流しの下から隙間風。大分前から気づいてはいたんだけど。
新月サンが台所の混合水栓交換してくれた時に、シンク下の腰板が
外れかけてたのよね。よく見たら腰板がとんでもないトコで止められてて(床のガイドが意味ないくらいに隙間が開いてた。そらぁずれるわ)
そのまま数年放置してたんだけど、よく考えたらG入り放題では(爆)
掃除も兼ねて、プラ段の切れ端でふさぐ事に。
・・・普通こういう事って夫がやらんか夫がっ!
無事にふさがったので、これで換気扇回しても足元スースーしないぞ。
聞くところによると、広島や福井を主体に開催されていたJXCDが本年は競技自体行われないとのこと。エントリー人気の動向は判りませんが、スポンサー離れに直面しているのかもしれません。笑えない現実はTDAにもふりかかる可能性がありますけど、島雄司社長に尋ねると「まあ私の力の及ぶ限りは続けていきますよ」と元気そうでした。
しかし活気のある九州ダートラ市場にも変化が起きているらしく、ジムニーのワンメークレースや、パジェロJr.のワンメークレースといった、新しいビジネスチャンスが持ち込まれているとか。
当然、ウエストウインにもチームではなく企業レベルでの誘いが入っているそうで、島社長も元気なところとは別に眉間にしわを寄せています。
「それぞれの主催者がビジネスライクにものを考えることは自然の流れですが、すべてにかかわっていったらTDAが些末になります。私自身もそれらの組織に取り込まれれば、チーム監督としてウエストウインを率いるわけにはいかなくなる」
強豪揃いのJXCDが無くなったことで、ウエストウインが格上の排気量勢に挑むという遠征先が、新たな企画においてはことごとく「ワンメークレース」の条件に阻まれてしまうのも悩みの種のようです。遠征自体がチームのモチベーションにつながってもいましたから。また別の視点で見ると、TDAを走りきった。ステップアップしたレースに行きたいという出場者も出てくることでしょう。
「うちとしては、TDAを通じて、1ランクも2ランクも上のステージで戦えるドライバーを育てたい。これは何もウエストウインのチーム内からでなくとも良いのです。そのようなレースの中に、型にとらわれない楽しみを醸成したいんですね」
島社長の理念はそこにあるのですが、イベントが群雄割拠してくることは、TDAそのもののスタイルを固持すると参加者離れが起きないとも限らないし、スポンサー側の選択と集中という懸念も出てきそう。
それにしても、TDAの枠内とはいえあれだけ猛威を振るうエスクードの存在にもかかわらず、ジムニーとかパジェロJr.とか。アフターマーケットありきの企画ビジネスな構図が見え隠れします。エスクードじゃそこまで市場を掘り起こせない。だけど仮にエスクードのワンメークレースなんてやられようものなら、貴重な個体がことごとくぶっ壊れていくので、それはそれで「やめてーっ」と叫んでしまいそうですが。
雪洞スコップ掘削で未だに筋肉痛ばりばり(友人のクルマ発掘も相次いだため)の霰は、ハスラーの少し重めなパワーステアリングに「いてーっ」とか言いながら初乗り。若さもあるんですけど、なんとなく運転のスタイルは母親譲りな気がします。
干支もイノシシだしね(母親なんか〇年だもんな)
海に行きたいか山に行きたいか街に繰り出すかを選択させたところ「霙が工芸用品を買いたいと言ってるからひたちなか。かな」とのことで、北関東道から東水戸道路を経て、ジョイフル本田のクラフト専門店へ出かけ、その足で阿字ヶ浦海岸に向かいますが、駐車スペースとはいえ果敢に砂地に踏み込んでいくので「言っとくがこれはFFだからな」
こういうカタチのクルマはそもそも四駆だろうと思い込んでいたという・・・
まあそれでもこの程度の砂地でスタックするはずもなく、海辺を後に那珂湊の街をめざし、今度は霰が友人何人かに頼まれた「ほしいも」の買い付け。大学のゼミで土産に持って行って以来、人気商品なのだそうです。しかも「ほしいもは上品で高級なお菓子」の部類と評価されているそうで、これはもう意外としか言いようのない話。我々なんかは子供の頃にいやというほど食わされて、おやつの乾燥芋はもう勘弁、でしたから。
「これが上品で高級、というありがたい評価を聞かされてもよ? お母さんの誕生祝に買って行ったら絶対にぶっとばされるよね?」
「そうですねー。誕生祝は無難にケーキ屋さんにいきませうよ」
という流れで、帰宅途上に隣町のいつものケーキ屋に立ち寄り、土曜日に誕生日だった母親あてのケーキを買い求めます。
「後方視界わるくないんだけど、お父さんのみたいなワイドタイプのルームミラーの方が便利かなあ」
「フロアマットもトレー型のほうがいいと思うぞ」
と、余計なことを言ってしまったため、それらも買い足しに量販店に。しかしここでシートカバーをどうするか、という話も出てきて、純正ならまだしも既製品だとサイズや形が合うかどうかわからないだろうとそれは保留とし、基地の備品から流用ということになりましたが、わかる人が見たら笑うぞこれ・・・
新車を投入するのは先代らすかる以来ですから実に23年ぶりです。車を買うのもぷらすBLUE以来なので12年ぶり。とうとう携帯電話並みに一人1台時代に突入です。
名義人が帰省してくるまでに試運転をしましたが、各種誤動作防止システムの融通の利かなさは、まだまだ安全装備としては及第点ではないなあと感じます。
あれもこれも最初からついているがために、各システムが一度に反応すると、何が起きた?の混乱を招きます。
それらには慣れるとして(慣れないと思うけどねえ)、車として見た場合は明らかに進化していることを思い知らされます。そして初代エスクードと比べて、室内空間のなんともゆったりしたことへの驚きね。これはJB23以上に実感します。
しかし就航後いきなり雪天らしいので、スタッドレスも履いていないこいつはしばらく置物になりそう。小物入れにこっそりフライパンでも入れとくとしよう(笑)
1991年夏、軽井沢。家内・れいんさんと結婚した年の旅行の一コマですが、89年5月に購入したエスクードは1型で8バルブ。5速マニュアルミッションなのでパワー不足は感じませんでしたが、トルクはともかく馬力は82しかない。しかしこの頃すでに量販車は16バルブ化され100馬力の大台に乗って、いわゆるライトクロカンの本領発揮へ向かっていました。それはさておき家内、二十代半ば。これ買ったために結婚が2年ずれ込んだのです。
そして奇しくもこの年に市場に出た91年式の2型に、初代の最終型が登場した年に生まれた娘が乗っているという奇蹟・・・というか謀(笑)。結果論と言えばそうなんですけど、亭主でありとーちゃんがどんだけ泣けてくるかの思いを抱いているか、彼女たちに届いているのやらいないのやら。
おそらく聴こえなくても ささやかな小夜曲をあなたの誕生日に。
以前は気にとめてもいなかったのですが、ハスラーのリアフェンダーは控えめながらブリスターフェンダーを纏っているんですね。このふくらみのラインは、まさしくエスクード譲りの造形です。
フロント側もブリスターと言っていいラインですが、フェンダー下部側をえぐるようにへこませているデザインの方が目立つので、これは遺伝情報の一部がエスクードから進化したということなのでしょう。
ブリスターフェンダーがエスクードだけの意匠だとは思っていません。その初代エスクードだって、開発した人に言わせればホンダシティの形からヒントを得たということですし、01系ショートって、プジョー・205ターボ16をオフロード調に・・・したんじゃないかと言いかけて、いやそれは、あっちの方がよほどオフロード性能高いわ。
蓮田さん、和邇さんのセンスの水準の高さにお手上げで、手持ちのアクセサリーカタログには無いデザインのボディーデカールは、こまやかすぎてこの大きさでは描き込めません。バンパーガードは、最近模型をいじっていないため適当なπのランナーが無くて、まだ制作していません。まだ名無しのJStyleⅡは、車体色は再現できるもののグリルのフィンなんかどうやったって作れませんし、ロゴも無理。ホイールデザインが異なるためそこがやたらと目立ちます。
あっ、うちのにはルーフエンドスポイラー付くんだよ。あれも作らなくちゃいけないのかと思うと、もう老眼が恨めしいことこの上ないです。
ところで、はすらすかるもメカはすらもどうも却下の方向のようです。スポイラーの付いたこの車はあまり見かけないので、仕方がないからそこから持ってきて「オジロ」と呼ばれることになりそうです。
いやしかし、それってあちこちから「ちがうだろーっ」って言われそうだねえ。