、「それだけが怪獣、ゴジラ映画のありかたではないでしょう」とも感じます。
ハードルはね、すべて蹴倒して走っても失格にはならないのです。ま、陸上選手がそれをやらないのは、蹴倒していると速く走れないから。でもクリエイティブな仕事をする人は、上がったハードルを蹴倒す威力で臨めばいいと思うのです。
昭和のガメラ対ギャオス以降と平成のガメラ三部作を引き合いとして、怪獣特撮映画のクオリティや、ガメラへのリアリティーな考え方がハードルを上げた事例もありますが、その三部作のあとに作られた「小さき勇者たち」のような事例もあります。三部作はいわば対バルゴンの世界のフィーチャーと言えるハードワークな対戦で、ギャオスにもその片鱗は残るものの、昭和のシリーズは子供の味方路線が始まっていきます。「小さき勇者たち」はそちらに矛先を戻してジュブナイルとして上手に成立させた映画でした。それはある意味、ガメラを袋小路から救い出したかもしれない、幅の広がりを与えたと考えています。
だから臆することなく怪獣映画としてのゴジラもやっていけばいい。
ただ、ゴジラもまた、なんぼ作ってもゴジラ以外の何物でもなくて、新しい看板を掲げたことにはなりません。映画会社は若手にこそ新しい創造のチャンスを与えてあげてほしい。ハードルが上がるというのはそういうところで体験させればいいのです。そうは言いながらも、これ(上の挿絵)はもうゴジラじゃないけどゴジラパロデイでは脱帽の逸品。
そんなわけでもうそろそろ内容に触れてもいい頃合いですかね。いや僕は観ていないのでよそからの引用ですが、
圏央道の西側が完成し、桶川加納インターチェンジが利用できるようになったことで、フジ・オートへの行き来がかなり便利になりました。しかしそのまま進むと国道17号の反対車線に位置する同店に入れない。ってことでインターを降りた直後にちょっとばかり、角をどう曲がって路地裏を進むかのコツはいるようです。住宅地を横切っていくので移動はより慎重に行わねばなりません。で、そのルートは勘で成功させたため、とても言葉で説明できません(だめじゃん)
すでに同店のFacebookにて紹介されていますように、前後のデフオイルとトランスファーオイルの交換をやりまして、交換は済ませたのですがトランスファーオイルのドレンボルトがつぶれていて、鏨で叩いてもびくともしないほどねじ込まれてしまっていたため、いわゆる上から吸出し・交換せざるを得なかった。これから稼働率が上がり、次に冬が来るのですぐには預けられない。この部分の修理整備は来春まで待たねばなりません。
春以降店頭に出ていた赤いコンバーチブルが、きれいさっぱりとノーマル仕様に戻されていました。タイヤ規格の問題で、オーバーフェンダーが外されたから外にはみ出しているだけ。これもタイヤ自体を交換するとのことで、新しいユーザーのところに送り出すことが決まったそうです。
さて帰路と言えばこれまで加須か久喜までうねうねと地方道を走り抜けていたのですが、今度はわずか2~3キロで桶川加納インター。楽ちんです。しかしこの間、コンビニもガソリンスタンドも無し。そりゃー不便だなーと思ったけれど、ちょっと進んだら菖蒲パーキングエリアが完備されていて、休憩給油とちょっとした買い物も可能でした。ただしスナックフードは18時まで。食事も21時までというのを頭に入れておかなくてはなりません。
どこからともなく聞こえてきたのが「19歳の誕生日にシルバーアクセサリーを贈られると幸せになれる」という話。
またか!(3月にもそういうことがあったのだ←本文ではなく写真のみ)
ことしは霙にとってはイベント続きの年回りです。大学へ進学できたことや自動車運転免許を取得したこと、TOEIC受けたら700点台にのっかったらしいこと(なんだ試験ばっかりじゃん)。で、選挙投票の義務を十代初世代で果たして、ティーンエイジャー最後の誕生日となりました。
もはや自分がその年齢の頃何をしていたかなんて思い出せません。たぶん、シリーズも途切れがちだったからウルトラを観なくなっていた頃で、彼女が生まれる前年から再びウルトラに出会っていくような年月を経ているのです。と、自分のことを書いても的外れなので霙にスライドさせると、来年のことになりますが二十歳の年回りがウルトラマンダイナの世界に追いつくようです(ダイナの主人公、アスカ・シンはどうやら設定だとねーちゃんの霰と同い年らしい)
もうね、いつだったかムラマツキャップだとかキリヤマ隊長の年齢を越えてしまったときに愕然としたものですが、娘が現役のネオフロンティア世代なんだもの、避けようがありません。古い友人に言わせれば、未だにウルトラやら特撮やらで遊んでいるとーちゃんより、娘の方がちゃんと大人になってきたと。
ななな、なぜそこへまとめにかかる!
で、本日・・・
「お父さん、後輩の子が日本女子オープンで逆転優勝したですよ」
・・・日本女子オープンてなんだ?
↑とかまったくわかっていない父親は乍ら仕事でつけっぱなしのテレビとパソコンを交互に見ていたのですが、テレビの方はずーっとゴルフ番組を流しておりましたよ。
「仮面ライダー1号」というタイトルをわざわざ使って作った映画の背景には「本郷猛が1号というのは2号以降が出てきたからそうなったのであって、本来、本郷猛は『1号ライダー』ではなくて『仮面ライダー』なのだ」とのプロデューサー発言がありました。ならばタイトルに1号と振らなくともいいわけですが、そこは「いろいろあって」と。振ったからには『1号』であって、そこには『1号以降の仮面ライダー』を、つまりは意識しているのだと吐露しているような気がします。
仮面ライダー3号なんてキワモノをやって、客寄せのような4号までやってしまっていて、配信モノとしてアマゾンズも来年シーズン2です。プロデューサー自身が「仮面ライダーXのリプロダクトはやりたい」と話している。そこまでやって、『仮面ライダー2号』を素通りしてしまうだろうか?・・・
と考えたとき、これはあるんじゃないか? と根拠もなく確信してしまった場合、『2号である以上1号がいる』という構図をはずすことはできないだろうと思っています。そして「1号」であの本郷猛を描いたとしたら、どうしたって
それこそが、一文字隼人の復活にふさわしいプロットだよね、と。もちろん当時の仮面ライダーとその後の客演を終わらせてからの、佐々木剛さんが辿った数奇な運命を知らないわけではありません。その失われた年月を背負っているからこそ、藤岡弘、さんの40数年以上に重い盟友としての価値観を感じます。何が言いたいかというと、そういうアジテーションというかプロパガンダでもって、軽いとは言いませんが案外つまらない企画が囁かれないはずがないなということです。
もしも、何かの勢いでそうなってしまうとき、「1号」のときのようなノリとポジションに胡坐をかくだけで物語をまとめることもできないような脚本家に、ホンを委ねてほしくないということです。
「2号」の物語というのは、『仮面ライダーを作ってきた者』ではなく、『仮面ライダーを見て大人になった者』でなければ描けない物語なのではないかと言いたいのです。
後藤誠司選手がエスクードに乗り始めて6年め。そのエスクード自体が19年前のクルマです。考えてみればオルタネータが寿命を迎えるのも当然の話で、しかもこれが壊れるのはほとんど予兆なく来る時が来ます。レース当日に、というのはなんとも不可抗力。
そんなタイミングで壊れるなんて「ドラマじゃあるまいし」じゃありませんが、その後の展開はまさしくドラマでした。
「エンジン停まった! オーバーヒートもしてる! 島さん呼んでーっ」
という後藤選手のコース上からの悲痛な叫びは、オープンソースの無線なので島雄司監督にも聞こえています。エンジンフードから白煙・・・じゃない水蒸気を上げるエスクードに駆けつけると、後藤選手は突然下がった電圧と再始動できないイグニッションの因果関係を調べるべく右往左往。
点検の末、オルタネータの故障と判断して電源の応急処置を施しピットに押し戻しますが、電動ファンが回らないという二重のトラブル発生。しかし時間が無いため他の車両から充電しつつ序盤を戦うこととなりました。
その後、調達された新しいバッテリーに載せ替え再度チェックをしていたところ、電動ファンに絡むヒューズが外されていたことが判明したのです。
どうやら後藤選手が右往左往の最中に、あちこちの電気系統をカットしようと何本か外したヒューズの1個がそれだったようです。
・・・絶句というより、笑っちゃいけないけど抱腹絶倒。その局面でも後々大馬鹿エピソードを残す後藤選手のこれもまた笑いを絶やさない才能かもしれません。かくして広島遠征は終了。今季は11月末のTDA最終戦へとスイッチが切り替わっています。