50年前の今日、国会において質疑答弁の中に登場した非核三原則という言葉。議事録によれば最初の言葉は12月8日で、これをうけて11日に主張として明確に示されました。
国是であり法律ではないけれど、子供にでもわかる主張。遵守されているか否かは別にして。
50年前の今日、国会において質疑答弁の中に登場した非核三原則という言葉。議事録によれば最初の言葉は12月8日で、これをうけて11日に主張として明確に示されました。
国是であり法律ではないけれど、子供にでもわかる主張。遵守されているか否かは別にして。
異様に冷え込む週末でした。冠雪こそしていなかったものの、筑波山から足尾山側の北稜線に踏み込んだら凍結路でした。
ちくしょー、うしろの2台は走りながら四駆に切り替えられたりそもそもフルタイム四駆だったり楽そうでいいなー。などと思いながら一旦停止して駆動切り替えの際に撮ってみましたが・・・凍ってる様子はわかんないなこれ。
うしろの2台は、SIDEKICKさんのTD62Wと、コムロさんのTDA4W。林道状況偵察に同行してくれました。3年ほど来ていなかったら筑波山界隈の林道はあちこち様変わりしており、一本目は工事のため通行止め。やむなくトラバースして二本目の舗装区間に入り三本目のダートに入ったとたん、鬱蒼とした森であったはずの区間がごっそりと伐採されていて、オーバーランしたら尾根下に落ちるわというワイルドな状態になっていました。あれほどの面積を根こそぎ切り倒すって、いったい何を始めたんだろう?
そういう景色に驚きながら、しかし前半最後の四本目は程よく荒れた路面も出ていて面白く下山。冒頭の凍結路は後半の一本目となる北稜線林道です。これを走り抜けて、稜線西側にはジムニーでも難儀する区間があるのでそっちは外して東側に二本目として県道(西側も県道)のダートを下りていくと、こちらは道普請が施されていて維持状態が良い。
印象として、忘年会当日には凍結区間は増えているでしょうけれど、まだ初心者を案内できるレベルに収まっています。
水と陰の性質を持っているのが亥年生まれの人。辛抱強く、意志が強く、責任感もある。けれども頑固になりがち。
意見の違う人々の間に入るまとめ役に適していますが、自身は物事を決めかねることもあります。
亥年の人は、よく他人からだまされるそうですが、助けてくれる友人も大勢集まってきます。
火の属性を持つ射手座の女性は、自由主義で好奇心旺盛、熱しやすく冷めやすい性格。明るく元気ながら空気が読めないのも特徴。しかし正義感が強く、物事を進めるときは正攻法で臨みます。
真面目な性格ですが、思ったことを遠慮なしに言います。自分の考えをなかなか曲げない頑固者になることもあります。
長所をまとめると、社交性があり、大人数のバランサーになれて、人の立場に立って行動できる。一方短所は、影響されやすい、ノーと言えない、孤独を極端に恐れるのが12月生まれの女性。
・・・あくまで本日誕生日なうちの娘についてですが、まーいろいろ言い当てられてるわ。
「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」と、うちの近所に居住していた常陸宍戸藩主の殿様が暦便覧という書物を編纂し、そのなかで大雪(たいせつ)についてこうしたためています。
大雪は太陽の円周軌道が春分から動いて255度めあたりを示す二十四節気のひとつ。降って来るなら激しい雪ってことですが、まあ要するに寒いこと請け合いです。
岩手県の山間部は霧に巻かれた後、霙になりかかりの冷たい雨が待ち受けていました。沿岸部は幸いにもまだ雪ではありません。林道ではなくトンネル工事のために開削され重機やダンプトラックが往来した未舗装路は、今は使われていない割には思いのほか荒れていません。許可がないと入れないということもあるのでしょうけど(許可出てますからね)、こういうルートはルートで埋もれ朽ちていくのももったいない気がします。
ましかし、こんなとこまで誘っても来る人いないしね。
南相馬で立ち寄った、看板を見つけても「ここでいいんだよな?」と思ってしまったごく普通の民家でやっている蕎麦屋というか定食屋。
玄関に向かう途中の張り紙に目が留まって「鍋焼 そば、うどん」にしばし腕組み・・・ 「鍋焼 そば」ってなんだ? まさか焼きそば入りの鍋ってことはないだろうから額面通り「鍋焼き蕎麦」をイメージすればいいのだよな?
いやしかしだよ、「初めました」という添え書きが深読みさせるわけです。単なる誤字なのか、「初めて作りましたよ」という意味なのか。待てまて、ただ鍋焼きうどんの麺を蕎麦に変えるだけでそこまで大仰に「初」と主張するか? やっぱり焼きそば使った鍋物なのか? もしそうなら仙台で売り出している麻婆焼きそばの上を行くかもしれない。
どうする? 俺
そこはもう確かめるほかないわってことでこれを注文しましたよ。でもって聞いとけばいいのに「これどういう鍋焼き?」とは聞かずに「初」の件は尋ねてみました。そしたらほんとに「初メニュー」で当て字にしたのだとのこと。
2年ほど前に、ちょうど50年前のことだったとして「先駆者の時代」を書いていました。そこが我が家とスズキの邂逅だったというわけで、僕が知人からSJ30(2型)を譲ってもらうのが、その20年後となります。残念ながらこのジムニーについては写真が残っておらず、我が家のスズキクロニクルは完成することが叶いません。30自体はエンジンの焼き付きをやってしまって廃車となり、JA71へと交代しています。いずれにしてもエスクードが登場するまで、我が家のスズキ小型車はフロンテ800のみでした。
その一方で、やはりフロンテ800から20年めのこと。実に久しぶりにスズキフロンテが我が家に導入されています。小型車ではなく軽規格六代目で550ccのWitカスタム。妹の吹雪が買ってもらった最初のクルマです。親父も親ばかです。倅のジムニーなんか撮影もしてくれなかったのに、娘のクルマはこれこの通り(笑 それにしてもなんだってこんな背景で撮ってんだよ、かっこ悪い)。
もっともその後、父娘は娘の遅まきの反抗期にぶつかりこのような写真を撮らせてもらえなくなったようで、彼女が短大を出て仕事に就いてからしばらくして「アニキ、あたしゃ自立するぜ」とか言い出してセルボモードのSR‐4(四駆ではない方)に自ら乗り換えてしまい、それからしばらくして嫁に行ってしまいました。よってその4気筒セルボも写真が残っておりません。
うーん・・・、アルトワークスの足回りをピレリP700で固めて、軽自動車のくせしてツインカム16バルブでインタークーラーターボなんて、どんだけ反抗したかったんだろう?