風花さんが撮影したアングルとは異なりますが、春先のこのトトロの木は、新芽の発育状況と光の加減で「消えかかって見える」のです。それがまたトトロっぽい。
この写真は2012年5月の撮影。確かその頃のブログで紹介していたかもしれないと思って遡ったのですが・・・
風花さんが撮影したアングルとは異なりますが、春先のこのトトロの木は、新芽の発育状況と光の加減で「消えかかって見える」のです。それがまたトトロっぽい。
この写真は2012年5月の撮影。確かその頃のブログで紹介していたかもしれないと思って遡ったのですが・・・
徹夜仕事用のBGVに選んだ「エヴェレスト 神々の山嶺」の導入部分だけ眺めていました。眺めていたら仕事にならないんだけど、まあだいたい気がつくと1時間くらいぐっすり寝ていてまた最初から録画を再生し直してというオチになり、また途中まで眺めちゃうもんだから、こんなやりかたの徹夜仕事は能率が上がらないです。
撮影は2015年ですが、「1993年のカトマンズ」という風景。確かこの撮影のさ中にネパールでは大地震が起きてカトマンズも被災するのですが、その直前に撮られた風景はある意味貴重な映像かもしれません。その風景を背景にした何でもないシーンなんですよ、たぶん100人中100人とも(笑)
でも、「93年のカトマンズにもいるんだなあ。当時ならかなりの富裕層?」と、1人だけほくそえんで仕事が手につかなかった奴もいたりするのです。
この映画は夢枕獏さんが94年から97年にかけて執筆連載した小説の再構築もので、「エベレスト初登頂記録を持つエドモンド・ヒラリーよりも前に、登頂していたかもしれないジョージ・マロリーの謎」を扱ったものですが、連載終了したあと、99年の5月1日、実際にマロリーの遺体が発見されました。マロリーは1924年に遭難したまま。ヒラリーはその後の53年の初登頂でした。この辺の登山史は書き出すと長いのでリンク参照として、マロリーって誰さ?といえば『そこに山(エベレストのこと)があるから』という言葉を残した人です。
獏さんの小説は今思えばものすごいタイミングで執筆されていたのだと驚かされます。しかもマロリーが発見されたことで謎に終止符が打たれたかといえば、余計に深まっているのがこの登山史の逸話で、小説自体も陳腐化していない・・・のですけど、映画の方は尺に追われた構成なので後半ぐだぐだではあります。
冒頭のシーンを見つけてしまわなければ、こんな録画消去しちゃったよ。
僕は18歳に鹿児島県鹿屋市に別れを告げて、埼玉県で働いていた。
年に一度は実家に帰っていた。浜松町からモノレール、そして羽田から空で1時間半。鹿児島空港からバスで2時間の旅・・・
と、これより先は(思いっきり加筆修正と削りまくりするので)来年までお待ちいただくことになりますが、狼駄さんの尻を叩いて「白狼伝」の新作を書いてもらっております。
その草稿は今週末の夜会で第一次校正ものを持参し、狼駄さんに見てもらって情報の補完をやるのですが、二つほど課題が残されています。原稿の方は責任をもってどうにでもできる(いやそれ責任持ってないだろう)のだけれど、この新作に使用するカット写真が不足しているという点です。
1については現在、狼駄さんのライブラリを発掘中なれど、大きく扱える状態のものが残されていませんでした。2については、いっぺん狼駄さんが帰省すれば済むことなのですが、しなかったらそれまでというリスクを鑑み呼びかけの対象としました。
いざとなったらインパネ周りくらいはうちの幌車とか、ボディーの部分撮影ならばAMGさんの幌車とかで切り抜けるという手もあることはあります。しかしそれはいざとなったらの話ですから(やる気ではいるな)、できるだけオリジナルを尊重したいと考えております。
あー、こんなことならこの間福岡に行ったときに無理して一泊増やして鹿児島まで足を延ばせばよかった。という後悔の念に駆られておりまして、ご協力いただける方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。
このシーンは「SPEED2」ラスト直前に忽然と置かれているビターラコンバーチブル(場所がカリブ海の港町なのでビターラでしょう)の姿なんですが、向こう側にでっかいボトルのオブジェが飾られており、その先にはプレジャーボート用の桟橋が続いていて、そこに大型クルーズ船が突っ込んでくるという場面です。
いやー、このビターラ誰も乗ってないよ。置き去りだよ。
という展開は、この映画をご存知の方には語るまでもない危機一髪というか、もうダメだろこのコンバーチブル、なシーンなのですが、テレビ放送されているバージョンに限ってのことなのか、実際に押し潰される場面は無いようなのです。そこが丸々抜けていて、船は別のオープンカーの横腹寸前で停止しますが、錨が落ちてきてオープンカーは結局潰されるというオチはあるのです(バージョンによってはそのシーンもカットされている)
さてビターラが動いた気配はないんだけれど、逃げおおせたのかどうか、ちょっと謎です。
《さぶろーしろーマークII》こと“芥子ちゃん”※辛子は不許可(笑)・・・も、すっかり我が家に馴染んでくれて、桶川に入院中の2号のことなど皆さん忘れがち。街中でも珍しさからか、信号待ちで写真撮られたり、わざわざカラフルなナンバープレートを覗き込む方もいらっしゃってビックリです。サイズもジャストでシンプルな装備も私好み。JEEPなオフロード四駆に拘っていなければ、充分愛車になり得たかもしれない一台ですね。
借りてるうちに、もう一度遠出がしてみたくなりました。SSレイドの97あたり、ちゃっちゃと攻略しちゃいたいんですけどねー。成島毘沙門堂の吉祥天さまにもお会いしたいし。
なんて、Dr.ワニから2号の修理代を知らされて、現実逃避している私でございました。
という、今は動けないそれがさだめだけど~な和邇さんからのつぶやきを読んでいると、クルマ選びもそのときの出逢いのタイミングなんだよなあと思わされます。
僕も和邇さんも、スズキエスクードのデビュー時点では「何だこんなのかっこ悪いっ」「俺が買おうとしていたジムニー1300を廃版に追い込むとはけしからん!」というアンチな側にいました。僕なんか人間がいい加減ですから1年後にころっと宗旨替えしてしまいますが、和邇さんは今なお「生涯エスクードになんか乗らぬ!」と意地っ張りなSIDEKICK乗り(ほんと、ここが意地っ張りなんです。素直じゃないとも言う)
しかしそのSIDEKICK2号車も修理頻度とコストがかかってきており、和邇家での肩身が狭くなりつつあるのでしょう。だからさー、まだ手に入れられるTD51Wとか61Wとかに移行しなさいよと言いたいのですが、お嬢たちの子育ても一通り済んだことだし、長期的にはまだ休眠中の3号車を復帰させるという奥の手を持っている人でもあります。しかもそれがまたエスクードじゃなくてVITARAだという徹底ぶりですから、なかなか目が離せないのです。
でも《さぶろーしろーマークII》こと“芥子ちゃん”は、和邇家みんながお気に入り。まぁフジ・オートさんに断りもなく名前を付けるわ、キーホルダーは作るわで、私のSIDEKICK2号の立場がございませんわいな。
で・・・って。確か《さぶろーしろー》にもクラクション不調だとか言う話からラッパを括り付けてみたり、マークⅡにはこんなことしたり・・・ いいのかよ借りてる車だよこれ?