ウルトラの防衛組織シリーズより高かったのに、
あちらほどにはインパクトが無かった・・・
昨年のエスクード30年ミーティングの折、ぎっくり背中の激痛で動けない僕の身代わりで使われていたものです。前回の洗濯から3年ほど経過しているので、いじられ投げられ落とされ続けてかなり汚れておりました。
そのうえ仙台からの転居の際には荷物が跳ねないよう緩衝材にまでされていた、想像以上にハードワークな小僧だったのです。
それはいかんということで、汚れ落とし剤を買ってきたもののなんかもう手遅れな状態で、ここは手荒い(誤字)ではなく専門家に委ねることにして2週間。
むー、写真の陰影じゃわかりませんけど、新品並みの手触りになって帰ってきました。こうなると女性陣が抱っこならまだしも頬ずりすりすりしかねないので、まだビニールから出せないという・・・
渋谷casualではなく、渋いカジュアルなツーショットが、バックアップ後のフォルダから出てきまして。
これがいつ頃撮られたものかは僕は知らないんですが、この2台をそれぞれ乗り始めた頃、我々がよく知っている友人たちはまだ10代だったかもしれません。それを今考えると、彼らはカジュアルなだけではない渋さがあるよなあ。
と、褒めちゃえばこの写真使ってもいいよね(無断掲載かよ)
初代エスクードは、大胆にもこのSJ30の後継車種として企画会議が設けられたことは、まあ誰もが知るところです。「次期ジムニー開発」の振り出しはサンマルが登場してからわずか3年後の会議設営ですから、初期のもくろみはエンジンの4サイクル化だとかパワーアップ指向で考えられたのかと想像できますが、サンマルジムニーは思いのほか評価が高く、第1回目の会議で「次期ジムニーなんかまだいらない」と、次期開発自体が袈裟切りにされてしまったのです。
もっともそのおかげでエスクード誕生のきっかけが生まれるわけですから、塞翁が馬。だけどこの状況をよくよく考えてみると、その場に偉い人たちが(GMとのプロジェクトで皆出払っていた)いなかったという偶然にも助けられた、やんちゃでけっこう危ない橋を渡る路線変更だったんじゃないかと思わされます。
乱暴な解釈をすると、足回りの構造こそ新機軸を持つエスクードですが、フレームの構造もエンジンレイアウトも~ただし四輪駆動のセンタースルー方式は新しい設計~ジムニー譲りと考えられなくもありません。そこに花を持たせたのはやはりデザインで、これを踏襲したモデルはその後現れていません。
ジムニーもまた然りで、ホープスターON4WD、初代と比べると、サンマルこと二代目はドラスティックに変化しており、しかしシンプルなラインはその後どうやっても変え難いシルエットを確立しています。そこには質実剛健ながらカジュアルという、良いとこ取りが成功しているのです。
大きく分岐しているようで、エスクードとSJ30には深いところに共通する志が込められていると、この写真をリサイズしながら感じ取るのでした。
ぼーっと車窓を眺めていたら、上野駅から日暮里駅までのわずかな区間、なんかごつかっこいいオレンジ色のブームが目に入ったわけです。クレーン車やパワーショベルとは違ったな、あれ。
建設重機というよりも、本能的に国際救助隊方向の重機っぽさを感じて、次は見逃すまいと車窓に張り付く作戦を立てます。
ずいぶん前から国立科学博物館の屋外展示物だったようで、これこそ1970年に日本初の人工衛星おおすみを軌道投入させた、ラムダロケットを打ち上げた専用ランチャーでした。ランチャー自体は1963年に完成したもので、試験打ち上げと本打ち上げで6回稼働したとか。
すげー、ロケットの方じゃなくて、ランチャーが主たる展示内容だとは!
昨今、どこぞの電器メーカーの課長だった人まで騎士団長に転生しちゃうほどの異世界ブームですが、そう言えば大分昔にも「剣と魔法とお姫様さえ出せばどうにかなると思ってるだろ」などと、同人の物書きたちがSFのSに安直さを物言いして論争していたことがあります。それ書き始めると夜道が怖いので書きませんが、異世界と転生ものは素材として飽和状態ではないか? そのうち本当に向こうの世界から攻めて来るんじゃないかと恐ろしくなります。
その話ではなくて、昨年夏に購入していながらそのうち読もうとしてそのまま放置してしまった漫画「となりの妖怪さん」が今になって転がり出てきました。異世界というよりも、我々の世界の一部か大部分かは、太古より異界と一緒に過ごしているという考え方の作風で、このジャンルもまた沢山あることはあるのだけれど、この漫画は骨が太そうで面白いです。
ずいぶん長くほっといたから、もう続巻が出ちゃってる? と思ったらまだのよう。オンラインで先を読めるらしいですが、こういう漫画は紙で読むべきだなと勝手に決め込んで、二巻目の出版を待つことにします。