義妹が注文を聞いていた品物の、納期確認の電話を私が受けました。
「止め輪頼んでるんだけど〝コウセイ〟のやつね」
・・・止め輪の類に〝校正〟なんて必要あったっけ???
と、頭の中でこの文字を当てはめた私を責めないで。
お客さんが言ってたのは〝鋼製〟の止め輪ね。
〝鋼〟確かに〝コウ〟って読むけどさ・・・
ちなみに皆さま〝細目〟って、なんて読みます?
これは、あくまで邪説な異説の仮説として流していただきたいお話。曰く「初代ウルトラマン」より先に地球に来ちゃってたんじゃないか?と思われる「帰ってきたウルトラマン」というサブカルチャー的疑問をどう整合するか。背景を細かく展開するのはめんどくさいので「近未来を描いていたウルトラマン」に対して、「帰ってきた~」は極めて明確に1970年代を舞台としたというパラドックスが素材です。そしたら初代とジャックこと新マンの序列は入れ替わるではないかと。
実はそれがパラドックスとして介在しても、初代ウルトラマンはそのまま初代として名乗れる理屈があります。その邪説で異説な仮説の根拠となるのが、幻の都バラージの神殿に祭られていた「ノアの神像」でした。これがどなたなのかは不明瞭ですが、物語としては初代自身でしょう。つまりウルトラマンさんはジャックさんより5000年も前に地球に来ており、ベムラーを取り逃がしたときは「帰ってきたとき」ではないか。これにより彼は立派に初代ウルトラマンと呼べるのです。
いやいや、バラージの人々、彼をそう呼んでいないし、ウルトラマンと名付けたのは科学特捜隊のハヤタ隊員・・・と今まで思っていたのですが、これが定説だとするとセブン以外の多くのウルトラの星の面々がことごとくウルトラマンを名乗ることが腑に落ちなくなります。ウルトラマンと云う呼称はもともと彼らのものだと考えた方が筋が通りやすい。で、自らそう名乗ったのが、誰あろう後のジャックさん。地球飛来の後タッコングを追いやり、郷秀樹の亡骸に対して語っています。
初代とベムラーより前に地球に来たらしいジャックさんについて述べると、ウルトラの星から派遣される地球年代は任意に選択できるのではないか。初代が地球にとどまる21世紀以前の80年代、星間侵略戦争に太陽系が巻き込まれた頃既にセブンが来ています。怪獣出現や宇宙人来襲のきっかけとなる時間軸的特異点を彼らが調査した結果、1970年代らしいとされ、ジャックさんが初代よりもあとに、初代より昔の日本にやって来たのではないか。
これならばジャックさんを救出にハヤタ、モロボシのそろい踏みも違和感が無いのですが、この仮説の問題は、番組が後から作られているだけに「帰ってきたウルトラマン」の情報量に層が出来上がっていることです。その最たるパラドックスが、ジャックさんが戦ってしまった2代目ゼットン。初代とジャックさん同士の対話は、二人の地球滞在年代がずれていても初代が先に戦っているから問題ありませんが、MATの伊吹隊長がゼットンを知っていることが、まだ越えられない壁。
同様に、地球時間では年代的に後になって地球防衛軍が「新火薬」として実験しようとするスパイナーが、MAT所属の国際連合機構では実戦配備されているし、民間人の子供ですらバルタン星人(ジュニア)を知っていることがさらに分厚い壁。バルタン自身はいくらでも出てくる好敵手なので、生き残りが過去にタイムリープしたのだと言い逃れしたかったのですが・・・ しかし邪説の異説の仮説も「ウルトラマンメビウス」でかなり大統合されたので、意味が無いのかもしれません。
お台場のRX78‐2の展示が昨日で終了し、いよいよ撤去が始まるとか。一区切りついたなと思ったら、秋にはユニコーンガンダムがそびえるというのはいささかしらける展開です。
あの当時だって、潮風公園のヤードでやたらとでっかいパーツが徐々に組み立てられ、ガンダムのカタチが出来上がっていくプロセスの方が面白かった。いざそれがガンダムになった途端、自分の中ではやーめでたしめでたしで完結していました。
今となってはもう100分の1プラモデルのパーツ数を見ただけで放棄しちゃいますが、あれはやっぱり自分の手で組み上げていた方が楽しかったのかなあと感じます。
友人の計らいで12分の1のガンダムやザクを組む機会に恵まれていたのは、幸運だったですね。それこそ放棄じゃなくて蜂起状態でよってたかって「なんだこのでかさは」とか言いながら、いろいろやりたい放題やりまして。
しかしこの模型のオーナー様もすさまじい人で、このときすでに同スケールのシャア専用ザクと量産型ザクを組み終えているのですが、納品伝票を見たらガンダムも「2個」と記されていました。
それにしても、鯛焼きだの前掛けだのほんとにとんでもないことやってます。念のために断わっておきますが、10年前の娘らの仕業です。
「ふざけんなよおい長すぎるって!」
こういうノリは大好きです。だけどやっぱりこのスーツ、継ぎ目が多いことと背中のひらひらが無いのがさびしい。
格闘特撮に重きを置いた映画なので、このシステムがホークやグランパスへの転身もやってのけるのかどうかは・・・そこも期待してるんですが、まあとにかく能天気でハードボイルドな正義の味方を作り上げてほしいです。
ええ確かに余裕はありませんよっ!
だがしかし。
ローン組んでまで買いたいものは今無い。
ATMでお金を引き出す度出てくる〝ご案内〟
したーの方に小さい文字で
「このご案内がご不要な方は取り扱い支店にお申し出下さい」ですって。
窓口に用事があったついでに、申し出てみましたよ。
最初は本人のご証明と停止の書類を書いていただかないと・・・と言ってた窓口のおねいさん。奥に引っ込んで上の人に確認したら「口座番号が判れば止められるそうですぅ」とな。
そりゃそうだよねぇ。
銀行さんが勝手にぶっこんでくる案内止めるのに、なんで書類書かにゃならんのだ!
というワケで次回からは出ないらしいです。
そりゃまあ26年も連れ添うわけですから澱むときも激流のときもあります。結婚のことについて具体的な行動を開始したのが、もう30年前になります。が、のんびり進めていたらその翌々年に祖父が鬼籍に入ってしまってこれがいきなり中断。よそのことは知りませんでしたが我が家だと少なくとも1年は喪に服すという家訓があったようなのです。それで宙に浮いた時間と預金を89年式のヘリーハンセンに使ってしまうという超ウルトラスーパー大馬鹿者だったにもかかわらず、愛想を尽かさなかった家内には感謝です。
うちの話はどうでもいいとして、ここ何年か連絡を取っていなかった友人から「そんなわけで結婚しました」というメールと共に、真っ白なタキシード姿と満面の笑顔の写真が送られてきました。てめーこのやろー何をにやけてんだーっ(おいおい)という笑顔がうなづける、これまた真っ白のウエディングドレスのお嫁さんが美しい。
川面はよほどのことが無ければ流れを逆にすることはありませんが(皆無じゃないことは縁起物の話なので棚上げね)、するっと四半世紀とちょっと、自分のことを遡らせてくれるメールでしたね。
その数日前、ずいぶん前に大阪に嫁いでいった友人と、やはり何年振りかで電話の対話をしておりました。その何年の時間、いろいろなことがあったそうですし、あれほど愛でていた嫁入り道具のクルマも手放したとのことですが、ご夫婦は仲睦まじく、彼女自身の朗らかさも変わっていないのが何よりでした。
翻って我が家。家内と最初に出逢ったときよりも、いつのまにか娘らがその頃の僕らの年齢を上回りやがりましたよ。聞かれましたよ馴れ初めについて。ちゃんと申告しましたけどね、その頃付き合っていたのは別の女の子だったのだよと。でもね、結婚記念日に寄り添うのは1人なのだよと。
「2202観た?」「愛の戦士たち行った?」「嚆矢篇いいよ!」というメールが波状攻撃のように着信してくるのですが、お願いですほっといてください、という人種もいるのであります。イスカンダルまで往って還ってきた話のリメイクだけでもうおなかいっぱいです。後に少年少女からの搾取のためには大人は簡単にうそをつくんだということを悟らされて、その引き金を引くにしてもこんな物語はないだろう!と袂を分かつことになった映画でした。
構成は変わるのでしょうけど、そのリメイクには触れたくないのです。「さらば~」の何か残しているかなと基地を発掘したらば、何も残っていませんでした。あー、頭にきて映画のパンフレットは映画館のごみ箱に捨ててきたし、先買いしたレコードはかち割ったんだっけねエと思い出しました。
そういえばこの楽曲をふんだんに使ったラジオドラマでクレジットに呼ばれなかったということで松本零士さんが癇癪を起し、スタジオに来ないかもというハプニングがあって、なんとかなだめられてやってきた松本さんが「ここには来たくなかった!」と吐露した生放送の顛末は、今思えば番組が取り扱う物語(イスカンダル編のことですが)のことを何一つ理解していなかったパーソナリティーや制作側のスタンスに腹を立てたんだなあと、今だとわかるような気がします。
そんなわけで、シン・ゴジラだって観なかったのですから、2202を観ないのは個人の好き勝手ですので、ご容赦ください。