チビずは転がり回って遊んでるし、ふぅ婆にゃの食欲も旺盛で。
いつも通りの日常なんですけど。
たびの時みたいに涙に明け暮れてるワケではないんですが。じわじわと寂しい・・・
私の両親も歳を取り、サイドキックへの乗り降りが辛いとこぼしています。リフトアップしたヴィターラなんてもっての外(笑)。すわハスラーとワゴンRの2台体制かと諦めかけていた矢先の新型ジムニースクープ記事に、つい心を動かされてしまいました。
角ばったボディーにワイドなフェンダー(これは国外仕様なんでしょうけど)。フロントグリルの意匠に、恋い焦がれた1300の面影を見出だしてしまったのです。エネチャージなどの複雑な機構は不要なのですが、これも時勢と得心しました。
アレのダウンサイジング版がジムニーになったら、ということで(笑)
私はハスラーには抵抗ありますし、ワゴンRがあれば両親も姉の楽器も心配ないですから。
軽2台という縛りがなければ、次期シエラでもよいのでしょうけど。
久しぶりに元カノに会ったみたいで、ちょっとクスグッタイのであります。
娘が生まれて、4ドアが必要になって買ったのがサイドキック。おかげでサンマルは里子に出され、FRPトップの71は関西のTACさんに引き取られ、ジェントルな11は私の元同僚に託されるという、ジムニー大量絶滅を引き起こした原因であるエスクードを、母が由とするはずもなく(笑)。
でも、四代目は『悪くない』って言ってました。エスクードだと判るまでは(爆)
おそらく現在交流のあるエスクード仲間にとっては、左ハンドルの北米仕様を2台にわたって乗り続ける和邇さんの姿こそが真髄で、実は「JA51を廃版にしたエスクードになんか乗らないんだ!」という真意があったとしても、THE MAN of ESCUDOの冠を満場一致で与えたい存在であるはずです。
がしかし、その前史にはJA51(ジムニー1300)にはたどり着けなかったものの、なにそれジムニー一度に3台所有してたの!?という秘話がありました。しかも、SJ30を和邇さんに薦めたのが、何を隠そう彼のお母さんなのだそうです。
こここ・・・これは手強い。和邇さんの「エスクードになんか!」よりも堅牢な「エスクードなぞ!!」という壁が聳えているとは・・・ ここはお嬢たちに味方になってもらわないと、SIDEKICK2号車はおろか、まだヴェールを脱いでいないビターラVⅢの存続は風前の燈火。
「長女はともかく次女は・・・サイドキック、ヴィターラよりも、エスティマハスラーワゴンRなんです」
・・・・ああっ
などと落合恵子さんみたいなタイトルにしたけど幸せというような話でもなく、どう見たってこれはワッフルの写真。珍しいと思って頼んでみたけど、豆腐で作るワッフルというのはもう一般的だそうで。
本題はそっちではなく、これを運んできたウエイトレスさんが
「コーヒー用のガムシロップ、実は『石割桜』からとれた蜂蜜です」
と教えてくれたその一言の方が驚きでした。
石割桜って、あの盛岡市の地方裁判所の前庭で花崗岩をかち割って樹齢三百六十数年といわれている「あの」石割桜?
素直に「へー」でしたが、これもまた通販でも買えるらしい、俺ってホントにモノを知らないねえとしょげたくなるオチではあります。
コーヒーに砂糖類を入れなくなって久しいのだけれど、いやしかし欲しけりゃ買える蜂蜜だけれど、ここは蜜のままの味を知っておくべきだよなと、ピッチャーからフォークに移して口にしてみると、まあなんとなく一般的な蜂蜜とは違うような気もするなあというあやふやな味覚なのでした。
たぶん、それでもきっと、それが幸せなのです。
家内の親類の農家から購入してきたことしのコシヒカリ。僕と霰がそれぞれ単身赴任中の我が家では米の消費率がここ数年激減しているらしく、新米で手に入れても簡単には無くならないわけで、前年からの持ち越しの米もまだ多少残されています。
だけど以前から感じていることは、いわゆる古米といつからか呼ばれる昨年の米を今炊飯しても、味が落ちている気はしないし、それが気のせいでもないよなと思えることです。
とつぶやいたら、家内には
「それは、保管の方法とかもあるけど、研ぎ方や炊き方で工夫してます」
と言われてしまいました。どうしているのか聞いたら教えてくれないので自分で調べてみたらば、お酒を少し入れて炊くとかサラダオイルを以下同文とか蜂蜜やら重曹やらなんかすごいなという添加の方法があるらしい。
と、今度は小言を言われてしまいました。
新米のときにはさらっと研いでいるけれど、一年ものは経年した分丁寧に、しかし力を入れて研ぐのだとか。ついでに炊飯時の水量も新米のときより若干多めにすると。それらはどの程度のひと加えなのかたずねたら
・・・なんか前言撤回して「気のせい」にしたくなってもきますが、元をたどるとそれくらい品質の良い米を安価で譲っていただけているのかというところに落ち着きます。そうだったのかと、実は「古米外米食えればうまい」と書きかけていた表題を慌てて書き直した次第です。
だけどそういうことだったら、古古米とか古古古米とか古古古古米(以下略)なんて、収穫した年から現在までの年数分「古」を加え続ける呼び方なんて、意味がないんじゃないかと思ってしまいます。
いやさすがに我が家の消費量が落ちていても「古古米」にまではなってないようですが。
去年の今頃だったと思い込んでいましたが、60万キロに達したのは9月16日で、「1年間で6万キロを走る」目論見は果たせませんでした。24日未明、夜会から基地に帰還した時点でこの数字です。
しかしこの数字にどんな意味があるのかといえば、「自分自身で刻む最長不倒距離にはまだ1万キロ以上足りないよ」という真実です。
BLUEらすかるは88000キロの中古車を手に入れたものですから、この差分がずっとついて回る数字です。だからと言って「じゃあちょっくら1万キロ埋めてくるわ」ってわけにもいかないのが、人車ともにつらいところです。
今月中、あと1000キロくらいは出るとして、年内に67万キロに届くかどうかで考えると、やれそうな気もするし、それはどうかなという気もするし・・・
Jアラートが鳴り響いてからずっと気がかりなことが、「できるだけ頑丈な建物に避難すること」という政府の、この「頑丈」についてです。
気の利いたニュース解説などでは「鉄筋コンクリートの建物」と教えてくれていますが、これは一理も二理もある話で、よく引き合いに出る原子爆弾炸裂時の広島市などで衝撃波や熱線や爆風に耐えた建造物がそれらの構造だったというお話。古くは「三匹のこぶた」でも言われています(あれは煉瓦製だったっけ?)
しかし我々、一目見ただけでそれが鉄筋コンクリート(RC造)とわかるのか? 建築のコストダウンと工期短縮がスタンダード化されてから、ビルの構造はずいぶん鉄骨(S造)にとって代わり、外壁は様々な意匠を持つパネル張りになっています。あるいは混構造のSRCとか。
もちろんちゃきちゃきのRC造が姿を消したわけではありませんが、そういうパネル類の頑丈さが、どこまで信頼できるものなのかは、おそらく内閣官房じゃ説明できないでしょう。このことを考えると、意外と早い時期に「この建物は〇〇造です」というガイダンスパネルなんてものが普及していくのかもしれません。
なにが気がかりのきっかけになったかというと、対策の速い自治体で行われた市民ぐるみの避難行動訓練の映像でした。
おそらく建築年次から考えても間違いなくRC造の校舎があるのに、S造で外壁だってプレハブ並みの体育館を避難場所にしていた自治体が紹介されていたことです。この時点で、頑丈な建物が理解されていないか、まあ訓練だからという認識でしかないのかのどちらかか、両方の感覚。屋外にいるよりはずっといいけれど、そこは疑問を持つべきです。
と思っていたら
夜勤を含めた数日間の連続勤務より帰宅して早々に寝ていたら、いきなり入ってきてシーツの上にモータープールを作る娘22歳。
自分のスマートフォンだと巧く撮影できないからと、人の携帯で勝手に写メする娘22歳。
赤ハスラーが出るまで粘るつもりのようです。
学名を捩った愛称は、二人とも気恥ずかしいみたいですが、将来的に導入される(かもしれない)ハスラーと、もう一台の名前として採用させていただいても構いませんか?
もう一台が何になるかは不明ですが(爆)
粘るのはいいんですけど、昨今のガチャなんてそこそこの単価だろうし、この写真は前回送られてきたものとは別の買い出し結果らしいので、ほどほどにしてよねーと返信したところ
もはや何も言えません(娘、って言ってるくせにー)