友達夫婦と一緒に、ワインバーへ。
新年会+誕生祝のはずが、お互いに予定が合わずほぼ二ヶ月遅れ。
土曜の夜でしたが、お店は満席。
厨房でシェフが必死にお料理してました。
ソムリエが各々の好みを聞いて選んでくれたワインを頂いて、
お料理をもぐもぐ。
おしゃべりしながらだと進むのよねーお酒。
無事に帰り着いたけど、二人そろってリビングで爆沈しました。
(あ、かろうじて二日酔いにはなりませんでした)
チームウエストウインのダブルエスクードは、惨敗。
あの強豪がパジェロ3500をTDA仕様に特化した改修改造を経て参戦。後藤選手は操舵ミスでコースアウトしドライブシャフト破損で3位決定戦にも残れず。限りなくノーマルに近い川添選手のエスクードも追い詰められてしまいました。
「まあねえ、250馬力をあそこまでTDA仕様にセッティングされては敵いません。ただエスクードのエンジンブロックは頑丈だし素直にパワーが出ていると、他チームの面々も評価してくれているし、今回は後藤君もまともに走っていないので、6月までに何をどうすべきか熟慮しますよ」
島監督はむしろ、レースがマンネリ化に落ち込まずギャラリーにとっても良い刺激を得られたことを収穫としているそうです。余談ですがこういうときに限って、取引先からたくさんの営業の女の子たちが観戦に来ていて、アンフィニクラスの日頃見たこともないようなハイパワー車が爆走するところでは歓声を上げていたとか。
というところまで、16日の夜に到達しました。あと2万キロとすると、たぶん半年以内なんですが、来月に修理入庫するのでこの休業期間がどれくらいかかるものやらです。
で、夢の70万キロに、この距離のたった十分の一をさらに加算すれば、月からの帰還・・・なんだけどねえ。
とか言ってたら、二階堂裕さんちのエスクードも30万キロに達したそうです。そうかー、うちのはこのエスクードと同世代ながら、月まで片道近く余計に走ってしまってるのだってことを実感しますわ。
「これから太宰府女子会なんですけど、お父さんが以前教えてくれたお店ってどこにあるんでしたっけ?」
と、横浜ミッションからいったん基地に帰還しすぐさま百里からRF4E・・・じゃなくて旅客便で福岡へ向かった霰から問い合わせがきたので「とーちゃんのブログの昨年の記事を読め」と指示。すると夕方「作戦完了」のメールが入ってきました。
この週末は新月だというのにまん月堂に誘導する親も親なんですが、さすがは女子大生たちは臆することなく入るねえ(いや全然あやしい店じゃありませんよ)
唐揚げも旨いから付け合わせでついてくる定食で頼めと言っておいたんですが、単品にとどまったようです。あいつらがウエストウインの島社長と面識があったら、三日月食堂にも行かせられたんだけど、面識なんかなくても立ち寄ったらもっと豪華な晩餐になっただろうに(おいおい、なんてこと言うんだ)
光明丹というのは鉛丹(えんたん)色の別の呼び方で、酸化鉛のやや赤みを強くした鮮やかな橙色を言います。蓮田さんはパッションオレンジと呼ばれるハスラーの定番色ですが、光の当たり具合で橙というより丹に近く見えることもあります。しかしオジロの赤を茜色と言い切ってしまうのはどうかなと思うところがありながら、奈良時代の古色に照らし合わせると、だいたいそんな色合いです。
霰が卒論発表会に残った後、蓮田さんとオジロの写真撮影のために和邇さんと和邇お嬢姉に案内されて、みなとみらい地区の近所まで出かけたのですが、遂に2台の邂逅という場面に、競技かるたで和邇お嬢妹も不在。それぞれのオーナーがいないのに車の方はミーティングしている不思議な午後となりました。
夕刻、和邇さんご夫妻が手配してくださった中華料理店で貸し切りの晩餐となりましたが、なんと教授陣の飲み会に連れ去られて霰はまたもや不在。主役居ないのかよ状態でこちらの宴会は・・・お嬢妹が間に合ったので盛り上がり。ほぼ満腹となったところへ霰が戻ってきて、ようやく撤収間際にこの写真が撮れました。
つくばーど世代交代のときが、この瞬間から始まるような気がする・・・
だからといって霰が落語をしゃべくってきたわけではありません。4年間研究し卒論にまとめた、あの悪態祭りの中から、天狗と地域村落の歴史について20分、論文要旨を発表したのであります。相手は学会員ですから民俗学の学者でつわものぞろい。あとで聴いたら、霰自身が資料として読み解いた書籍の執筆者もいらしたとか。まあそんなところへ学生が出て行ってしゃべくるのは、素人の落語並みです。
発表を聞いていて「あれっ?」と感じたのは、かなりテーマを絞って高レベルにまとめてきながら(実際、おぉそうきたか、とは思った)、そも悪態祭りの悪態とは何なのか。もっと紐解けば、あの行において悪態をつくのは民衆で、天狗は権威を持ちながらも悪態をつかれる側という構図があり、双方にとってなぜ悪態が介在するのかについて、論旨の中からその部分が欠落していたのです。
霰によると、その部分は持ち時間内に収めるためにカットしちゃえと、担当教授の指導が入っていたそうですが、案の定発表後の質疑応答でそこを突っ込まれていました。でもって持ち時間がどうだったかというと、霰はそもそも早口な方なので、2分ちょっと余っていたという・・・
その辺はもう後の祭りなんですが、2分あったらカットしなくともまとめきれたよなあ。と思いながら3人分の発表が終わり休憩時間となって会場の外へ出たら、霰はまだ参加者につかまって捕捉の説明に質問の追加で、さらなる攻防を強いられておりました。
人気者で良かったじゃん。
霰と霙がこの街にやって来ると、人呼んで「ヨコハマ買い出し小隊」とされていたのはもう10年以上前のことなんですが、その小隊が逗留していたのが当時新築されたばかりの「はまたに邸」でした。
「なになに? 買い出し小隊が来るならおにいさん迎えに出ちゃうよ」
というノリでこのような早朝のシーンから、日曜日は始まっていきます。
ラジアントレッドマイカとフェニックスレッドパールは、並べてみるとほぼ同じ。でもよくよく見ればエスクードはいくらか青が、ハスラーはやや黄色が強調された発色のようです。
はまたにさんと落ち合うのは昨年夏の「けしからん風景作戦」以来です。海岸通りはまだまだ冬の街路樹の景色ですが、幌のエスクードが走って来る姿は、これが四半世紀以上前の車だと思わせない存在感があります。そこまでのインパクトはまだないのだけれど、うちのオジロ以外のハスラーがこの街でもたくさん走っていて、これもまた天狗の森みたいな田舎と違ってどれもこれも映えるなあと感じされられます。
曰く、師匠であるかどうかはともかく、エスクードという素地から、より時代にマッチした優れた資質を持って生まれてきたことが、ハスラーには言えるのだろうと思うのです。
一緒に朝飯を食いながら、背が高くなったばかりか自走で横浜までやって来るようになった娘らを、はまたにさんは喜んでくれまして(昨年の夏には会っていなかったので)、霙と物々交換に及んでいたのですがそれはまたそのうちに、の話題。
僕は僕で「海岸ランナー」の後編から今に至る続編書下ろしを提案し、快諾をいただきました。5月9日に公開する予定で書き始めます。