ましてやベーコンを炒めてるワケでもありません。
美味しそうな大根が売られていたので、バラ肉のブロックと煮ようと思って下ごしらえ中。
葉付でぷりぷりしてましたよ(何か表現が変)
大根を下茹でしてる間にお肉を焼いていたら、脂がとけてきてほぼ揚げ物状態に・・・
剥いた皮は細切りにして葉と一緒に炒め物♥
お酒が進む一品ぢゃ(笑)
悟道の里山開山祭に呼ばれた帰路、久しぶりに駅前のお店に立ち寄り「河童店長」の朗らか且つ面妖ぶりを拝見しながら昼飯をと考え、里山で用意してくれていたひっつみ膳を丁重に辞して来てみれば・・・
つい一カ月ほど前のことじゃありませんか。日付で想像するに、遠野祭りを見に来たお客を最後にもてなし、祭りの週末明けに店じまいされたようです。僕が若かった頃、すでに彼は遠野駅前でまだ人の姿でお店を出していたので、この街では立派な老舗だったのです。近年は河童の姿にまで勝手に身を変えてまで来訪者に笑いを振りまいていたのに、いったいどうしたことなのか。
お店の名前は昔から遠野っぽくないポップなネーミングでしたが、実はこれは彼のお姉さんの愛称を譲り受けたものだそうで、そのお姉さんがこの夏、鬼籍に入ったのだとか。どうやらそのことから大きな決断に至ったのだと、近隣の人と立ち話をさせていただく中でわかっていきました。
「祭りの週末はSL銀河も駅に来ていたから、店長は本当はそれに乗って帰りたかったんじゃないかなあ。お店の後片付けも残っていたから、そうもいかなかったと思いますよ」
もの哀しい話です。彼はきっとSL銀河のあとにやってきたであろう銀河鉄道に乗り込み、お姉さんの野辺送りのために遠野を離れて行ったのだと考えながら、僕も駅を後にするのでした。
写真は3年ほど前の曲り家で、今は茅の葺き替えも済み内部修理も済んでいます。東日本大震災では遠野も地震の影響を受けましたが、この建物はびくともしなかった。もちろん屋敷自体は80年代に建てられたものだから古いわけではないものの、それでもざっくり築30年は過ぎています。まだ悟道の里山プロジェクトが始まったばかりの頃、ここを見せられ、真野さんは建築としての堅牢さだけでなく、日本という文化伝統を有形無形問わずに残していきたいのだなと感じました。
お寺の本堂では遠野八幡宮やら出羽三山から多くの宮司が訪れ、それこそ宗教宗派関係ないわという祭礼を開き、里山内では様々なジャンルのバンドが演奏を繰り広げ、遠野って地元のお祭りでにぎわうのは年に4回くらいだったよな? と思うくらいの人出です。言っちゃあなんですが、こんな日に選挙投票日なんかぶつけてきちゃってさ、と、何に意志表示し期日前投票すればよかったのかと首をかしげるほど、ここには共通の民意があります。
でも、真野さんの思いは政治だとか宗教だとかとはかけ離れたところにあって、だからこそ20を越えるというボランティア団体がこぞって協力に出て来られるのだなあと感じさせられます。
来年以降は、当面は農業体験やら健康増進教室などを定期的に開き、宿泊も可能になっていくそうですが、健康増進教室ってなんだそれ?
「ここを修繕している間、近所のお年寄りが野菜や漬物や煮物を持ってきてくれて、これが皆、山葡萄みたいな天然素材で味付けや漬け込みされている。その表れだと思うんですが、皆さん長寿で元気なんですよ」
それもひっくるめて伝統文化をつなぐ。真野さんは日ごろは廃プラスチックのリサイクルを手掛けていますが、リサイクルの六次化というのは、再利用や再生といったプロセスを地域社会に広め、廃棄物も暮らしの一部という連結を唱えているのだと、彼の考え方をとらえています。人や物をつないでいくものの考え方も、そのような経験が培ったのでしょう。真野さん、四十代半ば。オヂサン的な言葉を借りれば、バイタリティにあふれています。ただあの教室の料金は高く、内容を見ると、聞いた話とは異質で馴染めんなあ。
リサイクルの六次産業化を掲げるJACの真野孝仁社長が、個人的な意志で「悟道の里山」という震災復興の情報発信地を作り上げました。岩手県遠野市の山林に点在する曲り家や庫裡や寺院を丸ごと取得し、東日本大震災や広島土砂災害、熊本地震などの復旧復興に奔走したボランティアの人々が持つ知見、ノウハウ、経験談を後世に伝える場所となり、寺院はもとの宗派から切り離して無宗教とすることで、あらゆる災害で亡くなった人々の供養参拝を自由にしてもらうのだそうです。
「私自身も津波で家や社屋を失いました。瓦礫処理にはボランティアでかかわり、沢山のボランティアの人々と知り合い、対話の機会を得たのです。彼らは皆、各地の活動で経験したことを語り継ぎたいと願っているんです。それならばそのような場所を作ろうと」
4年前から準備が始まっていました。里山を取得してから現地の土地の手入れや施設の修繕は、ほとんどが震災で知り合ったボランティアの面々が手伝ったそうです。真野さん自身もこれに加わり宮城と岩手を行き来していましたが、ちょうどそのあと少しして、一度ぶっ倒れて危ういことにもなっていました。
なぜ遠野なのかは、その里山がそこにあったからなのですが、遠野は震災時、沿岸と内陸をリレーする復旧復興の拠点となっていました。三陸沿岸はずっと過去にも大津波の被害を受けており、おそらくその時代にも、復興の橋頭堡になっていたことでしょう。そればかりではなく、遠野盆地は古来、沿岸と内陸の産業と文化をつなぐ場所でした。
「つなぐ、という思いが私の原動力。土地をつなぐこともあろうし、人同士をつなぐこともある。そういった願いを遠野からというより、東北から発信していきたい」
今日と明日、里山ではプレイベントとして開山祭が開かれます。まだいくつかの設備を整える必要があるそうで、一般の人々に公開し活用してもらうのは2018年春とのこと。僕は最初、JACが蔵王で開いているリサイクルパークの第2弾だと勘違いしていましたが、企業活動ではなく個人の思い(リサイクルパークの理念も真野さんの思いではあるけれど)がこれほどのエネルギーを持ち成し遂げてしまうのかと驚くばかりです。
宇宙航空研究開発機構が10年前に飛ばした月探査衛星「かぐや」の観測データが解析され、月の地下に総延長50キロに及ぶ空洞の存在が示唆されました。
太陽系スケールでいったらほんとに見上げる距離でしかない月ですが、アポロ計画によって送り込まれたわずかな人間以外、まだ未踏の地と言っても過言ではない。
単に見上げるだけの距離がそれを阻んでいるのです。その意味では月における人類の活動というのは空想科学の時代を脱していないけれど、とてつもない昼夜の温度差と宇宙放射線からの防護という条件が、この空洞で賄える可能性があり、月の資源開発であったり火星探査への橋頭堡であったり、様々な空想科学を現実のものにするための展望が開けるかもしれません。
月面基地と言えばいろいろ出てくる中で、「謎の円盤UFO」に登場したムーンベースは、70年代初頭に制作され80年代を描いていました。接近するUFO迎撃とはいえその都度核弾頭撃っちゃうのは疑問ですけど、常駐司令官や管制オペーレーターが女性という設定こそが、今思えば最も現実を先取りした描き方でした。月面基地建設が具体性を帯びてくると、先進国の利権や都合でもめ事も起きるのでしょうけど、今回のニュースは宇宙を見上げる良い機会にもなったと思えます。
ただこういうときに限って、明日が新月ですから、夜空を見上げても月は出ていないんだよこれが・・・
スイッチオンして電流火花が走ったらかなりまずいんじゃないかと(だから良心回路の起動に失敗しんだ←原作)わけのわからないことを書いていますが、先日、原稿作成中にお茶を持ってきてくれた霙が何かに蹴躓いて、湯飲み茶碗のお茶全部をこのパソコンに直撃させてしまいまして。
仙台で使っているノートも、東日本大震災時の余震の際にモノが倒れた連鎖でお茶をこぼし、キーボードがお釈迦になりました。
あっちのは外付けキーボードでしのいでおり持ち運びには耐えられなくなっています。同じことが基地でも起きようとは(焦)
こういうときにノートパソコンは(素人にとっては)運を天に任せるしかない気分で水気の抜き取りをやらざるを得ませんが、幸運にもキーボードは今回、故障に至りませんでした。その代わりにUSBのソケットが一か所応答しないというインフォメーション。外付けの機器はすべて正常に機能しているので、ひょっとしたらとSDカードのスロットにメディアを入れたら・・・うんともすんとも言いません。
うへー・・・ てことは撮影した写真をその場で読み込めない。
さすがに不可抗力ですから項垂れるしかないなあと電源を落として、その日は霙の同型機を借りて作業を続行しておりました。彼女のノートにはキーボードカバーが使われているという笑えない皮肉←笑ったけどさ。
翌週末、帰宅すると、新品のカードリーダーが置いてあり、これで勘弁してくれとの無言のメッセージ。事務所から持ち帰ってきた私物のカードリーダーはこの際無かったことにするかと数日ぶりにスイッチオンしたわけです。