この連休は熱出して寝込んでました・・・
お彼岸なのにねぇ。
お墓参りに行ける体調じゃないので、実家には連絡してそのまま布団に。
気が付いたらでん助がぴっとり。
いつもは夜寝室に来たって10分かそこらで居なくなるのに、ずっと横で寝てたみたい。
・・・看病してるつもりなのか???
良いんだか悪いんだか・・・
これがわかれば貴方もエスクード通だぜ
普段だったらこの手のムックは我々には縁がない(エスクードなんかほぼ相手にされないから)のですが、これだけ年月を経ると超有名な国産車だけでは企画が持たないと見え、我が家で乗っていたような地味な車も取り上げられている。うちの霙には目の毒な日産パイクカーのページも割かれている。ってんで、手に取ってみました。珍しくなのか珍しくないのかわかりませんが、初代パジェロとか初代ジムニー(間違ってないけどなんか聞き慣れない読み慣れない響きだ)も出ています。
パジェロはともかく、ジムニーに関しては誕生48年目という半端な年回りでも、先頃20年ぶりのフルモデルチェンジ(ほんとうにフルなのかどうかはまあまた別の機会にでも)があってのことで、雑誌の販売・・・と広告戦略的にマストアイテムでしょう。なんせ8ページも使って歴代の解説やら開発の歴史を綴っています。・・・と思ったら、実はジムニー企画は7ページまでで、最後のページをめくったらなんかこう見慣れすぎたものが。
一通り読んであきれて物も言えない気分なんですが、普段ほとんど相手にしないだろうから知識も無いし調べる努力もしていない。もういちいち記事が間違っててそのまま書店入り口の屑籠に放り込んでやろうとしたけど逆手にとって遊ぼう。「このページの記事のどれほどが間違っているか」。これがわかったら貴方も立派なエスクード通です。ま、いずれまともに旧車扱いでエスクードを掲載する際、こんな程度の記事しか書けないなら月刊自家用車も旧車FANもその程度の雑誌だよ。
Bレイドルート設計の難関
「なんか変なのがいました!」
「ピグモンかと思ったですよ」
Bレイドのレッキ帳づくりで試走している娘らからの報告によれば、湖畔近くの集落を移動中、忽然と現れた・・・というより道端に佇んでいたとか。こりゃー薄暗くなってから走っていて遭遇したら、こわいかもなー。
これはいわゆる「鹿島様」の一種のようなものらしく、地元では「ダイダラ法師」「大人形」と呼ばれている人形道祖神です。集落の境界線にいて、災厄が侵入してくるのを防ぐ役目を担っているのです。
案の定、これに遭遇したとたん、予定コースは道が細くなるわ方向が怪しくなるわで、迷子になりかかったようです。
うーん・・・こういうのこそ面白いんだけれど、通行の安全も確保しないといけないので、もったいないんですがこの道筋はレイドのルートから外すしかないなあ。
こんな感じでレッキ帳づくりからしてドタバタ状態なんですが、大問題なのはゴール地点の提案。もちろんこの時点では候補なのですが、前回が難解すぎたことの反省らしいけれど、あまりにもバレバレな場所でかえって困惑するわ。
一昨日、OutRider事実上の休刊のことを遅まきながら書きましたが、実は、つくばーどは同誌の黙認のもと、コラボレーションなノベルティを企画したことがあります。
当時、つくばーどにはアウトライダーならぬ「遭うと労働」という言葉があり、イベントの設営時には誰彼となく手伝いを押し付けられる(半分とまでは言わないが事実)風潮がありました。
もっともこの言葉は同誌から持ってきたものではなく、五木寛之さんの「風の王国」という小説の中に出てくるオートバイツーリング誌「OUTROAD」をもじったものです。でもたぶん、五木さんご自身がアウトライダー誌からこの名前をとってきたことは明白ですね。
と思って調べてみたら逆でした。「風の王国」の発刊が85年、アウトライダーは86年の創刊。おぉ? てことは当時の編集者たちが「風の王国」に共鳴したのか、それともこの二者は同時につながりを持って生まれてきたのか・・・
もちろん偶然かもしれませんが。
ともかく「遭うと労働」。これを、当時、同誌の制作にかかわっていたエスクード乗りの友人がピックアップしてくれて、確か同誌がノベルティとして作ったうちわの何本かの、裏なのか表なのか不明の片面に組み込んでくれました。50本くらい作ってくれたものを、夏のイベント時に配布しました。さすがにもう僕のところにも現存していませんが、大それたことをしたものです。何が大それたかって、黙認とは言いながら、このうちわづくりはその制作会社の社長さんが自ら手を下し、糊付けや張り合わせをやっててくれたという逸話付きでした。
御朱印(おいおい罰が当たるぞ)
旅するように生きたいけれど
OutRider誌がとうとう定期発行を断念しました。8月に出た号なので「していました」と書くのが正しいかもしれません。ミリオン出版の月刊誌時代からずっと、ツーリングシーンを前面に出しての、ある意味自動車雑誌では困難なほど臨場感のあるスチルが美しく、実際に旅情感を誘う雑誌でした。2002年に休刊し残念な思いをしていたら、なんと翌年に季刊誌として立風書房から復刊されたときは小躍りしたものです。
立風が学研に吸収されたり発行元がバイクブロスに移籍したり紆余曲折を続けながらも隔月刊にまで復帰していたのですが、紙媒体の需要が激減した時代の逆風には敵わなかったようです。
不定期でも雑誌としての可能性を見出していくのか、webやSNSに流れていくのかは今後のことですが、A4版の見開きページで迫ってくる各地の風景に溶け込んだバイクツーリングの臨場感が、パソコンのモニター、ましてやケータイ端末の画面で伝えられるとは思えない。買ってくれる読者層が一握りなら、そこだけに門戸を開く考えもあるでしょうが、そういうSNS的な世界にいてはいけない雑誌のはずなのです。
しかし売り上げが立たなければ、畳むしかないんだよねえ。





