無事出来上がった実家。
物置やら離れやらに置いてあった家具を洗ったり(車庫に置いてあったものはホコリだらけ)拭いたり移動させたり。
普段使わない筋肉を使ったらしく、変なところが痛い・・・(単に運動不足)
まだダイニングテーブルしか置いてない新しいリビングは、広々してて気持ちよかった♥リビングの天井が無垢板張りなので、玄関入っただけで木のいい香り。新しい家、いいなぁ。
あー、この広い空間にチビず放ちたい(笑)
実は7月の末近く、週末の夜中にジェーエーシーの蔵王リサイクル工場が火災に見舞われ、工場棟の半分が焼失しました。原因は調査中ということで、プラスチック廃棄物のリサイクルプラントだけに鎮火に13時間を要したとかで、設備の損失は大きな痛手となりましたが、怪我人も行方不明者もなく延焼にも及ばなかったことが不幸中の幸い。鎮火の翌日お見舞いに訪ねたところ、同じ敷地内の事務所棟は無傷で、みなさん気丈に復旧を開始していました。
5年前に東松島にあった本社施設が津波で壊滅し、機能を蔵王工場に移して奮闘してきただけに、火災というトラブルには同情を禁じえません。敷地の高台にあるJAC’SVillageは通常営業して健在です。ただ、この夏までにいろいろ事情が重なったようで、レストラン・コンテッラのシェフが不在となり、開店当初からアピールしてきたフレンチスタイルを断念したことが、二重に悔やまれます。現在は昼夜共通でパスタ3種類を軸に、季節の野菜を取り入れ工夫を凝らしています。
厨房はスーシェフだった姐さん(いやそれ誤解を招く表現だろ)が切り盛りしていますが、彼女の持ち味はパスタだけではなく、前菜のサラダ類の味付けです。季節ごとに様々な果物をベースにしたドレッシングが面白く、付け合せの野菜の味付けが絶妙です。昨日立ち寄った時にはニンジンのスライスを甘酸っぱく漬け込んでいましたが、葉物に使っていた苺ベースのドレッシングとはほんの少し異なる爽快感がいかにも夏らしかった(すいません、写真撮らずに食っちまいました)
コンテッラが新しいシェフを迎えるのか彼女がずっとシェフ代行を務めるのかは不明ですが、これまた負けず嫌いな彼女も気丈に笑っていたのがかえって心配。かなりストレスをため込んでいるみたいで、ご自身がぶっ倒れないことを祈るばかりです。
花塚山とは、おおむね福島県川俣町に位置する約900mの同町最高峰のことで、僕がその存在を知ったのが仙台転勤直前のこと。宮城県丸森町にある瑞雲寺というお寺の副住職さんが手掛けたホームページ内の巨石探訪コンテンツにたどり着いたところに始まります。
2010年12月の話で、翌月転勤となり、これまた偶然、2011年1月末、NHK仙台放送局がたまたま再放送したドキュメンタリーを見て、富士山遠望北限を知るに至ります。
松本さんもこの番組のキーパーソンとして登場しており、この当時北限からの富士山撮影がいつ実現するかで、地元は沸き立っていたのだそうです。
が、3月11日が巡ってきます。山を越えれば浜通りという位置関係から、放射性物質の影響で登山どころではなくなり、花塚山はこのまま封印されてしまうのかもしれないと感じながらも、このころはそれこそ自分の日常もそれどころではなくなりました。
しかし、さらに翌年、縁があって川俣町の町長さんと対話することができ、それからの花塚山について復旧途上の話を得るのです。それを綴ったのが、そこから富士は見えるのかの一部内容。この記事がどういうわけか、コメントも入らないのに未だに検索ヒットされるけっこう上位で、北限遠望を関心事とする人は多いのだなと、その後の花塚山界隈として昨年、にぎわう夏へを書きましたが、まあこれも誰もコメントなんか書いてくれませんでした。
この間、僕の知る限りでは花塚山からの撮影成功というニュースはありません。それでもヒット数を増やし続ける花塚山(すでに情報として古すぎです)に、これ如何にかした方がいいのか? という切迫感も手伝い、思い切って松本さんをお訪ねしたのです。
「震災の2年後から登山撮影を再開しました。生態系が随分変わり、イノシシなどとの遭遇危険がありますから、注意を怠ってはならない」
そう説明しながら松本さんが話してくださったことは、結論から言えば公式に認定される決定的な撮影は実現していないこと、それほどに気象条件に恵まれるチャンスが少ないこと、ここへ来てこの手の遠望研究ツールとして活用されていた三次元地図ソフトの最新バージョンでは花塚山から富士山は見えない?というデータしか得られなくなっていること(そりゃひどい話だなあ)などなど。
「気持ちで見えてしまった、は、いけないのです。しかし肉眼では確認のしようがないほど、富士山頂が手前の稜線から頭を出すのはほんのわずか。言うなれば親指の白い半月ほどもない」
上の図版は、松本さんがメモ書きしてくださった図に着色したもの(元のメモは前編の珈琲写真に添えてあります)。げげげ・・・というシビアなターゲットなのです。
「これはね、自己満足の世界なんですよ。公式に認められた私の写真はまだ無いのです。でも、これはきっとそうだろうというものはあるのです」
たいていの場合、白河の山並みの向こうにある、宇都宮あたりの稜線が、富士?と錯覚させるとか。それでも松本さんはあきらめていません。様々な研究と、試してみたい撮影を考えておられます。北限からのファインダーに富士山が現れる「その日」のために。
好きで好きで辛抱たまらないのか、特撮版を断じて認められないのか。作り手の意図はいろいろあるのだと思いますが、まあ創りたかったんだろうなあ。
2週間、全国2館とあっては、残念ながらリアルタイムでは観ようもない。それでもソフトを出してくるだけ優遇されているのでしょう。
早いとこ力をつけて、全国展開できる長編を動かしてほしいです。あーでも、その頃には別の作品作っているんだろう。そうでなければいけないですから。
マツダ内部で初代ロードスターのレストアや部品供給に関する検討が始まったとか。実現すれば来年後半からビジネスラインに乗ってくるとか。
古き良き愛すべき車で言えば、初代エスクードのそれこそ1型だったら昭和の車ですよ。でも仮にスズキがこういうことをやるとなれば、やっぱりジムニーになっちゃうのでしょう。
でもでも、初代のジムニーのレストアはともかく、部品供給(一説によると今でも出てくるらしいが)にどれだけ企業アピール度があるか。それにメーカーがやらなくともすでにサードパーティーでそれができるのがジムニーですし。
思い切りひいき目で見てしまいますが、こういうことを何かの間違いでスズキがやるなら、エスクードでやってほしいしやる価値が・・・多少は、いや微塵くらい、ある・・・んじゃないかなと(微塵じゃやってくれねーってば)
聞いた話によれば、エスクードコンバーチブルに関して、それに乗っている人々以外でこの車を評価してくれているのって、実はロードスターユーザーに多かったりするそうですよ。