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  ~懲りない傾向~

三十年の過去を見るか今を見るか

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スーパースージー誌上発行人である二階堂裕さんが随筆する「ジムニーロード」は、幾多のジムニー関連記事を読み飛ばしても(おいおい、この雑誌でそれやったらどこ読むんだよ)必ず拝読するページですが、ここには時々、エスクードに関するコラムも登場します。二階堂さんがスズキ在籍時代にエスクードの開発に携わったことは周知の話なので置いといて、携わったからこそその方向性に柱も芯もあるというのは今も変わらないし、変わってはならないことです。

エスクード30年目の幕開けに繰り出したのは、開発で意識したのが三菱パジェロだったというエピソード。それは聞いたことが無かった。「ジムニー乗りが次にほしくなる四駆」と唱えていらした目標に初代パジェロを据えていたのはちょっと微笑ましいというか、嬉しいところがあります。かくしてジムニー以上パジェロ未満(性能ではなく排気量などの車格のこと)が誕生し、あろうことかそのニッチな市場を一大マーケットに押し上げ、SUV時代の呼び水にしてしまった。

その功罪は、意外に知られていないけれど無視できない歴史でもあります。そしてエスクードもこんな逸話を語れるのは、過去が風化したからともいえるし、エスクードというブランドがなんだかんだと30年続いていることにもポイントがあると思います。ただし二階堂さんは、柱と芯の立場からエスクードが代を重ねるごとに乗用車化しパジェロの轍を踏みつつあると憂えています。氏の立ち位置から言えば生みの親として、4輪駆動車の愛好家として看過しがたい現実を指摘するものでしょう。

氏は「当事者ほど誤りに気付いていない」と唱えるのですが、ここに歴史の流れがあるとも思います。少なくともプラットホームの変わってしまった四代目エスクードは、三代目以上に別物と言わざるを得ませんが、それでも混迷のクロスオーバーSUV世界でエスクードの看板を背負う以上、市場が求める声にエスクードとして応えたということ。以前も書きましたが、市場というフロンティアに挑み続けているブランドでもあるのです。

そこに罪があるかどうかは、見つめるものの視点で異なるはずです。開発者の持論は真摯に受け止めるとしても、愛好家の側は、だからといってそこでエスクードの系譜を断絶させることはしないよ。と言わねばなりません。そのための通過点という意味も、三十周年にはあるのではないかと思っています。

まー肩の力は抜かんとなあ、ですね。

 

ところで

ジムニーの記事なんか云々と書いておりますが、今号、デファレンシャルについての解説記事が組まれています。これは古いエスクードに乗っている側にとっては参考になります。

に・・・忍者?

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思わず戻ってしまった。

通り過ぎた時、目の端に何か居たような気がして振り返ったら猫。
ぴくりとも動かず、こちらの動きを凝視してましたわ。
すまないねぇ怪しいオバチャンで(笑)

で、後日。道を挟んだ反対側の生垣の奥 ↓
やっぱり凝視されたーっ!

見事なサビ柄。

104号はちょっと多いぞ

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TDAリポートではウエストウインが爆走し、コラム・ジムニーロードではエスクード開発史の「そこ初めて聞くよ」というエピソードが語られ、HANGARの高田社長は「速いESCUDO作ります」などと広告打つし、細々と続くながらもエスクードの連載は52回めを数えたスーパースージー104号は、つまり10年に一度の千載一遇(なんかよくわからん表現)な巡り合わせという構成。その大盤振る舞い(笑)となるのが、巻末近くで突如出る「祝」文字付の4ページ企画。

本年5月がエスクード誕生30年となるため(とリード文に唱っているのにジムニーロードでは4月と書いちゃうんだからもう)、01Rを主役に4輪駆動車としてのエスクードを解説しています。なんだよ要するに雷蔵が圧力かけたんだろうよと言われても構いませんが、周年であろうが圧力であろうが記録としてエスクードの記事を載せていくことに手段は選びません。ですから4ページのうち1ページ分ですが、4代にわたるエスクードの変遷もちゃんと扱ってもらえています。

それにしても、こういうときはやっぱりRなんだなあと思わされるわけです。コンバーチブルというスタイルと4輪駆動車とのマッチングとは、僕の中では必ずしもベストとは考えられない。鉄板の屋根に防護されてなんぼの世界(軍用車=ジープの話)だと感じてきたし、進駐軍が乗るジープなんか見たことない世代だから尚更です。それでも、こういうカタチに憧れの意識があるからってのも間違いないなと納得するし、01Rを持ってたからこそ企画も成立したということでしょう。

 

うーんうーん・・・

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シンビジウムは持つぞーーー

義妹がお客さんから貰ったお花を丸投げてきたので(笑)

久しぶりに生けたら勝手が判らんっ!
バランス取れてるんだろうか・・・

その頃の鹿屋

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前号では狼駄さんの「吹き替え」で絵づくりを切り抜けた挿絵でしたが、それは東名高速をひた走るシークエンスが夜であったからどうにかなった作戦でした。

これよく見ればわかりますが、霙が時速80キロしか出せなかったことから(手ブレを抑えるためです)実はスピードメータの針はあとから書き換えてます。

さて後編は夕暮れ前の鹿児島県鹿屋市。20年来変化が少なくて、しかし1997年当時に戻ったなあという風景を狼駄さんに選んでもらいましたが、そこに白狼ことエスクードコンバーチブルを走らせなくてはならない。

どなたでも察しがつくと思いますが、あえてそれを・・・というよりそれしか方法ないのよ。と決定した時点で、あ、どうせなんだからわざとチープな絵にしてしまえと開き直っております。

かくして「1997 帰郷 」は昨日発売のスーパースージー104号にて後編、完結です。

が・・・後編は駆け足すぎでした。1200字という制限はやっぱり厳しい。狼駄さんと再々度ディスカッションして、もう少しだけ鹿屋の描写を加えたものを、彼の「白狼伝」に、いずれ掲載したいなと考えています。

 

シーズン初滑りなのに・・・

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あまり雪ないねぇ(浅間山です)

毎年お世話になる指導員様と、昨シーズンもご一緒した検定一級受けるって言ってた(受かったのか聞いてないや)オニイサンと、小海リエックス行ってきました。

だから私が一番ヘタっぴなんだってばーーー(泣)
体育会系のオヂサンとオニイサンに必死についてく
オバチャン(爆)

案の定二日経つのにまだ筋肉痛です・・・

中辛halfMOON

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実際に行ってきたのは先月26日の上弦の半月の日ですが、当日は午後から雪天になったものの、18時ごろ空を見上げると雪雲を透過して月が朧に光を受けている不思議な景色でした。

そんなわけで満月まで待ってられないので通ってしまう軟弱ものです。相変わらず昼時にはお客がいない貸切状態。

半月の日ですから例のポトフは食えません。クリームシチューは、あれはあれで秋冬期間限定なんだそうで選びどころが悩ましいのですが、この日はチキンカレーを注文しました。シチューとは異なり野菜は煮溶けてとろりとした仕上がりに、あの骨付きチキンが入っております。これにフォカッチャと、コーヒー付きというセット。

半月の日にはお誂え向きの中辛です。

これを昼飯にしている間に、常連さんがこぞって絶賛しているアップルパイを作っていただきました。注文したあと、リンゴをむくところから始まるのです。パイ生地はしっとりしたリンゴの下に埋もれていますが、焼き立てなのでサクサクの美味さです。

さて本日は夜になると下弦の半月。ハーフムーンというよりは、やや三日月っぽいチーズ入りオムレツを試しに行くべきか・・・

朝からやっぱり大騒ぎ

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霰のときより1時間早く午前5時から髪結いと着付け開始。一通りやってくれる親戚の娘さんも4時起きで準備してくれていましたから、周囲の人々には感謝の言葉もありません。学習塾での同期生たちとの記念撮影やら中学校時代の同窓会やらは、もはや定番のコースらしいです。でもってその二次会。

 

ばかやろー、だからそこまで運転手なんか面倒見てらんねーんだよ。

ウルトラ警備隊より東へ

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午前中に到着する予定だったはずの教授さんから9時ちょうど、

「忘れ物をしたので御殿場から一度、取りに戻ります」

というメールがあり仰天。うわー、それもうご自宅から150キロは走ってるじゃない。というアクシデントの末、16時ちょっと前に主治医のところに到着。まあおそらくうちの主治医は、エスクード乗りは誰でも数百キロを平気で走ると思ったに違いありません。

教授さんは、こちらでストックされていた部品の買い付けにやって来たのですが、交換して外したものは送り返してもらい、それを再度、供給元に返品することになります。で、この部品がどこから来ていたかといえば尼崎の業者からという、あっちもこっちも行ったり来たりなお話でした。

ちなみに、教授さんのこの日の走行距離で言うと、たぶんご自宅と基地とを一往復半くらい走っています。お疲れ様でした。

仕事始め前の初仕事。

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初労働。

4日風の吹く中、新月サンがタイヤ交換してくれました。

さて、キャリアも乗せなきゃね。