意外な顛末を見た第二ラウンドですっかり旗色が悪くなりました、僕。
なんとか打開策を見出さねばならないとみつけてきたのがこれ。
よいではないか!
なんかもう褒められた気分です。そりゃー陰口たたかれるよりは褒められた方が良いに決まってるんです(お前、自分が気にかけるほど他人は自分のことなんか気にも留めてないって言ってなかったかよ)
と油断したらですね・・・
昨日の赤いコンバーチブル退役については、いつかはその日が来るだろうと、ひとごとならぬ思いがあったのですが、避けられないものは避けられません。
そんなときに追い打ちをかけるように、Maroさんからの連絡があり、彼が32万キロまで走らせてきたTD51Wのエンジン、冷却系故障の度合いが予想以上に大きく、やはり退役となることをうかがいました。
話が遡りますが、うちの先代のとるねーどらすかるが2005年に全損し、1カ月弱のブランクを経て、BLUEらすかるが二番機として走り出した頃、当時のブログやwebをカナダで見てくれていたのが彼。その後帰国して自らエスクードに乗り始めたのです。
彼がらすかる交代劇の何に感銘し、海の向こうで友人知人にそのことを語り継ぎ、帰国の途に就いたかは、当時僕が知る由もありませんでしたが、ある日フジ・オートの渡辺代表が教えてくれました。
「あなたのエスクードを意識して、うちで扱っていたТD51Wをお求め下さったお客さんがいますよ」
そして実際に、彼から連絡をいただき、交流が始まったのが、ちょうど10年前のことでした。カナダではご両親が、ТD62Wにあたるグランドビターラに乗っていたそうで、Maroさんご自身は帰国後に、93年式ТD01Wに乗り始め、2007年に現在のТD51Wに乗り換え、01Wはやはり帰国したご両親が乗り継いで、2011年にこの01Wが退役することになり、手に入れたのがТD61W。つまりBLUEらすかるの同型車となりました。
親子でエスクード乗り。なんて羨ましいと思いながらも5年ほど前にご両親ともお目にかかって、我が家よりもずっと早く二代にわたるエスクードライフのお話を聞くことができたのは幸運でしたし、なんともはや、僕みたいなへんてこなエスクード乗りが、これほど人様のクルマ選びを左右してしまったことに驚かずにいられません。
なんかもう、すいません。
でも、やっぱり残念でならない。身勝手なことを言えば、そんな気持ちです。本当に避けられない時代が来ているのだと痛感させられます。
職場は東京と郷里を行き来し、そして再び東京の勤務になって、こちらに家を建て10年と少し過ぎる。僕自身は昭和の生まれだけれど、子供の頃は明治生まれのお年寄りたちに歴史そのものを感じさせられた。こと僕の郷里は戦争で手ひどい仕打ちを受けているだけに、その中を生き抜いてきた人々には皆歴史があると思っていた。
その僕が、まあ僕がそう決めたのではないけれど、平成の終わりを告げるニュースや記事見出しが飛び交う過渡期に、いま暮らしている。おいおい、遂に自分自身が、来年の今頃には三つめの元号を生きるのだぜ。
職場でいろいろと根回しと手回しが気ぜわしいのは、そういった時代の移り変わる過渡期だからなのかもしれない。ただ、そんな生活パターンにすっかり馴染んでしまって、さほどの違和感もない・・・
というのは自分に対する偽り。ずっと、このライフサイクルの中に生じている、凝りのような感情から目をそらしていた。
退勤途上の電車内で、スマートフォンに着信が入る。オークションに出品していた、タイヤが2セットとも落札された連絡だ。アルミホイールに組み付けたままのスタッドレスはほぼ新品、オールテレーンの方も・・・これは走る気はあったのだろうな。いずれ履き替えるつもりで買っていた未使用品だ。
純正シートに戻し取り外したレカロのコンフォートも、タンクガードも瞬く間に落札者が決まった。まだこの手のパーツに引き合いがあることで驚くわけだが、使ってもらえる先があるならそれでいい。残ったのは白地のキャンバストップだ。これについては思うところがありというより恐る恐る、手紙を出した。メールではない、封書で。受け取ってくれるならば今度の週末、宮城に伺いたいと書いた。すると即座に電話がかかってきて、こっちに来てくれるという。
だから恐ろしい・・・ああいや、ありがたい。受け止め方によってはうざったいと誤解を招くほど面倒見がよい彼は、車を丸ごと引き受けられずに申し訳ないとまで言ってくれた。
もちろん僕もそこまで寄りかかろうとは思っていない。ただ、この春をもって、長年乗り続けてきた車を処分するにあたって、彼には真っ先に伝えなければと決めていた。
それにしても、彼と連絡を取ったあとに出品したオークション品が、彼と会う以前にすべて売れてしまうという激流のような世の中だ。
それもこれも、インターネットの普及に対して移動体通信機器がこの10年で飛躍的な進化を遂げたことが要因だろう。腕時計型テレビ通信機という画期的な装備を持っていたウルトラ警備隊に憧れていた僕が、あのビデオシーバーよりも多機能高性能の端末を日常生活で使いこなす時代なのだ。
その反面、クルマに対する関心事は、世代が若くなるほど薄れていると言われている。ことクロカン四駆というジャンルは90年代前半に爆発的にブームとなり、そして市場は定着したものの、定着のために捨てるものも捨てSUVなどというよくわからないジャンルへ拡散し、今またクロスオーバーなんとかいうワケのわからない領域に飛び込んでいる。
要はステーションワゴンの洒落たやつへの回帰なのだ。そこには荒れ地をものともしないクロスカントリー性能はコストの上でもじゃまになった。雪道と凍結路をある程度走れれば、四駆としての使命は十分果たす。でも、だ。燃料代やら駐車場代やらも含めた維持費は、若い世代には重荷ではある。僕らだってそうだった。それでも四駆で野山に出かける楽しみがあればこそ、やりくりもできた。今はスマホがあれば部屋にいながらにして世界とつながり何でも見聞できる。
それが仮想現実でも虚構でも、電子化された情報は抵抗なく安価に手に入れられる。それこそ東京や横浜在住だったら、発達した公共交通機関でどこへなりと出かけられるから、次第にマイカーという言葉自体が脳内辞書から削除されていくのは無理もない。
まさかね、僕自身がそうなっていくとは思わなかったさ。
そんなことを逡巡しているうちにプレミアムと冠のついた金曜日は明けてしまい、約束の週末がやってきた。
僕はキャンバストップをたたんだ収納バッグを助手席に載せ、家内に見送られて路地裏から赤いコンバーチブルを走らせる。あと数日。休日の数を数えれば、もう何度もこいつを動かすことはないだろう。
※ 後編は「2018 海岸ランナー」として明日発売のスーパースージー106号に掲載します。
BLUEらすかる修理の間、主治医から借りた代車のアルトはずっと霙が使っていました。家内はうっかり「その経緯」を失念して霙に
「返却するときには燃料を満タンにして返しなさいよ」
と言ったのです。実はアルトの前にミライースを借りていましたが、これが霙の運転中に追突されて使えなくなり、アルトの提供を受けていました。幸か不幸かそのおかげで、僕がぷらすBLUEを使っていて追突には遭わずおしゃかにもならずに済みましたけど、霙自身はひどい目に遭っていたのです。そりゃあ霙は言い返しますな。
ごもっともな反論です。そんなことで喧嘩になられても困るので、ここは素直に僕が給油に行って返却するが吉。ということになったのですが、家内は、あらそれはごめんよと、さほど意に介さず話題を切り替えます。
「あたしのクルマも車検に出さなくちゃいけないので、返却のときにいつ入庫させればいいか聞いてきてもらえますか?」
おうよ、それくらいお安い御用よ。と、ガソリンスタンド経由で主治医に代車を返却して、BLUEらすかるを受け取ってきたわけですが・・・
そう霙が言うのです。
んー・・・たぶんそうなんだろうなあ。
突然、釈然としない気分になる自分はまだまだ大人じゃないわ・・・
ぷらすBLUEは91年型のコンバーチブル。初代の変遷で言うと2型に相当する、つまり初期型で、エンジンこそ16バルブ化されたマイナーチェンジ版ですが内装は1型と共通(3型までこうだったっけ?)
何が不都合かというと、窓を開けるレギュレーター位置にとって付けたようにパワーウインドーのスイッチユニットがぼこっとはみ出しているため、これがコーナリング時やモーグル走行では右膝あたりにぶつかって痛いのなんのの困らせ設計です。
だから見てくれが悪くとも緩衝材をあてがい、右足が踏ん張るような事態になっても痛いよりはましなのよと、こんな感じで過ごしてきました。4型以降はドアの内張り設計が変更され、こんな必要は無くなっています。
しかし気がつけばこれに乗り出して干支がひとまわりしており、緩衝材も擦り切れてみっともなくなり、それ以前に再びコーナリング時にいててててっとなってしまいました。そんなわけでデッドニング用シートのありえない使用法で対処。
「これなんでくっついてるのかなーと、ずっと不思議だったんですよねー。こんなところに膝なんか当らないし」
と、作業をしながら霙がつぶやくのですが、とーちゃんはそうはいかねーんだよ。
しかしですね、霙は霙でどこをどう走っているのか。右フロントタイヤのショルダー部分が異様な編摩耗ぶりです。まあ車高を上げたせいでキャンパー角が悪さしてもいるんだけど・・・
新帝国など恐るるに足らずと思っていた前回の対決。それはそれで僕自身にとってはあんなんでいいのか?という結果でした。
じゃあどれくらいの危険度だったのかというと・・・ いやその、そんなの自分じゃわかんないじゃないですか。そうなんですか実際?
そして新帝国ワニのDr.ワニ。
これなら世の中安泰だと思っていたのですが・・・
いつの時代でもつい、余計なことをやっちゃう人はいるものなのです。「ウルトラマンガイア」で、地球滅亡をはじき出した量子コンピュータ(それ自体仕組まれた罠だったけど)に驚いた科学者たちがいろいろ回避計算したけどダメ。というなか、地球環境構築要素の中から試しに「人類」を削除したら『ピンポン。それで地球滅亡は回避可能』とか回答出しちゃうわけです。
でもってつい、ある入力の仕方を施してDr.ワニを再度診断したらば

うーむ・・・人はこうしてあらぬ風評に巻き込まれていくのね(俺が言うのかそれを)