新月サンがのまちゃんを運転中、(会社の)隣の奥さんがワンコのお散歩しているところに遭遇。
暗くなり掛けだったから、判るかなーと思いつつ会釈したそうな。
翌日会ったので「昨日判りました?」と聞いたら
「判るわよ。この車(他に)みないもん」ですって。
んー、確かに。
初代は近隣で殆ど見かけなくなったわ。
今から130年前、東経135度の子午線の時刻を日本標準時することが勅令をもとに運用開始されました。その勅令が公布されたのが2年遡った1886年の7月13日
これは東経0度のイギリス・グリニッジ子午線を基準子午線として定めたもので、地球一周を24時間で区切った経度を時差の目安としています。経度が15度動いた場合、時差はちょうど1時間と定義できるためです。
東経135度は世界標準時に対して、9時間ジャスト進んだ場所ということになります。これが何処かといえば、日本海側は京都府京丹後市から明石海峡を経由し淡路島北端をかすめて和歌山市の沖ノ島西端で太平洋に抜けていきます。
子供のときにこれを授業で聞かされ、なんで9時間なんて半端なところを選んだんだろう。どうせならきっちり10時間の場所を指定すればよかったのに。と思いましたね。地図帳の経度線を探しましたよ。日本列島には10時間時差となる東経150度線が・・・ありませんでした。
8年前、広島県の世羅まで出かけた折、BLUEらすかるが東経135度の子午線付近を走る様子を偶然にも撮影していました。このときBLUEらすかるにはTA01WさんとSIDEKICKさんが乗り込み、僕は明石海峡大橋のたもとで落ち合ったcyber-Kさんのグランドエスクードに乗せていただき、助手席でした。考えてみると、経度15度の時差がわずか1時間だというのに、このとき明石まで10時間もかけて夜通し走ったという、地球スケールと人間スケールの大差。
そういうのがツーリングの醍醐味でもあるわけですが、緯度を割と気にかけて動くのが関東以北で、西日本に向かうときは経度なんだなとあらためて感じました。東経140度あたりで日本列島が折れ曲がっていますから、そんな感覚になるのかもしれません。
と、ここまでは実は昨年書いて掲載しようとしていたものなのですが、直前になって「スズキ欧州ディーゼル車に不正の疑い」という報道があり、コンプライアンスのことについて差し替え、来年まで待とうと蔵入りさせていたのでした。
今年のいま、子午線の地方がかつてない特別警報に及ぶほどの豪雨災害に見舞われていることに、この数日固唾をのんで見守ることしかできていません。豊かな生活圏から安全安心を担って戦後、インフラが完備されてきたというのに、それをも上回る自然災害が繰り返される。防災減災と何年か前から謳われているのに、まだまだ対症療法でしかない現状の政策では、救える人々も救えないのが現実なのかと痛感しながらも、自分じゃ何もできないことがまたしても目の前に展開しています。
被災地の皆さんに、これ以上の被害が及ばないよう祈念するばかりです。
日付の関係から「百年の帰還」を先に出してしまいましたが、仕事で須賀川市役所に行ってきたのです。こんなところに通されたらアドレナリンふつふつとわいてきちゃって仕事にならないってば(子供か俺は ←間違いなくそうです)
つい、打ち合わせは三分以内に済ませないとだめですか?とか、署名はウルトラ文字で書く必要がありますか?とか口にしそうな自分を制し、その手の言葉を禁じ手に過ごすなんともくすぐったい落ち着かなさ・・・
本気で作ってきた割には月産生産台数が100台というジムニーシエラの購入競争率は、今後ちょっとした話題になりそうですが、発売日にいち早く試乗してきた和邇さんがどう食指を働かせるのか興味があり、また最近は1300系のジムニーを手掛けるようになったフジ・オートの渡辺代表にも新型の印象を聞きたいと考え、緊急会議を無理やり開いてきました。
が、いよいよサイドキックを手放すかと思われた和邇さんは、車検を通すために訪れておりました。
ここまで待ったのだから、出てくるものならシエラのロングを希望しているのが和邇さん。小型車とはいえジムニーのロングというのは、これまでエスクードが築いてきたエポックメーキングを奪うようで納得しかねるのが渡辺代表。しかし長年コンパクト四駆にこだわってきた初代エスクードユーザーにとっては、渡りに船の可能性ではないかと感じているのが僕。
ここで妄想するなら、30年前にエスクードが誕生し、新規マーケットを開拓しながら満を持して追加投入されたノマドが思い出されます。ノマドの登場は、最初のマイナーチェンジとともに2年後に用意されていました。これを新型ジムニーに当てはめると、奇しくも「ジムニー誕生50周年」の年回りになります。
当然、50周年記念の特別限定車などは企画されるでしょう。しかし50周年です。記念企画ものだけで済ませるのだろうか? ジムニーとはあくまで軽自動車としての存在意義が揺るがないことは承知の上ですが、ジムニーを越えるジムニーという提案を繰り出し、いっそのことシエラやジムニーの冠を外して5ドアの小型四駆を生み出してもいいのではないかと感じているのです。ノマドが出てきたあとじわじわとブレイクしていった隙間市場は、今また隙間となっています。やらない手はない。
エスクードの方は四代目になってもエスクードの名を踏襲していますが、ウルトラマンで初代を名乗るのは1人だけ。ウルトラマンと云う「通り名」に本名をくっつけて(一部例外アリ)、次々と代替わりしてきました。
エスクードはたまに「ノマド」「S」「グランド」などと冠やサブネームもつきましたが、エースとかタロウとかまでの広がりはありません(エスクード・ルーブなんてピンとこないし)
両者を同じ土俵で語りようもありませんが、実は大きな違いが一つあって、何十人ものウルトラマンシリーズがいながらも「ウルトラマン」と示した場合、ほぼ100%、それを「初代」の姿としてイメージすることでしょう。
「エスクード」の場合はどうか。今尚初代のネームバリューは残っているとは思いますが、おそらくそれを所有する人たちによって二代目であり三代目であり四代目が台頭してくるのです。代が新しくなるほど、初代と接するケースは激減しますから、同時に印象も色あせているはず。そのうちこれなんという車?と尋ねられるのかもしれません。
まあそれでも初代は初代で揺るぎないんですけどね。エスクードでウルトラマンに挑むのはちょっと無謀か・・・
そのエンブレムを取り寄せて貼り付けたエスクードではなく、正真正銘の北米にあった二代目の初期型V6‐2500。しかし後ろ姿だと「左ハンドル」であることに気がつかなければちょっと見過ごしてしまいます。
これは2003年にトロントで撮影されたもので、提供してくださったはMaroさん。彼のお父さんが所有していた個体です。
このグランドビターラを運転したことが、彼のエスクードライフのきっかけであり、お父さんの影響であったそうですが、どうもそのあとに、どこかのエスクード馬鹿にも惑わされたらしく、トロントからの帰国後にノマドを購入し、その後どこかの馬鹿みたいな距離を出しているエスクードと同じスタイルの直四の2000に乗り換えております。誓って言いますが、そのどこぞの馬鹿は当時、そんなことはつゆ知らずに走っていました。
Maroさんは先ごろ、2台乗り継いだエスクードを退役させると決意しました。残念なことですが老朽化と故障の度合いで、それは避けられないことです。が、彼のお父さんが対極にいて、聞けば32年前のセダンをまだ所有しており、
「気に入った車は手放しちゃだめだよ。そういうことならおれはあのセダンを手入れして乗るから、今おれが乗っているTD61Wを譲ろうか」
と、粋なことをおっしゃる。
そんな対話を傍で伺っていたら、書き留めたくなるじゃないですか。というのが、今回出るスーパースージー107号の掲載記事ですが、かなりダイジェストにしてしまったので、30年企画webの方にフィーチャリングしようと思います。
で、その記事は掲載されたのですが、事実は小説より奇なりという「まじですか」な話を別所で聞かされることになろうとは・・・