のまちゃんの怪奇快気祝いに、ちょっと遠出。
家を出るのが遅れて、途中で「お腹すいた」と鳴く泣く人が・・・
じゃあついでに野沢菜と生ドレッシングとお味噌買いましょうかね。と、一旦高速を降りて某スーパーに向かい、途中で見つけた蕎麦屋さんに寄りました。
新月サンはざるの大盛り。私はおろし蕎麦。
きりっと締まってて美味しいお蕎麦でしたわ。
お出かけの寄り道。
夜の遠吠えぢゃ 和邇さんの手記036
我が帝国が誇る秘密農園で栽培しておるミドニカンパムホリシシアスから煮だした成分を、帝国きっての大魔導士様が夜通しかき混ぜ火を通して作り上げたジャムである。
これでヒトのふりして実社会にとけ込んだアライグマなど一発で野生に戻してくれるわ。だが今の時期は甘味の薄い品種が中心のうえ、グラニュー糖をケチったもんだから(笑)、うまいこと効果が顕れるかどうかはなんとも言えんのぢゃ。
とりあえずパン食だけではなく、アイスクリームやヨーグルトでワシワシ消費するがよい!
とか言ってる割には、送られてきたタッパーに添えられている紙片にしっかりと「ブルーベリー」と書いてあるんですよこれが。
ブルーベリーは甘みが強めのジャムが多いですが、新帝国WANI謹製のこれは、そこを抑え気味に作られているので食べやすいし、これ以上甘いのはむしろ別の意味で危険だ(笑)しかし作戦室の台所にはろくな食材がないので、ジャムが主食になりかねません。
まったくもって画竜点睛を欠く話、僕が最初のエスクードを手に入れたのが1989年の6月24日。乗り始めたのがこの年の5月に発売1周年記念として全国400台限定で登場したヘリーハンセン・リミテッドですから、逆立ちしても「エスクードの30年の歴史と自分のエスクード歴」が一致しないのです。
まあどうだっていい話でもありますが、デビューしたエスクードを「なんだこれかっこ悪い!」と思いさえしなければ、この埋められない1年は存在しなかったかもしれません。
ヘリーハンセンの登場記事は、その頃群雄割拠していた四駆雑誌のなかで、今は無くなってしまったオフロードスピリッツが唯一カラー掲載していました。それがいわゆる空色のクルマ。ディーラーで見たカタログモデルの野暮ったい車体色(実はいまその色の幌車にも乗っているわけだが)とは裏腹の、でもこれ自分が乗っているジムニーと同じ色だよ。なにそれ、これだけのことで車のイメージがこんなに変わるのかよ。という驚きを見るのでした。
しかし今考えると、当時の土浦スズキでは割り当てが2台しかないと言われて1台は売れちゃったという状況下とはいえ、銀行の口座を解約して現金払いで買いに行くなどと良くもやったものです。
バブル景気でもあり、馬鹿ですね、「すぐ買うからとっといて」で済んだはずだもの。その後偶然にも、売れちゃったというもう1台と遭遇もするのですが、この頃もっと熱心にエスクードのコミュニティを考えていれば、日本エスクードクラブは本当に実現していたかもしれない(笑)
これが平成という時代の始まりでもありました。で、乗り換えはありましたが未だに僕は初代とその放埓な日々の中に取り残されているのです。え? いーんだよ、好きで残ってんだから。近々勝手に元号の方が変わるだけだい。
ところでここまででどれだけの日数を過ごしてきたのか勘定してもらったら、本日付で10592日だそうです。数字にしたらしたで、全然ピンとこない日数です。代車の三代目なども加えてのことですが、積算走行距離の総距離は現在のところ約150万キロで、これもまた比較対象が見つからないので意味があるようでなさそう。
ただ、僕は平成元年からのユーザーですが、エスクード自体は昭和の終わりのクルマ。その系譜が初代であるとすれば、次の元号に持って行けるというのは幸福なのだと思います。
だからさー、
このタイミングで壊れるなってのよー(泣)
一応注意はしたからね
先日、岩手県の仕事で出かけた公共施設のいろいろな場所に四人掛けのテーブルが配置されていて、そこで小一時間ほど原稿を書いていたのですが、テーブルごとに置かれているコーションプレートのピクトグラムによれば、休憩と飲食は可。ミーティングと勉強は不可。という利用上の注意が出されていました。
むむ? おれ仕事しちゃったけど、これは勉強と同格かもしれない。
といっても結局は近くを行き来する施設の職員にとがめられることもなかったのですが。だから向こう側のテーブルにも勉強中の道具が見受けられます。一応注意はしたよ、沢山の利用者がいるから長居にならないよう気をつけなさいよ。というところにこのプレートの真意があるのかもしれません(小一時間は長かったのか短かったのか、どきどきだな)
ふと思ったのだけれど、近くのテーブルで自習していた高校生と、別テーブルの大学生は、学校が休みの日にまで学校に出かけて自習するという習慣はないんだなということ。まあ高校生の場合だと制服でないと登校できないうえ、スマホもいじれないだろうから避けてしまうのか。
コーションプレートのルールを厳守すべきかどうかという論点はまた別の話題なのですが、学生の行き場として自習を黙認するこの施設のスタンスは悪くないなと感じます。
普通ならば日の出が早く昼の最も長い日と呼ばれる夏至ですが、ここ数日夜明け前に走り出して現地へ向かい日暮れの後に作戦室に戻るという行程が多いので、なんだか年がら年中夏至か白夜かという生活パターン。しかし当然のことですけど仙台なんて北緯39度をちょっと越えた程度の街ですから、夜になれば当たり前に暗くなります。
これが北緯66度より北だったら、今頃は白夜の季節。禿山の一夜のような精霊のざわめきを経て、週末には聖ヨハネの西端に基づく夏至祭がやってきます。
日本では伊勢市の二見興玉神社で夫婦岩をめぐる夏至祭が行われていますが、北欧あたりだと縁結び的な迷信や信仰はもっと庶民的に拡散していて、それはもう精霊の力が高まってますからアレをこうすると将来の伴侶を見ることができるとか、それをああすると未来の伴侶に出会えるとか、そういうのが各地にあるようです。
その辺のエポックが日本に乗り込んできていないのは意外といえば意外ですが、北欧のような短くも最適に過ごしやすい季節を活かし子供の夏休みや夏至祭休暇をる土地風土でないから、これらが土着しないのも仕方がない。
それだけの高緯度地域となると、夏至の頃早々とミッドサマーとも呼んでしまうところが、夏が短く貴重なのだとも感じさせられます。北欧でも最も気温が高くなるのは7月のようですが、夏至の頃というのは民俗的にも宗教的にもひとまとめにしてしまえという凝縮感があります。まあ日本でも企業団体組織は総会やら役員改選やらで右往左往してはいますが、賑わいの本質が違うというか、白夜もないのと同時に6月は祝祭日も無いんだよなあ。
ニュース番組を見ていて、視聴者撮影映像の増殖に違和感を覚えるのは、僕がそういう時代に馴染まない古い人間になってきたからなのだと思います。
「お客はね、おあいそ、なんていうこっちの世界の言葉を使うもんじゃない」
こういう作法で社会勉強してきたから、と言えば分りやすいかもしれません。
多角的に情報を伝えたいが報道クルーの数では手が足りない。昨今誰もが撮影ツールを手軽に所有している。それが動画サイトや個人のSNSなどにすぐアップロードされる。
しかしそこには禁じ手の意識も必要ではないのかと。一般市民が好奇心で携帯端末の撮影装備を事件・事故・災害に向けたとしても、それが好奇心でなかったとしても、歯止めが効かないとしてもです、マスメディアがそれに頼ってはいけないのではないか。
視点をがらっと変えて、ふとイメージするのは、報道の世界の働き方改革だとか担い手確保といった就労環境の行き詰まりが、こういう状況を生み出しているのかなあということです。
これはSF的与太話ですが、それならいっそ報道部から事件・事故・災害担当記者とカメラクルーをすべて排除してしまって、ニュース番組は全部視聴者投稿で作ってしまえば・・・人件費がかなり浮くぞ。
・・・いやいやいや、それはそれで恐ろしい世の中になりそうだからやめときましょう。だから、マスメディアには、市民投稿なんてものはモフモフしてたりほっこりするようなジャンルだけにとどめておいてほしいと思うのです。











