横長ではないので、これまで作ってきたタオルシリーズにはならないでしょう。
てことはやっぱりTシャツのバックプリントあたりですかね。
オーダーが枚数とサイズなど細かくなっていきますが、100枚越える要望があれば実行に移します。僕個人で家族分併せて20枚はほしいので、ボーダーラインまであと80。
サイズはMから5Lまでいけそうです。3月いっぱい受け付けます。現時点で単価は未定、生地の色はこれから選びますが、オーダー側からの色指定は不可です。残り79までなら、この話は無しです。
連絡は下記まで
薄々お気づきの方もいらっしゃると思われますが、ESCLEVサイトを先月下旬に移転いたしました。いよいよつくばーどの枝コンテンツに成り下がったようなURLですが、事務局は健在ですので、つくばーどは相も変わらず下請けであります。
旧サイトは近日抹消いたします。まあろくすっぽ更新もされていなかったところは大いに問題でしたが、ご愛顧いただきありがとうございました。引き続き開店休業化は避けられまい(避けろよ)という予感で先行き思いやられますが、あらためてよろしくお願い申し上げます。
しかしまあ、いまどきこれだけ進化の無いサイトも珍しいでしょ。アナログバリバリですよ。中身のリニューアルもやってないに等しいですよ。そこらじゅうリンク間違いなどが残っていると思いますが、夜中に朦朧としながら作業しているので、いずれ直っていくでしょう。もう小人さんに頼るしかないね。
そんなわけで、エスクード誕生三十周年だねえとか言ってたら、ESCLEVも立ち上げてから十五周年でした。立ち上げの頃はまだ個人ユーザーサイトが沢山あったんですよ。だから後発でやることが無かった(笑)
三代目エスクードが登場したときには、たぶんどこよりも早く情報を蓄積できて、当時はそこそこ役に立ったようですが、今度はSNSが台頭してきて個人サイトに代わる個人の情報発信が容易となり、こういうサイトはあっという間に埋もれております。
いやしかしね、個人サイトが廃れていった大まかな理由って、サイトマスターの趣味が変わったとか、自分でやらねばならない更新に飽きたとかで、これを裏返すと、誰でもいいからやってみろよとも独りごちしたいものもあります。
ESCLEVサイトに関しては、それでもたまに駆け込んでくださるエスクードユーザーさんがいらっしゃるので、webに反映されなくともなにかしらの活動は続けている状態です。ただ最近はユーザーさんの高齢化も進んでのことか「とにかく表紙が見にくい」「テキスト文字のオレンジ色は読みにくい」といった声をいただきましたので、そのあたりを手直ししているところです。
五月にはエスクード誕生三十周年企画ページも完成する予定です。M‐レイドは便宜上つくばーどのイベントとして展開していますが、その表彰式などを兼ねた記念イベントを五月二十六日から二十七日(メインは27日)にかけて、天狗の森で開催します。
昔と違って「いつ寝てるんだ?」状態は、もう体力的にかなりきついんですが、いまそんな感じです。
運転歴に関して妹に先行されている霰にとっては、単独行動では基地から半径5キロくらいしか移動することができないというお笑い種ながらかなり笑えねー状態で、クルマは買ってやってたもののオーディオレスですからさらに笑い事ではない懸念をはらんでいました。
「いつもいつも私がナビゲーターやってあげられるわけじゃないんですからね。民俗学やってきたんだから地方調査で地図の読み方くらいできるんでしょー?」
「地図は読めるがな、運転しながらページ見るなんて無理だい!」
まあそりゃそうかと聞き流していたら、家内がついにキレまして
いやあの・・・あんたの通勤車じゃないんだよ。
と言いたかったんですが、霰が帰省してくるまでの間、不具合の洗い出しやら慣らしを兼ねて家内が使うこともしばしば。で、とうとうナビケーションユニットを組み込まされてしまいました。
さて地図帳とは勝手が違うと思うんだけど、使いこなしてくれればいいのですが。
1995年の暮れからぼんやりやんわりと野望を温めていた(うそくさい)日がとうとうやってきました。1997年秋時点では、僕がエスクードで、娘らはオフロードバイクで遊びに出かけるイメージだったのですが、必ずしもそうはならず(笑)、しかし号令一下夜明け前に基地を飛び出しひとっ走り遊んで帰宅して朝飯にする。いやー親ばか以前になんと親思いなやつらでしょう。
親はもうずっと以前から馬鹿ですから、そんな境遇にぐれもせず反抗期も(たぶん伏せてくれつつ)経験せず能天気です。自分の車を車庫に残して付き合ってくれる家内にしても、よく呆れもせず合わせてくれるものです。
とはいえここまできたということは、いずれ彼女たちの独立が来ればそこで区切りがつくのも暮らしの行方です。
でも、座してそれを待ち受けるくらいなら、遊んでもらえるうちに遊んでおこう。
てなことを考えているのかって? そんなのいちいち逡巡するわけないじゃないですか。加速・追い越し・走行レーンに戻るタイミングの特訓ですよ。油断してると家内が煽り立ててきますよ。様々な間合いで流れに乗せる練習を朝っぱらからやらされている娘らです。
仙台から帰路の途上、霙から「晩ご飯、外(外食)です。お母さんと先に出ています」というメールが着信して、待ち合わせのお店に向かったのですが、この駐車の様子を見た他所の人々には、一家で飯食いに来ているようには見えないかもしれない。
残念ながら霰がいないのでオジロはないけれど、もし並んでいたらまた印象は変わるんでしょうねえ。
街道沿いのお店はかれこれ20年ほどの、地元でもそろそろ古株になってきた喫茶レストランで、昼は営業マン、夜は女子会といった客層。ラストオーダー時刻が比較的遅いのがありがたい。界隈では・・・そもそも近所にそんなに飲食店がない田舎ですから、遅くなったら外食はたいていここになる。慌てずに帰ってこられるので便利です。
ハンバーグ系と鶏肉料理とパスタ類は・・・全員おいしく食ってしまったので掲載できず(笑) シフォンケーキも美味しいです。
1958年の2月24日ですから、僕なんか生まれてもいないのでその登場自体が歴史ですが、この日、月光仮面のテレビ放送が始まったということで、60年の歩みを(今のところリメイクの話は聞きませんが)遂げております。
何がすごいかって、この人の正体は今尚「謎」のままなのです。私立探偵の祝十郎が彼なんでしょ? との極めて信憑性の高い推測もありますが、断定されてもいません。
黄金バットのような先例もありますが、あれはほんとに謎の超人で、月光仮面は何処の誰かが扮装する。最近だと忍風戦隊ハリケンジャーに正体を隠したシュリケンジャーが居ましたが、彼の場合もどちらかというと怪人二十面相に近い。
誰もがみんな知っているのに、誰だかわからない(ことになっている)というフォーマットは、細かい設定に雁字搦めにされた現代のキャラクターには無い、かえって想像力を働かせる魅力があります。サブキャラではなく主人公ですからなおさらです。今だと全国展開しているローカルヒーローの中には、中の人を悟らせてはならない配慮としての、この手のヒーローがいるかもしれません。
しかしこの扮装で現れるのには勇気と覚悟が要るでしょう。正義の心に鉄の意志が備わっていないとできません。あまり突っ込まれたこともなさそうですが、仮面なんか付けてないんですよ、実のところ。