「数字で上がったのはわかったけど、見た感じの変化が知りたかった」
と、最低地上高の記事に対して追加の質問をいただきました。
同じ個体の施工前後の写真を同時期に撮影しておけばよかったと後悔しながら探してみましたが、同じアングルのものってなかなか無いのです。
見つけ出した2005年の買取直後のスタイルが上の写真です。納車前はサイドステップまで付いてましたからもっと低く見えたけど、まあダックスフントかコーギーです。
下の写真が、翌年に足回りを交換した直後の姿。タイプMのホイールなのでタイヤはスタッドレスだから、タイヤ外径はこの時点ではまだ、さほど大きくなっていません。純正規格がいかに低いかがお分かりでしょうか。といっても向きが反対だし角度も異なるので、またしても判別しにくいかもしれませんが、今では見慣れてしまってこれがエスクードの当たり前の車高だと思い込んでしまってます。
いがらしみきおさんといえば、僕の場合すでに「ぼのぼの」で知識が止まってしまったままでしたが、最近は宗教思想的な雑誌に連載を出し、東日本大震災から3年後の物語を描いているとか。その手の雑誌には手は出さないよと、またもやぼのぼのから先に進むことのない僕でしたが、手元に回ってきた一冊の冊子が、まるごといがらしさん執筆の漫画でした。宮城県に本社を置く建設会社が設立している一般社団法人の建設業協会が依頼した、震災直後の記録を基にした物語です。
地震、津波が不意に襲ってきたあの日、混乱と憔悴の中で、メディアのビジュアルに映し出されていたのは救助を展開する消防やレスキュー、そして自衛隊の姿でしたが、彼らがいち早く被災地に入れたのはなぜかと言えば、東北道が専有化され、国道4号や45号の津波堆積物、瓦礫がどかされていたからです。
被災直後にもかかわらず、なぜそれができたのか。誰がそれをやり遂げたのか。
請負業が基本の建設会社はそういった重要な事実をプロパガンダとすることを良しとしなかったため、まさしく知られざる記録となっています。今になってこのような冊子が作られるのは、ようやくそれを話題にしてもいいかなというムードが醸成されたことと、来年以降の復興予算枠がどうなっていくか、不安要素が出てきたからかもしれません。
この冊子は県内の学校や公的な機関、市町村に配られているようですが、それだけではだめではないか? 県境を越えたらニュースは流れていない。むしろよその土地でアピールした方が、記録と記憶は断片であっても伝わるという効果を得られると思います。
これも昔話ですが、初代エスクードが開発された時期は、ジムニーの二代目、SJ30が2型か3型になったころからです。エスクードの登場時には、ジムニー側はJA7Ⅰの3型に移行していました。TA01RとJB23Wは10年の時を経ているわけですが、かたや「ジムニーに乗っている人が次に乗りたいと思う車」、そして「ジムニーを受け継ぐジムニー」という、けっこう重大なテーマを背負って生み出されたもの同士なのです。
JB23Wは、車体の安全基準について、小型車に準ずる改正を施された軽自動車なだけに、JA時代に比べるといくらか寸法が大きい。うちのぷらすBLUEの車高が上がっていなかったら、ちょっと車高を上げただけで初代のエスクード以上にに堂々とした車体に見えます。
ショートの01系がいかにコンパクトであったかという見方もできるのですが、規格改正に恵まれたことで、3代目ジムニーには可能性や自由度が拡充されたとも言えるのです。だからこそ23はジムニー史上最長の2代目シリーズを受け継ぐのに充分な素養を持っているのです。モデルライフこそまだ2代目には及びませんが、単一機種で10型まで来ていることが、その成熟度として現れています。
しかしSJ30からJA22までめまぐるしくエンジンやサスペンションなどの変更を受けた2代目には、その進化自体の面白さと、ブランドを確固なものにしてきたという実績があります。そのことは念頭に置いておくとして、エスクードとジムニーは、TA01ショートとJB23Wの間柄において、2代目ジムニーをそれぞれの立ち位置で引き継いだモデルなのです。
えっ? でも僕はもうジムニーには乗りませんよ。それが信念ですもん。
さるムックによる往時のインプレッション記事ですが、かつてこれほどミスマッチな谷田部テストがあっただろうかという企画です。これが行われていた頃はまだ昭和。谷田部のオーバルトラックも健在でした。いまでもテストコースが当時のままであったら、三代目エスクードの企画本でなら必ずトライしていたことでしょうし、ほんとにバンクを走らせていただろうなと思わされます。
言うに及ばず、このエスクードは1型です。OHCの8バルブです。ATの車体はGMのそれを組んだ3速もの(でも手引書を見るとロックアップ式なのね)です。
およそテストコースで走らせた経験のある人といえば、メーカーサイドの人々だけでしょう。部外者では「こんなところに持ってきちゃって・・・」と、青ざめる人もまだいない時代でした。編集者だってノリだと思うのだけれど、出てきた数字のまとめ方に困ったのか、予想外にいい出来だったのかは謎です。
それでもライトウエートという前評判による「優れた高速加速性能」だとか、8バルブでロングストロークの意味するところに「低速から太いトルク」という言葉は、適切なところを見出しにしているのが感心です。
実際に1型に乗ったことのある人は、この手の記事には照れ笑いを浮かべるしかなかったのですが、上記の2点については偽りはありませんでした。この手の車で加速性能といっても、最高速度を競うレベルじゃないので、そっちは程度問題ですが、低速トルクの使いやすさは逸品だったのです。
今や谷田部は左の写真のようなバンク跡も削られてしまい、つくばエクスプレスの駅前開発が進んでいるようで進んでいない街と遺構の入り混じった風景。通りを流していても、初代とすれちがう機会はめっきり少なくなりました。
汝 歪んだ夜よりきたる
「完全版」という出版企画を最初に思いついた編集者は、コロンブスの卵かりんごが落ちる瞬間を見ていたニュートンか、くらいのひらめきがあったのでしょう。しかも『うしおととら』は、文庫版もワイド版も出版されていますから、四匹めの鰌というか、満を持してのテレビ放送タイアップというか。
単行本があるから文庫もワイドも避けてきたのに、あー手に取っちゃったよ。
1、2巻はそれぞれ三章ずつが収録されていますが、この先どれだけ巻を重ねるんだ? 外伝を除いて短いのもあるけど五十五章くらいあるし。単行本で33巻あるから、けっこう長い付き合いになりそうです。1巻にはこの漫画の原型となった「魔槍記」というプロトタイプのネームノートが宿指されておまけになっています。こういのは一話だけ「カラーライズド版」とかそれを付録化した方の表紙デザインを変えるなどという姑息な商法より良心的です。
コミカライズ ネクサス
こんな漫画が児童誌で連載されていたとは知りませんでした。だって「ウルトラマンネクサス」ですよ。ゴールデンタイムにもかかわらず深夜31時台(いや、それが何時だか考えると翌日のオチャの時間なんだけどさ)の考え方で制作された、ものすごく重く苦しい世界観を演出した異色のウルトラマンですよ。でも、毎回毎回「うっとおしいぞ」と思わされるほど、ほんとに毎回メカニック名や登場人物のト書き紹介が出てきて、なるほど青年誌じゃなかったのねと確認させられます。
作画した椎名高志さんをして「これを描くにあたって子供向けのアレンジはしなかった」旨のコメントを寄せています。かなりのダイジェストと無理やりなコマ割りもありますが、ネクサスが光を受け継ぎ希望をリレーするウルトラマンであることに、物語を集約させた点で、その世界観を保ちながら王道で正統派な漫画の出来栄えになっています。
椎名さん自身「話によっては50ページでやりたかった」(連載は1話11ページ)と悔やむほどの駆け足な一冊です。「全20巻コミカライズ」という妄想も発言しています。





