それは理屈ではありますが、こんな人にこう言われちゃう側にとっては「やれるもんならやってみ?」としか聞こえないんですよ。ただ、言葉は記憶に残り琴線を揺さぶる。それが羨望の的として見ている相手ならばなおのことで、そこから出た言葉には少なからず期待を込めたくなるものです。
あえて狼駄さんのつぶやきをここに持ってきますが、これが言霊となって現実になるまで、実際にどれだけの努力が必要なことか。だからきっと多くの人々は「それは夢と願望であり夢を抱くことを妨げる理由は何もない」と思うのでしょう。
でも、僕にとっては彼はそうではない。エスクードのコミュニティーをいち早く立ち上げ、基盤を築いた人々の中で唯一、それを継続している。会ったこともないかの国の歴史上の人物なんかよりずっと、その言葉は重みをもって届くのです。
だから僕は、彼を時々冷徹に追い込むのです。9日に発売されたスーパースージーと、次号にわたって、ちょうど20年前、コンバーチブルに乗り始めた頃の記憶を呼び覚ましてもらった「帰郷」のことを書いてもらいました。E‐ACT設立前の彼とエスクードのエピソードです。彼の意志を眠らせないために。


先月下旬に採血したとき血管が浮いてくれずに針を刺し直ししたらば翌日からこんなんなってまして、これがいまだに消えない。代謝機能が落ちているというか単に歳くって回復が鈍くなったか。一週間もすればと思っていたのに三倍かかってます。
6日午後に出ていた国土交通省の
なぜかと言えば、僕も含めて(僕は一番下手だけどね)つくばーどの仲間たちの大半が、焼き豚の一本や二本は自宅や野外で作ってしまうので、わざわざ山形まで買い出しに行けと言っても無意味なのです。
米沢市へ行ったはいいけど昼飯をどうしようか思案した末、仕事仲間から「それは絶対に米沢ラーメン!」と言われ、そうか米沢牛じゃないのかなんでだ山形の人の中華そば好き?などと思いながら助言の通りに食いましたよ。食ってしまってから写真撮っていないことに気が付きそっちの話題には展開できず。晩飯をどうしようかと(それしか思案しないのか俺)思い立ったのが持ち帰りできる駅弁です。聞けば
松川屋にしようか新杵屋にしようかも多少迷っていたところだっただけに、そりゃいいタイミングだわと、東京駅でもおなじみの「牛肉どまん中」を買い求めたら、これがまた発売25周年だそうで、路線としては乗ったことないけれど山形新幹線の開業からもうそんなに経つんですねえとお店の人と雑談。ついでに明日の朝飯(またかよ)もってことで「牛三昧弁当栄太郎」も買い求めます。社長の名前を冠するだけに凝っています。
蓮田さん強化ちう