・・・10日以上遅れたけどね。
当日は私が熱出して寝込んでたのでケーキ買ってくるどころでは・・・
大分復調したし、ケーキ食べようかと(笑)
「俺イチゴね、イチゴ」と新月サン。
普通のイチゴショートが一番好きなのだわ。
(それ以外は別になんでもいい)
ご相伴にあずかった私はレアチーズ頂きました。
試合に敗れ勝負にも負けた心境
野望があったのです。もうとにかく中央コンコースの立ち食い蕎麦屋のかき揚げ天蕎麦に七味をふりかけずるずると・・・という楽しみが、実はだいたい8年くらい前にコンコース店舗の一大リニューアルによってできなくなってました。リニューアルも完了した現在、食うぞ! と出かけてみれば蕎麦屋自体が新しくなっていて、まずはカウンターだけど椅子がある。
天蕎麦に七味とか言ってたのに、つい「冷たいの」などと言ってしまって出てきたせいろが「これは十割のつもりか?」というごわごわで、まちがいなく茹で足りない。意気消沈してこれを平らげ乗り換えのホームに降りてみれば、隣のホームの階段下の立ち食い蕎麦屋は昔のままではありませんか。
うわー、しまった。今からあっちへ行ってたら乗るべき列車に乗れないんだよ・・・
ちょっと元気になりました。
普段、後ろのドアは開けませんからねえ。しかも右後ろは四人目が乗らないとまるっきり使われないのが我が家の車たちです。
こんなになっているとは迂闊だったよ。この部分の車体構成パネルは、単価では7万いくらだということですが、交換修理は理想だけれど構成部分が大きくて手間暇がかかりそうなので、錆止めとパッチ溶接で修理です。
東北暮らしの最中、洗車を怠っていたわけではありません。下回りの洗浄も欠かさずやってきました。それでもタイヤからの跳ね上げをもろに受ける部分は腐食の進行が速いですね。
そういえば、この部分も見せてきましたけど先日の二階堂エスクードとのツーショットでは、ぱっと見たらBLUEらすかるの状態の方が断然よく見えます。同じ車体色なのです。エンジンフードなんか別の塗装色と思えるほど、TD51Wは焼けてしまっています。
「これは、あまりよくない」と、二階堂さん、51Wのワックスがけをされたようです。こうして手入れをしてくれると嬉しいものです。車検の残りは2020年11月まで。それまでは乗り続けてもらえますが、さてその頃にシエラのロングがうまいこと国内投入されるかどうか。海外発売の期日に追われて国内版は遅れているそうです。でも来年ってジムニー50周年に加え、スズキ100周年だからね。遅らすわけにはいかないでしょう。
「最近よく見かけるんですよ」
と、霙が言うには、彼女が通学時に一時預けしている駐車場からぷらすBLUEを動かそうとする帰宅直前、だいたい同じ時間帯に駐車場前の通りを赤いTA01Rが駆け抜けていくのだと。
「それさー、タネを明かすとどうってことない話なんだけど、その赤い幌車って、お前も乗せてもらったことがあるエスクードだよ。きっと」
実に簡単なオチですが、AMGさんのコンバーチブルです。
まだ個体所有がはまたにさんだった頃だから、霙は小学生。はまたに夫妻と出かけた折に、後部座席に乗り込んだことがあります。その後彼女自身が幌車乗りになろうとは、という部分は別の話として、そのときの赤い幌車はAMGさんが乗り継いでくれています。
AMGさんはもともと、白い幌車乗りでしたが現在、この白は休眠に入っており、赤を使用中。白についてはいずれ、息子さんが乗り継ぐ構想だそうです。
オチが見えるとどうってことのない話なんですが、我が家とAMGさん宅は半径10キロ圏内の近所で、霙のぷらすBLUEを加えると、この狭いエリアに初代エスクードの、しかもコンバーチブルがこれほど集積しているのです。
先日の夜僕も、ぷらすBLUEで移動中、AMGさんとすれ違いました。エスクードを知っている人が目撃したら、かなり貴重な瞬間だったのですが、そういう人たちの方が逆にいないので、当事者同士は単なる日常で過ごしてしまうのでした。
ぜんさいのむすめ(笑 なぜ東京にいるっ)に連絡をもらって、エキナカのカフェバーで待ち合わせをしてしばしお茶。列車を二本遅らせようと思ったら、ホームにまだ始発がいるではありませんか。しかしどの車両も混雑しているので、グリーン車に飛び乗ったわけですが、停車駅ごとに座席がすべて埋まっていったはずなのに、とある駅で特急待ちの際に目が覚めたらこの有様。まだ土浦にもたどり着いていないぞ。
振り返らなくても怖い。
いかに基地のあるところがローカルかってことになります。だいたい昔の常磐線では、停車時のドア開閉を乗客が行うボタンなんかついていなかったぜ。偏見を承知で言うなら、これこそ超ローカル列車の装備だと思い込んでいた。たとえば特急待ちの駅などで、少なくとも八年まえはアナウンスとともに、運転士が一時的にドアを閉める操作をしていたはずだよなあ。そのうち「乗降するぜ」な「降りますボタン」が取り付けられちゃうんじゃないかと、そこはかとない不安に駆られます。
さよならのかわりに。
エスクードマイレッジに登録されている300余台の歴代エスクードの中で、しろくまさんが走らせるTD01Wが、2月2日に500000キロに達したとのことです。ここへ到達したのは登録車両内ではitoさん、雷蔵、kawaさんに続いて4台目。最長不倒距離の実証を行うきっかけとなった、既に伝説の尼崎のTD01Wも含めると5人目となります。最近「初代エスクードを見かけなくなった」「懐かしい」という声が多いけれど、これだけしぶとく血筋をつないでいます。
しろくまさんのエスクードは、現役500000キロ越えの中で唯一、5速ミッション搭載で1600ccであるというところも希少価値です。世の中にはこれくらい走っている個体が他にあるかもしれないし、いずれここへ届いてくる個体も必ずあると思われますが、その励みになります。
しかも、しろくまさんも一度走ると恐ろしい距離を移動する人なので、そのうちBLUEらすかるの距離を越えていくかもしれません。
節分です。が、何の関係もなく猿ヶ島。こじつけるなら「2019年の恵方は東北東」「つくばーど基地はSSC出版の東北東に位置する」という強引な論理で、TD51Wを運転させてもらいに出かけたのですが、これまた唐突に引き合いに出すならウエストウインの島社長が「J20Aの直4は最高ですよ」とおっしゃる意味がよくわかりました。
例えばこの浮き砂利の斜面。二階堂裕さんが乗るBLUEらすかるは楽に登りますがそれは車高を上げてあり大径タイヤだから。ノーマルでリアサス抜け気味規格品ラジアルタイヤの二階堂さんの51Wを運転して突入するのは覚悟がいりましたよ。斜面の直前に溝まで掘られて横切っている。うわこれは刺さるぞっ と思ったけど、そうはならず、助走なしで腹もこすらずどかどかと登ってしまいました。
あらためて初代の直4の2000が持つレスポンスの良さを認識しました。フロントは明らかにV6よりも軽い。だからストロークが不足している足回りでも、アクセルワークとタイミングでけっこう行けるのです。ただし、泥ねい地だったらどうなのか、そこは粘りのあるV6が、排気量差のトルク分も手伝って有利かもしれません。しかしそれを差し引いても二階堂さんのTD51Wは、30万キロものだということを感じさせないエンジンでした。
二階堂さんのあとを追随して(人様のクルマだと思ってなにやってんだか)走っていて、BLUEらすかるの足の動きも観察でき、それだけに
「いやいやいや、さすがにそこはノーマルじゃ無理でしょ」とビビりましたが、スタックもしなければ致命打も与えず、2度ばかりフレームをこすった程度で、ノーマルのエスクードでもけっこう走れるものだと再確認できました。
で、帰路の途上、やはりSSC出版の恵方の方角にフジ・オートがあるのだよと立ち寄ってみたら、こんな風景が・・・
うーむ・・・サンダとガイラかアボラスとバニラかグドンとツインテールかゴジラとビオランテ? 「居るとは思わなかったわ」「来るとは思わなかったよ」てなオチと相成りましたよ。







