あ?熱帯化?!
ホンコンカポックという通称の観葉植物なんですが
(本当はシェフレラと言うらしい)
・・・駐車場の塀の向こう側に伸びてるって事は、地植えだよねぇ。
熱帯から温帯の植物だったはず。暑さはかなり強いけど、寒さはちょっと苦手っていう。
地植えで2M以上育ってるのもビックリだけど、ジェリービーンズみたいにカラフルなコレって・・・どう見ても実だわ。
花、咲くんだ・・・
マニアでしょ?と言われても否定する必要がないほど特撮番組も映画もアニメーションも好きな僕ですが、そういう人生にどこでどのように転落(おいおい)の一歩を踏んだかといえば、当然、受動的なファーストコンタクトでした。それが1964年の7月です。ピンポイントに19日ではなかったと思いますが、叔父が(後にウルトラを押し付けてくるあの叔父ね)彼の父親、つまり僕の祖父に言われて新潟地震のグラフ誌を町に一軒しかなかった本屋に買いに行かされ、そのとき貰った小遣いで一緒に買ってきた週刊少年キングなので、要因は19日にあるのです。
この少年キングに掲載されていたのが「サイボーグ009」の第1回目で、おそらくこの雑誌を偶然にも読んでしまったことが009との出会いを通した、SFとの邂逅です。他の連載はほとんど覚えていませんが、戦中派である親世代からの刷り込みによる「0戦はやと」は記憶にあります。
よもや。ね、それがスタートラインになって震災の直前に原作者の故郷である宮城県に転勤して、現在に至るウルトラ以上の長い年月、009を遠かったり近かったりの場所で読み続けるなどとは、幼稚園にも届いていない小僧に予感できるわけがありませんが、そうなってしまいました。この間、日本におけるSFの定義づけにもいろいろあったらしいですが、現実を超越して科学的にも空想できるあらゆるジャンルは、全部SFとして飲み込める資質を持ちえたような気がします。
しかしこれも肯定論で言うことですが、どんな人間に影響されるかで人生のある程度は塗りこめられているなあと、自分の叔父について思うのです。彼が「0戦はやと」や「少年忍者部隊月光」を読んでいなければ、我が家には少年キングが山積みになることもなかったのです。
でもって、珍しく定時で仕事を終えてパソコンを切り替えてみれば、完全新作・三部作のニュース。
もう勝手にやってください。な設定とデザインですが、こりゃもう同人誌レベルだねえ。
関東平野とはいえ山間部に秘匿されたつくばーど基地の春から夏は鳥と虫と獣の楽園です。震災以降個体数の増えた猪との農作物をめぐる攻防戦が夜毎に繰り返され、夜明け前から様々な蝉の声で起こされ、日中は今、繁殖期を迎えた鶯がもううるさいのなんので、日がな一日、
と思えば
なんだ? 雄が二個体いやがりますよ。片方はまだ鳴き慣れていないというか巣立って初めて鳴くのか? というかのへたくそなさえずり。しかしこいつらがまあ休むことなく
1日1000回さえずる。というのはあながち嘘ではありません。もう早いとこ伴侶を見つけて地鳴きに移行しなさいよー。
50年前の今日も日曜日でした。僕は「ウルトラQ」の怖くて不快な呪縛から解放され、日曜日は夕方になると「サンダーバード」のメカニックメカニックまたメカニックな迫力が楽しみ。しかし「Q」の大ファンだった当時まだ高校生でプロレスにも傾倒していた叔父は「マグマ大使」を見るぞとチャンネル権を譲らない。「マグマ」は月曜日の放送ですから僕の見たい番組とは被りませんが、マグマの造形がとにかくいやで、いかにロケット形態が出ようとも見せられるのが苦痛でした。
その叔父が、日曜日の夜7時から新番組を見る、つまり家族内のチャンネル権を占有するため、朝から家事手伝いを率先して引き受け、そのまた手伝いを有無を言わさず申し付けられたのが僕。概略は省きますがとばっちりです。
そうして夜7時。ニュースを見ないのかといぶかる祖父母(ったってまだ若い)を尻目に、まあだしに使われた形で叔父とともに「ウルトラ作戦第一号」を目にしたのでした。
サンダーバードの救助メカに比べると、なんだか嘘っぽいなーと感じながらもいきなり事故に巻き込まれて墜落炎上しちゃうパトロール機(名前なんか知らないもん)、捜索に出動する別の機体(なにしろ名前わかんないもん)、それが運んでくる潜航艇と(だって・・・しつこい)、これらの映像には食い入るように見入ってしまいました。が、後半はなんだか変な怪獣と、つるっとした変な宇宙人がプロレスを繰り広げてしまい、かなりがっかりしたというのが、今に残る記憶です。
その後数年にわたり、僕の周囲にはジェットビートルだとかウルトラホークだとかのプラモデルがずらっと並ぶのです。しかし考えてみてください。そんなものを幼稚園に通い小学校に上がるような年頃の坊主が作れるわけがない。二人の叔父や親父が面白がって買い求めてきては自分たちで作って、それを僕に与えていたのです。それでもがっちりと刷り込まれてしまったウルトラという記号は、その後の成長に大きな影を落としていくのでした。
そうなのです。この半世紀、ウルトラマンなどどうでもよくて、脇を固めるウルトラメカニックや、仮面ライダーそっちのけでサイクロンの雄姿や、それらが少しでもかっこよく演出されているシーンを心待ちにしてきたように思います。そんなシリーズが50年も続いているとは。そして聞くところによると、霙の大学にもウルトラをはじめとする特撮技術の研究を仕事としている中堅の教授がいらっしゃるとか。まさかですね、来年あたりその授業が履修されたりしたら、変な因果の糸車がこんがらがりそうです。
左は縄文中期の遺跡から、右は縄文晩期の遺跡から出土した土偶のレプリカでミニサイズ(スケールばらばら)。中期と晩期は、レンジの取り方にもよりますが1000年から2000年くらいの開きがあったはずで、それだけ時間が経過すると偶像のとらえ方がこんなに変わってしまう。もちろん片方は山形県、もう片方は青森県から出土しているので、縄文期にはきわめて別種の民族同士だったのかもしれませんが、作り手の側が持つ情報量と技法が大きく変わっていることは明瞭です。
晩期のものは「壊したものを再利用する際アスファルトで接着している」例や、そもそも造形技術が圧倒的に進んでいる。実物はこれの5倍くらい大きいですから、それをシンメトリックに、自立するように作り上げていただけでもたいしたものです。
にもかかわらず、女性を模ったといわれる土偶の女性らしさがどちらににじみ出ているかと言えば、中期のデザインセンスに脱帽するのです。どちらも国宝指定されていて、国宝指定の土偶はあと3体ありますが、それらのどれよりもシンプルさが美しい。←あくまで主観
しかししらなかったよ。土偶のポータルサイトなんてものがある。