先日は茶トラ一匹しか見なかった仔猫ちゃん。 ほかの二匹も元気でした。 この後ママ猫がやってきて睨まれました・・・
スーパー戦隊シリーズに関する驚かされニュースが相次ぐ中、次作には「宇宙刑事ギャバン」のリスタートとまで報じられる様を見ていて、ネットニュースへの需要と供給というか、そんなもんどうでもいいじゃんと思わされるところをずいぶん熱心に取材しているなあと逆に感心です。だって宇宙刑事ですよ、ギャバンからシャイダーまで二代目もいますよ。それくらい定着した人気はあるとして、要は在庫の使いまわしにすぎず、新しい特撮ヒーローを生み出そうという気概が見られない。
東映特撮刑事ものは、代表的なところで「ロボット刑事」「宇宙刑事シリーズ」「機動刑事ジバン」「レスキューポリス」(あとスケバン刑事)がありますが、群像劇でなく単独ヒーローとしてコストを稼ぎ、しかし小道具から宇宙船、ロボ(?)へとあらゆるマーチャンダイジングに活かせるのはギャバンで、市場が飛びつけば「メタルヒーロー」としてならもっと後まで稼げる。結局はスポンサー意図が見え見えで、番組企画に冒険をさせない売れればそれでいいの風潮は変わっていません。
そう来るのか「オリジン・オブ・バルキリー VF-1J 45th Anniv.」。VFシリーズって僕は31くらいまでしか把握できていませんが、なんだかんだ言ってVF‐1は可変機構という設定が世界観においても玩具展開においても別格のエポックメイキングなんですねえ。しかもリニューアル復刻発売とは。これを今リリースすると一体どんな価格になるのやら。僕が所有する最初のVF‐1Jは当時、まだ学生だった雫さんがバイトの給料からクリスマスプレゼントとして買ってくれたものです。
単体で3980円。直後に追加されたアーマードパーツのみが1500円くらいで、後に出てきたスーパーバルキリーでも5980円でした。どの程度売り上げたのかは定かでありませんが、バンダイの劇場版仕様ストライクバルキリーは、仕入れをだぶつかせたのか見誤ったのかワゴンセールで一個1500円という棄て売りがされたことから買い占めに至ったものです。だからうちには劇場版マックス、柿崎カラーのVF‐1Aとか、テレビ版のVT‐1やまだ発売されていなかった一般兵士用VF‐1Aとか、百里航空隊680(なにやってんだか)とかいろいろと改造された機体が屋根裏に眠っています。
高圧ホースの修理明けから自分ではまったく動かしていなかったため、土曜日の午前中に裏山へ試運転に出かけました。バッテリーも新調したのでエンジン始動は小気味よいし、軽さが売りの幌車ですから山登りも快適です。5速ミッションだったらもっと楽しいんでしょうけど僕ら夫婦以外は二人ともAТ限定免許、雫さんも「5速なんてもう乗れない」とのお達しのため、我が家のクルマはすべてAТ車になって久しい。それだけに今回のAТF流出トラブルが痛手にならず一安心です。
G16Aの1600エスクードは3台乗り継ぎましたが、1型のヘリーハンセン、3型のGリミテッドノマドとも10万キロ程度での退役をさせているため、エンジン音の変化はありませんでした。ぷらすBLUEはさすがに33万キロを越えているせいか、どこがどう不調かという具合の悪さは無いものの、「このエンジンってこんなにトラック然とした音していたかなあ」とは思います。
もともとオイル下がり気味だったエンジンを長期間かけて調整してきた末、オーバーホールも行っているから、不具合というより経年変化でガサツな音になってきたのかもしれませんが、まあ良く言えばそこらへんの新車のジムニーシエラよりも四駆らしい音してるじゃんというところです。マルチシリンダー化されたV6の音よりも力強さを感じるのは所有者としてのひいきな耳なんでしょう。
そのV6を常用している自分が言うのもなんですが、エスクードを最もエスクードらしく体現させているのは2000cc以上のモデルではなく、1600クラスで発揮されるレスポンスの良さなんだろうなと考えたりします。それでも体感として1型8バルブより一般受けさせた2型以降のG16Aも、ノマド系だと乗車人数によって非力感を覚えていましたから、1トンそこそこのコンパクトな仕様が一番マッチングしていると思います。
しかしG16Aも初代なら7型まで進化しています。最終モデルの頃の乗り味ってどのくらい変わっていたのか、今更ながら興味があります。
俳優の仲代達也さんが亡くなり、「人間の條件」や「影武者」などの出演作で紹介されていました。僕などは「火の鳥・黎明編」とか「遠野物語」なんですが、押井守さんあたりだと「熱海殺人事件」。この映画の仲代さんが、直後に「機動警察パトレイバー」の後藤喜一警部補のモデルになったというのは有名な話なれど、うちの家族なんかは「全然雰囲気がかみ合わない!」と言います。後藤隊長と言えばほぼ昼行燈の人だから、そう思われるのかもしれない。
後藤隊長が昼行燈を決め込む背景には、警視庁での辣腕刑事ぶりで名をはせた剃刀後藤の異名が語られ、物語においても時折、その片鱗をちらつかせていますが、そのあたりにモデルとなった刑事役の仲代さんのムードが盛り込まれていたのでしょう。
それでも往年の仲代さんに後藤喜一をやってもらう機会があったとしたら、昼行燈の仲代を見られたのかもしれませんが、なんかそこはかとなく迫力がにじみ出して、もしそんなことがあったならどうなっただろうなあと秘かに偲ぶのでした。