11月も半ばなんでございますが・・・
アサガオ、花咲いてます。葉もまだ青いしなぁ。
こりゃ霜が降りるまで咲き続けるかも。
という宿題を課せられたため、約一名おぢさんなんですが再び女子会を設営することになり、本日仕事が終わったら部下を連れて出かけてまいります。だけどなー、アニメで特撮という脳内イメージが左図(こりゃ正しくは「アニメを特撮している」んですが)ですから、どうなることやら。
ただし「勇者ライディーン」を推薦してくるわけではありません。この挿絵はあくまで自分のボキャブラリーなんてこんなもんでしかないよ、という表現です。
それで熟考してみたんですけど、30年とは言わぬまでも、こういうのって「20年前ならいざ知らず」の世界になってるよなあ。でも模範解答とか無難回答もしたくないんですよね(笑)
よもや「ひやかしに行ってやるぜ」という人はいないと思いますが、何かの間違いで「いる」場合はこっそり連絡くれれば時間と場所教えます。遠いけどね。
予定表明となりますが、風花さんもクロさんも、先日のBレイドで「ほたて食堂にはぜひ行ってみたい」とそれぞれリクエストしており、あそこだったら我がエスクード・マラソンクラスの盟友であるitoさんも近くにいらっしゃるし、うまくすると飯食った後に近くの喫茶店に立ち寄ったらもう一人のエスクードユーザーさんもいるなあと。
そういうことなら、天ぷら定食を食いに行きましょうか。
ひとまず風花さんとクロさんの日程のすり合わせがうまくいきました。itoさんにも声をかけてみましょう。まあ僕なんかは帰省していれば一人で食いに行っちゃえるんですが(こらこら)
暖簾にはひらがなが染められていますが、正しくは保立食堂。操業が明治2年と、実は近所の蕎麦屋の吾妻案総本店よりもちょっとだけ老舗です。
天ぷら定食も捨てがたいのですが、僕が十代の頃に食っていたのは天丼でした。そういや久しく頼んでいない。それぞれについてくるあら汁は、創業当時からの味を守り続けている(いやさすがに僕では半世紀も遡ることができませんが)とか。
土浦というのは、僕にとっては楽園の街です。風花さんは僕より何年か後に楽園の3年間を過ごしているのですが、いずれにせよ歳月が過ぎれば街の方が変わってしまいます。それを行きつけというのか?と言われそうですが、行きつけだった喫茶店が20軒はありました。今や3軒くらいしか残っていません。そんな寂れ方もまた趣があるというか、まだ、健気というより勝気にいてくれるのが嬉しいところでもあります。
では、とりあえず10時に食堂近所の「蔵」で集合。まずはコーヒーから。
最近鳴りを潜めている新帝国WANIですが、こちらもよせばいいのに御用聞きなんかしちゃいましたところ、
これからの計画としては、ミカン型の波動コアを爆装した2号で桶川・春日部・小美玉・岩間を強襲し、蓮田さんのコドモリバースシステムで増幅暴走させることによって、全人類を中二病にしてやるわい。
という返信が雷撃の速度で戻ってきました。やっぱりだ。文面から察するに、宇宙戦艦ヤマト2002の新章が公開されたから、それ観に行って英気を養っているようです。
しかしこちらの調査によれば、「働かせ方」改革の渦中に陥れられたDr.ワニは戦闘員の有給消化の肩代わりで、自らは全く動けないといううわさもあり、この襲撃計画がいつ実行できるのかも定かではないと・・・
いや待て? こっちが不在の平日に奇襲をかけてくる気じゃないだろうな?
うーん、やりかねない。
さらには密かにお嬢たちを特訓して、単独遠出ができるまでにスキルアップを遂げさせているのかもしれない。
ぬぬぬ・・・ありえないことではない。
だけどどうせなら仙台まで来てもらって、作戦室から物資搬出するのを手伝ってほしいんだよなあ。来年の1月下旬でいいから。
新月さんと風花さんの力を借りて、基地の草刈りに臨むわけですが、まあ草刈りレベルをはるかに超えてしまっているので完全武装が必要。
実際にはもう少し現実テクノロジーの武装でもって、僕がパーゴラを押しつぶしかけていたキウイの剪定をする間に、新月夫妻は藪と化した裏の畑のあぜ道を啓開。コムロさんも手伝いに来てくれて枝打ちしたキウイの搬出を補佐してくれました。
啓開とキウイの枝打ちは思いのほかはかどったのですが、隣で覆いかぶさっている南天に挑んだら、あちこち棘に刺される僕。南天じゃない、ピラカンサだったよ(植えた覚えなんかねーぞこんなの)
その間に支援部隊は表に回って生垣の枝払いを手際よくやってくれまして、今回の作業は予想以上に進展しました。大助かりです。
焼肉は出せませんでしたが妻がハッシュドビーフを作ってくれて、いつものテーブルで昼食と道具談義。無風で日差しもあり暖かい日和にも恵まれた日曜日でした。支援部隊の皆さん、ありがとうございました。
TDA2018シーズン最終戦はいよいよ明日ですが、その前に。
高橋陽介さんのスーパースージー連載「九州J通信」に早くもウエストウインが取り上げられ、J(たぶんジムニーのJ)通信であるにもかかわらず、J‐ONE GPのレースリポートを軸にしながらも、ウエストウインがエスクードを駈るチームであることをきちんと伝えてくださったことに感謝と脱帽です。
なにしろHANGARSPORTSの高田さんが登場した折に、このブログを通して圧力をかけまくり、J‐ONEでのウエストウインと仲間たちについては好き勝手に構成をぶち上げ、言いたい放題投げかけておりましたが、高橋さんはご自身の視点と文面で、オリジナルの記事をまとめておられます。
それは取材対象に対しても読者に対しても、とても大事なことです。だから高橋さんに敬意を表してこの回にて紹介します。
実は前号がなぜか9日ではなく9月7日に発売されていましたが、スーパースージーは基本的には奇数月の9日に出る雑誌です。ということで本日あたり書店に出ているはずで、まあ主たる内容は四代目ジムニーのあれこれのオンパレードですけど、数少ないエスクードのページには那須高原でのミーティング風景を紹介しております。しかしこっちには四代目エスクードは出ておりません(笑)
もう一つ楽しみなのは、広島県で行われたJ‐ONE/GPに参戦して奮闘したチーム・ウエストウインと、彼らに協力してくださった人々のバックヤードドキュメンタリーがどのように記事化されるか(これについては後日)
こんなときに僕自身は明け方には岩手県の普代村にたどり着かねばならないので、書店に行ってる余裕がありません。昨日までに基地には最新号が届いているというのに、片道650キロくらい走らないと戻れないという・・・
で、戻る途中にTSUTAYA系列の書店(スーパースージーはこの系列に出荷している)に立ち寄って、一冊購入しました。うちの連載ページ以外にもエスクードの登場比率は高く、ざっと見渡して高橋さんの「九州J通信」とTDAリポート、福永辰巳さんの「イタリア通信」、徳島市のアウトクラスカーズが仕上げた四代目エスクードなど。エスクードの誕生三十周年としてはこの号が最後?(年度で言えばあと二回あるけれど)だし、まあまあここ数号は露出度高かったですね。
しかし、そういうのありなんですか? なのがイタリア通信におけるエスクード誕生物語と題した、片岡祐司さんと初代開発エピソード。読み比べれば一目瞭然ですが、我々が作った企画webに掲載してある片岡教授のリポートを表題ごとほぼ丸写し。たぶん元の原稿を片岡さんが提供したと思われますが、いみじくもデザインやる人が原稿ほぼ丸写しって、呆れちゃいます。うちも片岡さんも手弁当ですが、これ稿料出るんでしょ? ならばせめて構成くらい考えてもらいたいものです。