定期健診で歯医者さんへ。 お引越ししたので前の場所よりちょっとだけ遠い・・・ (でも元の場所から歩いて1分くらい) 前は8人も座ったらぎゅーぎゅーだった待合室も 倍くらい椅子があって広々。 さて、次は3月だ。
満月を越えた満月を「スーパームーン」と定義付けられるかどうかは、あくまで主観です。軌道の距離関係によって普段の満月よりも見かけとして大きく見えるのがスーパームーンの謂れです。11月2日に十三夜の方月見をこなして、より完全版なら29日の十日夜も楽しんでしまおうと、まあミーハーな僕ですが、そろそろ月見そばのうまい季節になってきたよと行きつけの蕎麦屋では初めてこれを頼んでみたのです。たいていの場合、よほど寒くなければ冬でも笊そばを食っていますから。
単純に、かけそばに生卵を落として卵白の熱変化で月と雲を表現するものが月見そばだと思っていたらば、出てきたのはもちろんそうなんですけどさらに斜め上でした。雲の表現は卵白ではなくとろろで行っていて、卵白のいたずらな広がりを抑制していました。それ以外にも五目和そばとも言えるくらいいろんなものが載っている。なかなかお得感漂う月見そばです。
この手の盛りだくさん月見そばが他所にはないってことはありませんが、月見そばも進化しているのかと学習しました。実は昔、あーる田中一郎が言っていた「フジ三太郎と月見そば」については真に受けてましたし、「怪物くん」のオオカミ男の好物が蕎麦ではなく「月見うどん」であったことも忘れていたというか、知識の中にありませんでした。そんな与太話はともかく、今夜22時19分あたりが満月時刻です。北米で言うところのビーバームーンにして、スーパームーンの夜です。
完結した「フィガロの昨今」に代わって、新シリーズの始まりですが、前シリーズがあまりにもドはまりに決まったタイトルだっただけに、今度はどうすりゃいいんだろうと、まだ収まりがよくない感じです。
とりあえずBLUEらすかるΩを12月19日までに返却してもらわねばならない状況から、霙は一念発起して次のクルマ探しに入りました。
「グレード違いと装備の差と、そこから来る価格を天秤にかけると・・・」
いろいろ思案しているようで、ここはとーちゃん、総額から20万円くらいは差っ引かせる大技を繰り出してやらんといかんかなと、横であれこれと画策しております。
で、「テオマチャ」なんて自動車は全世界何処を探したって有りませんので念のため。
「秘密戦隊ゴレンジャー」の放送開始時に生まれた人たちがすでに五十路ですよ。ウルトラ、ライダーの長寿化をしり目に「それらと異なりほぼ絶やさずやってきた」という点が、スーパー戦隊シリーズのすごさでしょう。これを抑えられる番組と言えば、「サザエさん」くらいのものです。50年を超えるという番組作りは手間も金もかかるという現実が、スーパー戦隊枠終了として、ついに顕著となったらしいです。
実際には「ゴレンジャーが2年放送」なのでシリーズは49作なんですが、「ルパンレンジャーとパトレンジャーが同一番組内に存在」しての50戦隊。その節目となっている「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」は、放送開始時点で宣伝文句の中に最後をにおわせる言葉がちりばめられていました。昔と違ってロボ玩具で遊ぶ子どもなんか見なくなったし、それで路線変更したなりきり変身セットだってつけてる幼児なんか見たことない。スポンサーがもう耐えきれないのかも。
特撮ヒーロー番組は衣装、小道具大道具と製作費が視聴率やキャラクター商品の売り上げと釣り合わないジレンマを昔から抱えています。そこへきてファン層の底辺は広がっていないのだから、世代交代してどんどん離れていく。ならばかつての子供が金持ってるだろうと小道具やロボの豪華版をとんでもない価格で繰り出すというのは、歪んだ構造です。予算をもうひとつのニチアサ番組に統合するとしても、ここ十年はスーパー戦隊の方がましだった気がしてなりません。
さて先月末の第一報は関係者への取材から、という内容で、終了の具体的内容は明らかにされていません。冠タイトルをスーパー戦隊から変えるだけでもそれは成立するし、コストダウンなら5人+追加戦士を常時3人に絞る新シリーズという手もあります。終了という言葉の一人歩きがマッチポンプ的な情報リークの線もあるかもしれない。まあどうでもいい話なんですが、売れるキャラクター、売れる商品企画が出てこないと存続も大変だということですね。
月齢11.6、十三夜です。中秋の名月を古代中国文化に倣って楽しんだので、縁起の良くない「方月見」にならないよう今夜の少し満月に足りない月も見上げようと思います。これは大陸文化を取り入れた日本古来のちょっと斜に構えた月見の一環と云われています。挿絵は9月のときの十三夜相当日の月の出ですが、コンデジ手持ちで撮ったようなやつは十三夜なんだか満月なんだか判別できませんね。後の月、というのは秋の十三夜としては最後という意味を持つ別の呼び方です。
松尾芭蕉の笈日記に「木曾の痩せもまだなほらぬに後の月」があり、正岡子規は自身の全集にて「後の月つくねんとして庵にあり」などと詠っています。でも正岡とこの季節だったら「柿食えば~」でしょうか。
「楓(これでもみじと読む)蔦黄」と書いてもみじつたきばむ。霜降の末候が巡って、柿の実もようやく色づいてきました。