Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

Helly Hansen limited

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今思えばバブル景気だったのだと実感しますが、全国限定400台と台数を絞られていたとはいえ、1989年式のヘリーハンセン・リミテッドにはエクステリアにしても防錆処理にしても、程度問題かもしれないけれどコスト度外視の架装が施されていました。が、この限定車のコンバーチブルというのは、それを買い求めに行ったら「うちには回ってこない」(当時のディーラー)と言われ、現車を見たことがありません。このキャリアの下に幌を掛けるって、けっこうめんどくさかったことでしょう。

ディーラーでは「割り当てられたのは2台だけです」と言われて、大慌てで契約したのはインビエルノ・ブルーメタリックという水色のハードトップ(写真の左端)でしたが、後に霞ヶ浦にて色違いのハードトップと遭遇し、小一時間待ったけれど所有者はどこに行ったのかついぞ現れず、コンタクトに失敗したことがあります。オートエキスポ社製のルーフキャリアとスポイラーは、最初のヘリーハンセン・リミテッドの一番の特徴でした。

90年代に入って、これらのパーツはスーパーデザインコレクションとして一時的に市販され、僕もフロントグリルガードと補助灯、アンダーガードを追加装備していましたが、この頃きわめて近くにもう一台、カタログモデルをベースにヘリーハンセン・リミテッドスタイルに仕上げたエスクードに乗っていたユーザーさんが存在しました。あとから知ることになるこのエスクード、何を隠そうあのコムロさんの所有で、彼のエスクードフリークの出発点となった1台です。

(3点目の写真はコムロさんの撮影。つくばーど®ギャラリーから持ち出し)

とある日の夕飯。

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さすがにピザは買ってきた。

玉ねぎの皮が大量に溜まったので
(料理で剥くたび冷凍して取っておいた)
ベジブロスを作ってみました。
が、あまりにも大量だったせいでとんでもなく濃いいブツが
出来上がりまして。
通常だったらそのまま出汁として使えるはずなのに・・・
3倍くらいに薄めないと苦さが先に立って飲めたモンでは(泣)
まあ・・・薄めれば使えるんだから使ってやろうじゃないのっ!
というワケで、トマトの野菜スープが夕飯。

 

退役となりました

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我が家のお茶を支えてくれていたポットが8年目にして給湯パイプの劣化によりお湯を汲み上げられなくなり、やむなく現役を退くこととなりました。

「というわけで、これが三代目となります」

買い置きしてあったのか同型!

いや、それよりもこれが三代目ってことは、初代は15年くらい前には使われていた計算になるから、それくらい設計も古いんじゃないか? でもっていつ買っておいたか知らないけど、象印はモデルサイクルがとてつもなく長いってことなのか・・・

「BLUEらすかるだけじゃないのよー。使いやすいお気に入りって」

おそれいりました。

不法投棄の山・・・

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こんなゴミの塊がそこかしこに・・・

近所の用水で浚渫工事中。
溜まった土砂の撤去と書いてあったけど
水抜いて露になったのは大量のゴミ。
自転車やホイルやフェンス(!)等々
てんこ盛りですよ。
これって税金で処分するんですよねぇ・・・

 

光りかがよう麗しい姫の物語

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1935年11月、11日に京都宝塚劇場で封切られ、21日から日本劇場でも公開された「かぐや姫」は、後に東宝映画の一部となる京都所在のJ.O.スタヂオによる音楽映画で、同時に特撮映画でもありました。田中喜次監督の下で特殊撮影も含む撮影担当に就いていたのが、円谷英二さんでした。題材が題材ですから当然、特撮も用いられているわけですが、90年も前の映画だけにまだ観たことがありません。なんせ僕の親父が生まれた年の上映ですもん。

円谷さんは先日、アメリカの視覚効果協会が特撮技術者として殿堂入りを認めました。「ゴジラ」や「ウルトラQ」などが円谷さんの評価軸と云われて久しいですが、アメリカ人というか、GHQを震撼させた腕前は戦時中の「ハワイ、マレー沖海戦」だったと思いますし、それよりもずっと昔の「かぐや姫」は失われていたフィルムのうちのひとつがイギリスで保管されていたくらいですから、何さ今頃殿堂入りなんてと言いたいほど世界的なクリエイターだったのです。

閑話休題

円谷さんが撮影に従事したこのスタジオでは当時、市川崑さんもアニメーターとして働いていたそうで、その縁かどうかは知りませんが市川監督作品として1987年に東宝から「竹取物語」が送り出されているのも面白い話です。こちらもなかなか派手な特撮を投入していて、物語のSF性を押し出していました。

かぐや、という名前は、星や光がまたたききらめく様を示す「かがよう」なる言葉に由来するそうで、これは竹林の中で光り輝く竹からいずる赤子の姿を目撃した竹取の翁のファーストコンタクトによるものなのでしょう。ただし翁に引き取られた赤子は「なよ竹」と呼ばれていたはずで、その後名づけ親として御室戸斎部の秋田氏が登場してきます。

いずれにしても、平安初頭に宇宙と超越した生命とを織り交ぜた空想を興す想像力は素晴らしいものがあります。この主人公をスサノオやヤマトタケルのような英傑伝とせず、女性として描いたところもセンスの高さを感じます。

次から次へと・・・

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利き手なんだってばさ・・・

今度は手首が痛い右手・・・
この痛い加減は身に覚えがあるんだが(汗)
・・・手(首)が痛いぞ(汗)

シップして様子見てたんだけど、一向に治まらない痛み。
整形外科に行ったとてシップ貰って終わりっぽいので
物理的に、痛みが出る方へ曲げられないように
サポーターで固定してみました。
大袈裟な見た目だわ
まあこれでもキーボードは叩けるし字も書ける。
なんとかなる・・・か?!

夢を見せてもらったひと時

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20年前、神栖市の海岸にて、BLUEらすかるの隣に先代らすかるが並んでいるような、現実にはあり得ない風景を見せてもらったことがあります。

この場所はつくばーど®の「Sレイド」をスタートさせたところでもあり、仕掛けた方がびっくりさせられるほどたくさんの挑戦者が訪ねてくれた海岸です。このTA11Wもその1台で、前夜から走り通して青森県からやってきたエスクードでした。

屋根に取り付けてあるキャリアは、先代らすかるから移植したもの。宅配便で送ったのが、まさしく2005年のBLUEらすかるの就航日だったのですが、このユーザーももかさんは翌年に始めたSレイドにトライし、現車を見せに来てくれたことで、夢のようなコンビネーションが実現しました。

その後、今度は先代らすかるの車体色とBLUEらすかるの基本形をミックスしたТD51Wのヘリーハンセン・リミテッドと「その手があったか!」というエスクードと出会っていくのですが、Maroさんはアルミホイールまでコーディネートを合わせる念の入り様。しかもBLUEらすかるの同型車であるТD61Wもお父さん用に所有している、そんなのとても敵いませんわ、なユーザーさんです。沢山のエスクード乗りとの邂逅は、それらすべてが夢を形にしてもらえたひと時なのです。

秋の味覚ですな。

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さすが・・・デカくて艶々

5月の万博行きで久しぶりに会ってご飯食べた
取引先の〝元〟担当サンが、ご実家の柿を
わざわざ送ってくれまして。
(ご実家は和歌山の柿農家)
みんなで分けて頂きました。ご馳走様ー♪

 

朝一瞬の絨毯

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写真はずいぶん昔のもので、これ以降何年も敷き詰められた落ち葉の景色を見ることができていない水戸八幡宮の境内です。神社の人たちが掃き掃除を始める前にそっと訪ねていかねばならないし、黄葉から落葉のタイミングを読まなくてはならないので、いつしかめんどくさがりに拍車がかかった僕は、この景色にはなかなか巡り合えません。樹齢800年を超えたオハツキイチョウで、国内には7本しかないといわれるうちのひとつ。800年前と言えば水戸城が築城された頃。源頼朝の時代ですね。

再開。

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待ってたよー♪

翌日、朝早く出掛ける新月サンが
「外でサクッと夕飯済まそう」
と言うので、いつものファミレスへ。
飲み放題が復活してた(喜)
・・・早く寝るんじゃなかったのか???