洗濯物を取り込んで、ハンガー仕舞おうと物入れを開けたら
入った奴が一匹。
・・・いつもは閉まってる扉が開くとこの調子。
新月サンの部屋も興味津々で入ろうとするもんねぇ。
まぁ・・・少しの間放っておいたらそのうち出てくるから
いいんだけど。
たび助みたいに自分ですべての扉を開けないだけマシ(笑)
霙が奈良に出かけているためか、台風28号は洋上をかすめていきそうな進路予想になっています。相変わらずの晴れ女です。仙台基準で言えば、ここ数日の奈良市内はわりと暖かそうで散策にはいい陽気だと思います。
まあその分、こっちは山間部で雪も降ったしかなり寒くなってきてるんですが、10日近くも奈良と京都に行くなんて、それだけでうらやましいわ。
謎の亀石、謎の酒船石、そして謎の人面石(違)と、バスガイドの毛利郷子さん。
そういうのを待っていたんですが、送られてきたのは東大寺の廬舎那仏でした。なんだよー、石舞台古墳にも行ってないのかよー。と、罰当たりなことを言ってる親です。今回は仏教美術と建築の見学らしいので、古墳関係は除外されているとか。
総勢30人くらいで乗り込んでいったはずで、現地では小隊規模で動くとのこと。修学旅行じゃないから、毛利さんも期待薄です(いや、実在しないって)
昔だったらエスクード仲間の誰かしらが冷やかしに走ったでしょうが、もうみんなおぢさんになってしまって、そんな元気も無いだろうと、本人は油断しています。実際、出発する晩の夜行バスの周辺では、妻と同僚のおばちゃんが出没したらしいです(なにやってんだか)
しかしせめて、奈良公園では凶暴な鹿との格闘くらいはやって来てほしいよなあと思ったのですが、のんきに煎餅買って餌付けしていたようです。
まーそうこうしながらうらやましい実況を受信している一方、冒頭の毛利さんにも「実際はどうだかわかったもんじゃありません」と言われている霙の晴れ女ぶりと台風の関係なんですが、26日夜の時点で左図。
団塊の世代が後期高齢者になっていくという年回りに、たぶん彼らが若手としてハード、ソフトの現場で走り回ったであろうあの大阪万国博覧会が再び誘致されるとは。僕の親父なんかは既に齢八十を過ぎているから、その頃既に三十代でしたがそれでも三十代で、大阪万博にも札幌冬季オリンピックにもかかわっていたようです。大阪にはどこかのアパートに滞在する形で数日、万博に連れていかれた覚えがあります。
当時子供だった僕は、未来科学技術のこれでもかというオンパレードとアポロ計画の成果品の洗礼を受けました。その後の日本がなんでこうなっちゃうんだろうと、想像すらする必要の無かった時代。2025年じゃあまたしても僕なんか外野ですが、まだいないけど「孫」(笑 これなんか現段階で想像もつかねーよ)が目を輝かせる時代の幕開けを引っ張り出してほしいです。蛇足ですが「太陽の塔」(あえてロボ)は説明不要でしょうし、「ガンヘッド」は2025年が舞台のSF。
白白白黒黒シルバーシルバーオリーブでした。と、和邇お嬢(妹)から「コンプリートならず」の報。
あらー、これ確か九月ごろに発表されてた(というより春ごろにJB23が発表されたとき予告されてた)1/64サイズのSJ30カプセルトイですな。これはお嬢に限らず和邇さん自身も目を輝かせそう。
お嬢曰く「赤に縁が無いようです」とのことです。シークレットではないようだけれど8度も回して出てこないとは。
しかしお嬢はさらに曰く
あー・・・やっぱり和邇家総出で進撃しそうな予感
それはがちがちの四駆雑誌ではなく東洋経済という媒体によるものだからという点が一つ、そしてやっぱりジムニーというネームブランドへの一定の評価という点も加味されていますが、実に一般ユーザー向けにわかりやすい討論をしています。
わかる人にはわかると思いますが、同じ点をまさしく、30年前にはエスクードがそのように評価され、ついでに半端だ軟派だとも言われ放題だったのです。もちろん悪いことばかりではありませんでしたが、相手が四駆専門からハイソなジャンルまで、ほぼ車雑誌だけに、かなり手厳しかった。
なんでだろうなあとしばし考えてみて、ステアリング形式やらリアサス構造やらフレームやら、その辺は初代エスクードも四代目ジムニーもだいたい一緒なわけで、四代目ジムニーが現代においてそこを指摘されるなら、30年前にとやかく言われる筋合いはなかったよ(笑)と思ってよく読んでみれば、今じゃボール・ナットもリジットも「本物志向」「道具感」として認められちゃうのです。
道具感と言えば、ジムニーにメーカー採用として純正装備されたステアリングダンパーなんて、かつてはアフターマーケットが売りにしていた改良パーツです。つくづく四代目ジムニーは市場ニーズの蓄積を上手に取り込んで作られていると思います。
とすると、初代エスクードは「まあまあクロカン性能がないわけではないんだけど、どちらかといえばそういうクルマじゃないんです」というメーカーサイドの思惑とは裏腹に、クロカン四駆の一新種として迎えられたことが、手厳しい論評を受ける前提になったんでしょう。
それを念頭において、唯一、決定的に四代目ジムニーと初代エスクードの違うところをあげれば、真四角を踏襲して新車感のないJB64をいま出してきたことと、そういう質実剛健が四駆の常識だった時代に、エスクードがこのカタチを産み落としたことに行きつくのです。いやー、だったらもっと生暖かく迎えてほしかったよと、今頃言ってももう遅いんですけど。
しかしです。僕がいま感じていることはそれだけではなくて、20年にわたって我慢を続け市場を護ってきた三代目のJB23が64と比較され、かなり手厳しくダメ出しされている論評の辛辣さです。今さらなのでどなたの、とは書きませんけど、かなりひどいよなー・・・