夢への一歩め
円谷英二さんが故郷・福島県須賀川を離れ上京したのが大正5年、つまりちょうど100年前のことでした。この上京は、パイロットを志して日本飛行学校へ入学するためのもの。しかし学校自体が波乱続きで円谷さんは翌年に退学の憂き目に遭います。そこから空を飛ぶというイマジネーションを抱き続け、50年を待たずに特撮技術監督として名を上げていくのは有名な話ですが、上京から50年めというのが、あの「ウルトラQ」誕生の年。
世に云う「ウルトラシリーズ50周年」という本年は、円谷さんの夢(挫折とそこからの立ち上がり)の戸口から100年という年回りでもあります。
その年の7月、「ウルトラマン」の放送が始まり、また50年が過ぎて、ウルトラマンを継ぐものはあっても越えるものが出てきたかといえば・・・ここは人の主観でまちまちですが、とにかく50年、また50年の夏なのです。
次の50年の世界、ジェフ・トレーシー率いる国際救助隊が活動しているその頃、ウルトラの100周年は既に僕らには体験できない未来であることをいやでも意識させられる年頃になってますが、挫折の一歩から始まった円谷さんの夢は150年経っても語り継がれているのでしょう。
さて、芋は出来るか?
NASAの木星探査機「ジュノー」が、アメリカ時間では独立記念日のうちに、こちらでは5日に木星軌道に到達しました。ざっと7億5千万キロを5年かけて・・・我々にしてみれば「たった5年かよ」の軌道投入成功です。
この探査機が打ち上げられた頃、自分が何をしていたかと振り返れば、その年の大間(青森県)行きを自分の父親に先を越された憤りで、片道450キロ(笑・・・わずかだなあ)突っ走ってマグロ丼を食いに出かけていました。
その夏BLUEらすかるはようやく35万キロに届いたところですが、壊したり壊れたりしながらことしの夏、さらに25万キロを加算することになります。自動車の走る距離なんて、そんなものよ。
ジュノーとうちのエスクードには何の因果関係もないので、久しぶりに「さよならジュピター」を読むかと持ち出してきました。この作品は何度か書いているように映画の方が興行的失敗以前の駄作扱いが先行してしまい、ノベライズの話題があまり残っていないのも残念。しかし、子供の頃に読んだ「日本沈没」の暗さに対して、宇宙開拓と災害へのアプローチは、フロンティアの描き方としてとても明るい。そこがお気に入りの所以です。
そういえば、小松左京さんもジュノーが打ち上げられるより10日ほど前に亡くなられています。小松さんが「さよなら」を執筆するにあたって取り入れられた木星に関する情報は、77年に打ち上げられ、79年に木星にたどり着いたボイジャー1号、2号の観測データからもたらされました。雑誌連載が翌年からなので、当時は最先端の木星描写(でも木星の最初の場面は「巌流島の決闘」シーンから始まるんだけど)でしたが、ジュノーが観測する新たな木星の情報は、はたしてこの小説の描写を古典化してしまうか、逆に裏付けになっていくか。興味はそこにあります。
あっ、でも木星幽霊なんてのはさすがに無いだろうけどね。
十年紀
いやそんなのもう古いでしょ。と思ったらあの変な仮面ライダーが通りすがってからまだ7年。7年したら「死語だわなー」と感じていたのに、「海街diary」の連載が10年にもなっておりましたよ。おそるべし季刊連載。機動戦士ガンダム THE ORIGIN(安彦良和さんで月刊)のときに10年かかってましたけど、単純に三分の一ペースな「海街」
それはまあ長く読みたいけれども、こりゃ長くなったらこっちが白内障出たりアルツハイマー出たりでついていけなくなっちゃうかもしれないぞと、そんなことが脳裏をよぎる年頃になっちゃってます。連載の方はまだ2年分くらいの時間が経過した程度でしょうか? 漫画の登場人物ってつくづくうらやましい。
こっちはこの前始まった2016年を、もう半分食いつぶしちゃってますから(なんかね、ことしは個人的にいろいろな年回りなのに、実は忙しいだけで何もできてねーという実感が強い)。
2006年を後日振り返ってみようと思いますが、Bレイドだけでも2月、4月、8月開催という無茶振り。2月と8月にはつくばーど一泊イベントも兼ねています。そればかりか5月に横浜中華街で飯食って次の日天竜川まで走りに出かけたら、翌週は利根川で焼き肉食っていて、6月に富士浅間大社で一眼レフとコンデジを3台かかえて新郎新婦の撮影やってたかと思えば7月にオフロードコースで泥んこになって翌々週に青森まで走ってました。写真記録を見ると、その合間に夜会があったり個人の旅行があったり、俺って仕事してたのか?状態です。
翻って「海街diary」は、連載第1回目を読むために「ラヴァーズ・キス」以来十年ぶりくらいで女性マンガ誌を買に出たのです。作者の吉田秋生さんによれば、海街は鎌倉舞台の2作目で、鎌倉三部作という構想を持っているそうですから、この作品はおそらく次の単行本第八巻で完結するのかもしれません。そのうえで鎌倉舞台の漫画はこのあとも長く引っ張ってもらいそうな予感。しかし・・・なんと言いますか、誰だよこいつ! というほどのアフロ店長の変貌ぶり・・・
高原でもあっついぞぉー
一つ積んでは母のため~ 和邇さんの手記010
二つ積むのは父のため~。チリ~ン…。
仕事の終わりが見えません。賽の河原で石を積んでる気分…。明日の夜明けまでには終わるかなぁ。もう数字がボヤけて見えて、さっきなんか給与の金額二桁間違えて入力してたもんなぁ。いきなり2500万円も口座に振り込まれてたら、ビックリするだろーなー。
『アタシのバイト、朝の仕込みと開店準備だけ済ませたら出かけるから、それまでに仕事片付けときなさいよ!スタートには間に合わなくても先にゴール地点へ行って待ってるんだから。わかった!?』
鬼娘、怖い…。
あー、さっきからそこで見ている身体が半分透けてるアナタ!ボーッと突っ立ってないで手伝いなさいよ。え、突っ立ってるわけじゃない?あ、足がないの?足が無くたって手があるでしょ!手を使うから手伝いって言うんだよ。ボヤボヤしてないでこの書類シュレッダーにかけて!
やっぱり憑かれているのかなぁ。ユンケルと眠眠打破買ってこよ…。
Fレイド前夜の和邇さんでした。このあとお花畑が目の前に広がっていったらしいですが、あまりに凄惨でそこまで原稿採用できません。
かくしてレイドへの出走は間に合わなかったものの、ルート後半からの撮影班として駆けつけた和邇さんとお嬢妹でしたが、
『なんで私だけ仕事なのーっ! 職場行きたくなーいっ!』
という姉からの絶叫メールが届きました。この中途半端な天候も、和邇娘1号の呪いかもしれません。ダークサイドに堕ちたあと、地底深く封印されていた“顕さざるものたち”を味方につけ、更なる邪力を得たようです。このあと如何なる天変地異が起こるやもしれず、てるてる結界の強化をお願いしたいところでございます。
・・・やれやれ
これぞライダーと言われているけど
「仮面ライダーアマゾンズ」のテレビ放送(BS朝日)が本日より1クール分(2クールめは制作中)オンエアが始まるそうで、ネット配信の方では「眠くなるほどスロースターター」という批判の一方「こういうハードなやつを見たかった」「これぞ仮面ライダー」との講評論もあります。
まあ確かに地上波で日曜朝にやっているものよりは、ハードでグロテスク。アマゾンらしいと言えば、らしい。
だけどこれは「仮面ライダー」なのか? という疑問は拭い去れない。もちろん劇中じゃ一言もライダーなんて呼んだりしていませんが。
先の「1号」だって、自分自身の出自があるから仮面ライダーと認知できるだけのことで、仮面ライダーという記号は何を示すのか。そろそろ軸を固めなければならないのでは?
土用でも鰻でもありません。群馬県で建設中の八ッ場ダム近くの道の駅で出している「八ッ場ダムカレー」。国土交通省関東地方整備局の面々や建設企業の人々や地元の方々が、「ライスでダムを作ったら、結局食うときダムを壊すことになる」というこだわりから、陶器のダムでカレーとライスを仕切る趣向でこうなってます。どうやって食えばいいかと言えば、作法があります。まずこの仕切りは絶対に取ってはいけない。
ライスを一口分スプーンに乗せ、それをカレーに浸してから食うのです。ダムを取っ払って決壊などさせてはならないのです。
・・・うるせーっ、こんなものこうしてやるーっ
という暴挙に出ようものなら・・・
出ようものなら・・・
仕切りを置く場所が無くて自分が困ります。
あーいや、ダムカレーはこの際いいのよ。本日は第五回Fレイドの開催です。中軽井沢から宇都宮まで、誰が一番良い燃費で走るかを試すのです。
でもひたすら走ればドライバーだって腹も減ります。八ッ場ダムの道の駅あたりが、ちょうど昼時に良いかもよ。という話。
さて10台が出走したレイドの結果は、SPFYOさんのTDB4Wがリッター12.3キロで3位(クラス3の優勝)、suuuさんのTD01Wが14.2キロで2位(クラス1の優勝)。そしてふっじいさんのスバルサンバーが17.4キロと他を寄せ付けぬ総合優勝。計測は単純に満タン法を採用しましたが、出走した全車がカタログ燃費数値をクリアしております。サイトレポートはこちら。








