ま、中秋の名月ですし(笑)
食べられませんが。
黒だんごは単体でカーテンの中に隠れてます・・・
板麩がそのまま焼き込まれたクッキーだということは、封を切るまでわかっていなかったくらい無学でして、「月」の文字にだけ引力を感じて買ってきてしまった浅はかな自分でした。
だから板麩が庄内地方の特産品であることをここで知り、そもそも板麩ってなによ? ってそこからかよと言われそうな余所者状態です。
それを言ったらもう「荘内と庄内とどこでどう使い分けするのよ?」にまで腑に落ちないことが拡散していく有様。
(ああなんか今つまんない駄洒落を書いてしまったような気がする)
もともと庄内平野のうちの鶴岡あたりは鳥羽天皇の皇女、瞕子内親王傘下の八条院領だったそうで、国内最大の荘園群があったのだとか。「荘園の中心地」を指す言葉として、「庄内」という字が充てられていったらしい。それで酒田から出る北前船と上方との交易成立が見えてきて、船に積み込む際、麩は板状にした方が合理的だったのだとの特産品の歴史を聞くに至り、麩にせよクッキーにせよ品種は異なれど小麦から作られているのよと段々とつながりを教えていただくことになるのです。
荘園の時代が去り武家の時代が明治維新で終焉を迎え、荘内藩士であった人々が月山麓の原野を開墾していった歴史と、酒田で生まれた庄内麩という地域の特産品を結び付けたのが『月山満月』の誕生譚。てことで月見の供に買ってきました。
「サクサクした食感がありますよ」
とも聞いてきたのですが・・・サクサクというより噛んだ瞬間ボロボロに崩れるのがなんとも・・・
1911年10月3日、アメストリス国東部のリゼンブールにあった実家を焼き払い、12歳のエドワード・エルリックは弟で10歳のアルフォンス・エルリックとともに、賢者の石を探す旅に出ました。同国にて発達していた錬金術の禁忌を破ったために、兄弟は過酷な運命に翻弄されていくのですが、艱難辛苦を乗り越え大義を成し遂げていくのが「鋼の錬金術師」の物語。原作者である荒川弘さんの構想では、エドワードは米寿で天寿を全うするそうです。
ということは1987年まで存命だったと(ただしこの暦は「大陸歴」というものに準ずる)
何度かアニメーション化され、原作漫画も2001年から2010年にかけて連載され完結しましたが、ここへきて特撮映画として年末に封切られるというから根強い人気を持つ作品です。まあ根強いだけに特撮版のキャスティングにはだいぶブーイングも出たそうですが。
かく言う我が家でも、登場人物の一人、ロイ・マスタングに関しては「及川光博さんでないとだめでしょー」と、それこそ映画の企画が公になる以前から母娘らが騒いでおりました。実際にはディーン・フジオカさんなわけで「それはー・・・ちがうけどしょーがないかー」というあきらめムードで、もうその時点でエドワード役なんかほっとけや状態です。
この手の映画化は、なんだかんだ言って「味が出せるかどうか」でしょうから、観てみないことには何も語れない。実は全然期待もせずにどうせこの布陣だしなあと夫婦で観に行った『銀魂』が、予想を大きく裏切る面白さだったので、上手に転がってくれれば『鋼』も化けるかもしれません。
我が家で一番年の若い霙もとうとう20歳です。はたちですってよハタチ。もうその頃自分が何をしていたかなんて覚えてねーよ。少なくとも成人式のときには帰省していないんで、都内のアルバイト先でくすぶっていたはずです(覚えてるじゃん)
でもって今から20年くらいならなんとか記憶を取り出せるので、開業当初から通っているお菓子の店「くりーむ」も20周年を迎えるねえと、敬老の日にお店を訪ね買い物を。
すると今月の22日と23日にかけて、記念フェアを開くとか。
「雷蔵さんも霙ちゃんもぜひいらしてくださいね」
と誘っていただけたのですが、無念にもその日は岩手県で仕事をしている予定で、
「いやいやいや、うちはフェアなどとは関係なく買い物に来ますから」
などと負け惜しみを言うのでした。
この週末は週末で山形県で仕事が入っていたため、前倒しで開く我が家の誕生祝にも参加できず、よくよく考えてみたらくりーむのフェアの頃はむしろ僕自身の誕生日がからむタイミングじゃんかと、とほほな思いです。
ひるがえって、霙の20歳の誕生日。先日まで遅い夏休み帰省をしていたねーちゃんからはライブか何かのチケットをプレゼントしてもらったらしく、それはそれで霰の方も大人になったものだねえと感心しながら、とーちゃん的にはこの機に二人にそれぞれ実印でも作ってやろうかと画策しております。
俺、その頃、実印なんか持っていなかったけどね。
1980年のアニソンですが、インターネットを探すと様々な人がカバーして歌っていることを知りながら、その中の「茂木ミユキさん」の歌声が突出して素晴らしいなあと感じました。したら、youtubeにおいてアップロードされている彼女のカバー楽曲のなかではダントツの一位なのだとか。
ライブ以外のリミックスされた仕様はこちら
1/fゆらぎ という、心拍のリズムや鉄路を走る列車の音や川のせせらぎと同質の心地を与える声の持ち主だそうです。そういった声帯を備えていた歌手は過去にも沢山いるのですが、80年にこれを歌った「戸田恵子さん」も同様だったのではないかと思ったりするわけです。どっちが好みかと言えば、なんだかんだ言ってオリジナルの方なんですけど、今考えるとこの頃の戸田さんは20代前半だったのねー。
1992年に「民間航空再開40周年」を記念し、9月20日その日が「空の日」に指定され、30日までの期間が「空の旬間」と呼ばれているのだそうです。うまいことに今年は最終日が週末の土曜日だという巡り合わせで、茨城空港でもタイアップイベントが催されます。
で、プログラムをだらーっと眺めていくと・・・
ほー・・・
って、普段ならつくばーど基地からわずか30キロちょっとなので、のこのこと出かけていくであろうわけですが・・・
J・J・エイブラムスが「作らせーっ」て言うんだからやらせればいいんですが、彼が「怪談とホラー映画」の微妙な違いがわかって、「ましてやホラーはスプラッタームービーではなく」と言えるような人ならば間違いはないような気がします。
ああ、君の名は。はもちろん怪談でもホラーでもないですよ。でもハリウッドが束になってかかってきたら、たぶん新海誠のセンスとは異なるものが出来上がることは避けられない。
こればかりは習慣も宗教感も異なる国のセンスだから仕方のないことですが、しかしエンターテイメントもやり過ぎたら引くじゃないですか。ご婦人方が絶賛した「ゴースト ニューヨークの幻」なんか、途中までは解るけどクライマックスで一気に嫌いになる作りなのです(俺だけか)
ハリウッド版には「越えてはならない壁」を意識してほしい。とか言ってて出来を見たらアニメを実写化してしょーもないもんやっちまう邦画より素晴らしかったら恥ずかしいけどなあ。
私の両親も歳を取り、サイドキックへの乗り降りが辛いとこぼしています。リフトアップしたヴィターラなんてもっての外(笑)。すわハスラーとワゴンRの2台体制かと諦めかけていた矢先の新型ジムニースクープ記事に、つい心を動かされてしまいました。
角ばったボディーにワイドなフェンダー(これは国外仕様なんでしょうけど)。フロントグリルの意匠に、恋い焦がれた1300の面影を見出だしてしまったのです。エネチャージなどの複雑な機構は不要なのですが、これも時勢と得心しました。
アレのダウンサイジング版がジムニーになったら、ということで(笑)
私はハスラーには抵抗ありますし、ワゴンRがあれば両親も姉の楽器も心配ないですから。
軽2台という縛りがなければ、次期シエラでもよいのでしょうけど。
久しぶりに元カノに会ったみたいで、ちょっとクスグッタイのであります。
娘が生まれて、4ドアが必要になって買ったのがサイドキック。おかげでサンマルは里子に出され、FRPトップの71は関西のTACさんに引き取られ、ジェントルな11は私の元同僚に託されるという、ジムニー大量絶滅を引き起こした原因であるエスクードを、母が由とするはずもなく(笑)。
でも、四代目は『悪くない』って言ってました。エスクードだと判るまでは(爆)
おそらく現在交流のあるエスクード仲間にとっては、左ハンドルの北米仕様を2台にわたって乗り続ける和邇さんの姿こそが真髄で、実は「JA51を廃版にしたエスクードになんか乗らないんだ!」という真意があったとしても、THE MAN of ESCUDOの冠を満場一致で与えたい存在であるはずです。
がしかし、その前史にはJA51(ジムニー1300)にはたどり着けなかったものの、なにそれジムニー一度に3台所有してたの!?という秘話がありました。しかも、SJ30を和邇さんに薦めたのが、何を隠そう彼のお母さんなのだそうです。
こここ・・・これは手強い。和邇さんの「エスクードになんか!」よりも堅牢な「エスクードなぞ!!」という壁が聳えているとは・・・ ここはお嬢たちに味方になってもらわないと、SIDEKICK2号車はおろか、まだヴェールを脱いでいないビターラVⅢの存続は風前の燈火。
「長女はともかく次女は・・・サイドキック、ヴィターラよりも、エスティマハスラーワゴンRなんです」
・・・・ああっ