好きで好きで辛抱たまらないのか、特撮版を断じて認められないのか。作り手の意図はいろいろあるのだと思いますが、まあ創りたかったんだろうなあ。
2週間、全国2館とあっては、残念ながらリアルタイムでは観ようもない。それでもソフトを出してくるだけ優遇されているのでしょう。
早いとこ力をつけて、全国展開できる長編を動かしてほしいです。あーでも、その頃には別の作品作っているんだろう。そうでなければいけないですから。
好きで好きで辛抱たまらないのか、特撮版を断じて認められないのか。作り手の意図はいろいろあるのだと思いますが、まあ創りたかったんだろうなあ。
2週間、全国2館とあっては、残念ながらリアルタイムでは観ようもない。それでもソフトを出してくるだけ優遇されているのでしょう。
早いとこ力をつけて、全国展開できる長編を動かしてほしいです。あーでも、その頃には別の作品作っているんだろう。そうでなければいけないですから。
マツダ内部で初代ロードスターのレストアや部品供給に関する検討が始まったとか。実現すれば来年後半からビジネスラインに乗ってくるとか。
古き良き愛すべき車で言えば、初代エスクードのそれこそ1型だったら昭和の車ですよ。でも仮にスズキがこういうことをやるとなれば、やっぱりジムニーになっちゃうのでしょう。
でもでも、初代のジムニーのレストアはともかく、部品供給(一説によると今でも出てくるらしいが)にどれだけ企業アピール度があるか。それにメーカーがやらなくともすでにサードパーティーでそれができるのがジムニーですし。
思い切りひいき目で見てしまいますが、こういうことを何かの間違いでスズキがやるなら、エスクードでやってほしいしやる価値が・・・多少は、いや微塵くらい、ある・・・んじゃないかなと(微塵じゃやってくれねーってば)
聞いた話によれば、エスクードコンバーチブルに関して、それに乗っている人々以外でこの車を評価してくれているのって、実はロードスターユーザーに多かったりするそうですよ。
会津若松市と水戸市を結ぶ(この表記だと起点と終点が逆ですが)国道118号を須賀川市から乗り入れ南下し、棚倉町に入ったところに、その珈琲専門店は所在します。このあたりの118号を俗に石川街道と呼ぶ・・・と綴るのは、タイトルに関しての言い訳です。今頃の季節、街道を挟んだ向かいの農地は一面、満開のひまわりが風に揺れていますが、とにかく暑いので白いドアを開けて店内に逃げ込みます。
開店当時から知っていたわけではありません。なにしろこのお店は、ことし創業40年にもなりますから。自家焙煎によって浅めに煎られた豆から挽かれた珈琲は、湯を注がれる前からほんのりと甘い香りが立ち上り、あ・・・これは、と、添えていただいたミルクは加えずに飲み干してしまえる柔らかさが、僕にはありがたい。それで、もう一杯をお願いするのです。
40年前、勤めを辞してこの道に飛び込んでしまったご主人は、その焙煎技術の基礎知識を意外なところで学んでおりました。
「茨城県の茨城町、6号国道沿いに当時、あざみという喫茶店があって、うちに寄ってくれる陸送のドライバーが、自家焙煎するならそこに行って教えを乞えと助言してくれたのです」
ご主人はその喫茶店を訪ね、言われた通り教えを乞うたところ、
「正面から頼みごとをしてきたところが気に入った、とほめられました。客を装って味や技術を盗みに来る者が多かったのだそうです。そうして焙煎のあれこれを学ばせていただいたんですよ」
ご主人もまた、石川街道で県境を越え・・・越えると名称は茨城街道になっちゃうのですが・・・水戸を経て茨城町へと定期的に通ったのだとか。あざみ、という名の店はすでに無くなっていますが、6号沿いの茨城町ですから、つくばーど基地とはもう目と鼻の先のようなものです。いやいや、石川街道を漂流していて立ち寄る程度の僕など、この歴史には針でひっかくほどの縁もゆかりもないんですけど、そこはほら、街道で行き来するつながりがちょっとうれしくなるのです。
ところで僕は、ご主人にぜひともお目にかかりたくて、この店にやってきたのです。まあまさか、焙煎のお話でご主人が同じように茨城の店を訪ねた展開があったとは思いもよらなかったのですが、僕は焙煎のお話で訪ねたのではありませんでした。
「花塚山の、その後のお話をお聞かせ願えませんか」単刀直入に、僕もお尋ねしました。
そう。誰あろうこの珈琲館ポピーのご主人こそ、あの富士山遠望北限撮影に挑む人々のひとり、松本英一さんなのです。
シネコンに足を運ぶ気には全くなりませんが、東映スーパーヒーローイヤー企画として本日封切られる劇場版仮面ライダーゴーストには、おそらく慣例として次に登場するライダーが顔見世興行するはず。
なのですが、新しい仮面ライダーことEX‐AIDとやらは、せっかくの斬新デザイン(良いとは言ってないからね)をライダーの記号に呪縛されたことで、結局はキワモノインパクトを背負わねばならないようです。戦隊でもライダーでもないキャラクターを堂々と売りに出せないようなプロデューサーなど、もはや不要なのではないか。と何度も書いてきましたが、デザイナーもデザイナーだねこの造形は。
胸のプロテクターにゲーム機のようなボタンが付いているボキャブラリィの低さは、子供にわかりやすいつもりでそうしちゃったのでしょうけど、せめてボタンの形くらい「ワンダースワン」のものを持ってこないとダメだったんじゃないか(なんかもうよそのメーカーのゲーム機ボタンみたいなのさ)。そのよそのメーカーはすでにスマートフォンとインターネットを駆使した「これをやりたかった」ゲームアプリで世界を席巻してしまっている(良いとは思ってないけどね)時代で、ゲームマニアがハードかソフトかの力で変身する趣向をどうぶつけていくのか。
ちなみに、ゲームを扱ったものではありませんが、インターネット回線やコンピュータの回路、ソフトのプログラムに侵入し侵略する敵を、カウンタープログラム(と、謎のエージェント)で倒すという番組だったら過去に居ました。
ウルトラでも宇宙サイボーグでも鏡の戦士でも地底の巨人でもない新機軸を、世界観だけでなく造形としても作り出したという点で、撮影技法の良し悪しはともかく、当時の円谷プロダクションのほうが意欲的でした。
津波を経験してからというもの、夏の浜辺に遊びに出掛けることがなくなりました。少し昔の人は同じような体験を繰り返しながらも、南洋幻想という太平洋のかなたに対する一種の憧れを抱き続けたようですが、東日本大震災のダメージは、南海からやってきては日本を壊滅的危機に陥れる怪獣の比ではありませんでした。
ま、それ以前にここ数十年の茨城の海なんて、既得権をいいことに数十メートルおきに監視員が立ちふさがり、遊びに寄りたきゃ駐車料金払えと高飛車に言いやがるので、近寄りたくもないのですが。
しかし自らの生活習慣から海岸線をオミットしても、夏になると冒険譚のような企みやら行動には触りたがる性分だったのです。現在、それが遊びではなく仕事に追われての「遠出三昧」となってしまい、まったくとは言わないけど楽しくない。
少なくとも奇譚にはならないもん。でもせめて、空想は置いておくとしても自然科学的な見聞の時間くらいなんとかならんかなーと思うわけです。
「いやいや雷蔵さん。そういう時間が得られないからこそ空想科学の冒険譚でも読みながらイマジネーションで遊ぶもんでしょ」
知人にそのようにたしなめられ、先週読んでいたのが「海底軍艦」とか「十五少年漂流記」とかではなく「パンゲアの娘 KUNIE」。すいません、ただでさえ活字に埋もれた仕事のため、夏場は活字が頭に入らないのです。
だけど、何度か書き留めたことがありますがこの漫画は「夏休みの冒険譚」という点ではとても面白い。読み切りで笑い飛ばす「光画部の夏休み奇譚」とは異なり、連続ドラマで子供たちの夏休みと大人たちの地球が大変が二極で進んでいくジュブナイルなのです。ここにたぶん意図してのことと思われますが、南洋幻想も組み入れ、南の海のかなたの神秘と怖いものも内包している。たたみかけて五冊で終了してしまったことが実にもったいないけど、そのもどかしさもまた味わいなのです。
夜中ン百キロを走って目的地近くの道の駅にたどり着いて、まず一冊目を読んで、眠気を呼び込む。続きは寝落ちした後起きるまで・・・というあ~る田中一郎さんのような器用さはありませんが、五回に一回くらいはトロピカルな風景が睡眠中の脳髄のどこかで再現されます。
ところで夏休みの臨海学校的な展開がこの漫画にもあるのですが、臨海学校という催事に関するウィキペディアの公式・非公式行事解説が思わず笑っちゃう記述です。もちろん非公式のほうね。こんなセンスは大好きです。