何だね、その緊張感のかけらも見当たらない寝姿は。
最近流しの下がお気に入りらしくて、よくここで寝てます。涼しくはないと思うんだけどなー。寧ろ空気が通らないから暑いのでは?
それにしても。酔っ払いのおっさんか?
太陽の通り道である黄道と天の赤道の交わる春分点を基点として24等分し、黄経上の15度ごとの特定のポイントを太陽が通過する日に節気と中気(季節ごとの節目)を交互に配しているのが定気法という季節の暦。平たく24節気と言い習わし、この太陽黄経が百二十度になる7月23日あたりが、24節気で言う大暑とされています。が、たまにずれもありますが閏年だとおおむねどの年も1日早く巡ってきます。
幾ばくか得られるであろう夏季休暇(と思ったら今年は無いと言われ、有給消化しろときたもんだ)をどうするか考えたくなり、考えるわけですが・・・ 大体にして基地に居るのが一番の田舎リゾートじゃねーかと、まったく建設的な方向に向かおうとしません。
ということで、いくらかでも建設的な算段をしたいと。
天候が全く読めませんが、まあその頃になれば関東も梅雨明けしてるでしょうから、基地において暑気払いでもしようかと思います。
日時は7月31日。10時ごろから。基地で出せるものといえば家庭用電源利用の鉄板焼きとか焼きそばとかき氷程度ですが。食材はどうにでもなるので、道具類を提供していただける方も含めて参加者募ります。
マニアでしょ?と言われても否定する必要がないほど特撮番組も映画もアニメーションも好きな僕ですが、そういう人生にどこでどのように転落(おいおい)の一歩を踏んだかといえば、当然、受動的なファーストコンタクトでした。それが1964年の7月です。ピンポイントに19日ではなかったと思いますが、叔父が(後にウルトラを押し付けてくるあの叔父ね)彼の父親、つまり僕の祖父に言われて新潟地震のグラフ誌を町に一軒しかなかった本屋に買いに行かされ、そのとき貰った小遣いで一緒に買ってきた週刊少年キングなので、要因は19日にあるのです。
この少年キングに掲載されていたのが「サイボーグ009」の第1回目で、おそらくこの雑誌を偶然にも読んでしまったことが009との出会いを通した、SFとの邂逅です。他の連載はほとんど覚えていませんが、戦中派である親世代からの刷り込みによる「0戦はやと」は記憶にあります。
よもや。ね、それがスタートラインになって震災の直前に原作者の故郷である宮城県に転勤して、現在に至るウルトラ以上の長い年月、009を遠かったり近かったりの場所で読み続けるなどとは、幼稚園にも届いていない小僧に予感できるわけがありませんが、そうなってしまいました。この間、日本におけるSFの定義づけにもいろいろあったらしいですが、現実を超越して科学的にも空想できるあらゆるジャンルは、全部SFとして飲み込める資質を持ちえたような気がします。
しかしこれも肯定論で言うことですが、どんな人間に影響されるかで人生のある程度は塗りこめられているなあと、自分の叔父について思うのです。彼が「0戦はやと」や「少年忍者部隊月光」を読んでいなければ、我が家には少年キングが山積みになることもなかったのです。
でもって、珍しく定時で仕事を終えてパソコンを切り替えてみれば、完全新作・三部作のニュース。
もう勝手にやってください。な設定とデザインですが、こりゃもう同人誌レベルだねえ。
関東平野とはいえ山間部に秘匿されたつくばーど基地の春から夏は鳥と虫と獣の楽園です。震災以降個体数の増えた猪との農作物をめぐる攻防戦が夜毎に繰り返され、夜明け前から様々な蝉の声で起こされ、日中は今、繁殖期を迎えた鶯がもううるさいのなんので、日がな一日、
と思えば
なんだ? 雄が二個体いやがりますよ。片方はまだ鳴き慣れていないというか巣立って初めて鳴くのか? というかのへたくそなさえずり。しかしこいつらがまあ休むことなく
1日1000回さえずる。というのはあながち嘘ではありません。もう早いとこ伴侶を見つけて地鳴きに移行しなさいよー。
50年前の今日も日曜日でした。僕は「ウルトラQ」の怖くて不快な呪縛から解放され、日曜日は夕方になると「サンダーバード」のメカニックメカニックまたメカニックな迫力が楽しみ。しかし「Q」の大ファンだった当時まだ高校生でプロレスにも傾倒していた叔父は「マグマ大使」を見るぞとチャンネル権を譲らない。「マグマ」は月曜日の放送ですから僕の見たい番組とは被りませんが、マグマの造形がとにかくいやで、いかにロケット形態が出ようとも見せられるのが苦痛でした。
その叔父が、日曜日の夜7時から新番組を見る、つまり家族内のチャンネル権を占有するため、朝から家事手伝いを率先して引き受け、そのまた手伝いを有無を言わさず申し付けられたのが僕。概略は省きますがとばっちりです。
そうして夜7時。ニュースを見ないのかといぶかる祖父母(ったってまだ若い)を尻目に、まあだしに使われた形で叔父とともに「ウルトラ作戦第一号」を目にしたのでした。
サンダーバードの救助メカに比べると、なんだか嘘っぽいなーと感じながらもいきなり事故に巻き込まれて墜落炎上しちゃうパトロール機(名前なんか知らないもん)、捜索に出動する別の機体(なにしろ名前わかんないもん)、それが運んでくる潜航艇と(だって・・・しつこい)、これらの映像には食い入るように見入ってしまいました。が、後半はなんだか変な怪獣と、つるっとした変な宇宙人がプロレスを繰り広げてしまい、かなりがっかりしたというのが、今に残る記憶です。
その後数年にわたり、僕の周囲にはジェットビートルだとかウルトラホークだとかのプラモデルがずらっと並ぶのです。しかし考えてみてください。そんなものを幼稚園に通い小学校に上がるような年頃の坊主が作れるわけがない。二人の叔父や親父が面白がって買い求めてきては自分たちで作って、それを僕に与えていたのです。それでもがっちりと刷り込まれてしまったウルトラという記号は、その後の成長に大きな影を落としていくのでした。
そうなのです。この半世紀、ウルトラマンなどどうでもよくて、脇を固めるウルトラメカニックや、仮面ライダーそっちのけでサイクロンの雄姿や、それらが少しでもかっこよく演出されているシーンを心待ちにしてきたように思います。そんなシリーズが50年も続いているとは。そして聞くところによると、霙の大学にもウルトラをはじめとする特撮技術の研究を仕事としている中堅の教授がいらっしゃるとか。まさかですね、来年あたりその授業が履修されたりしたら、変な因果の糸車がこんがらがりそうです。