Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

T ~tokimeku joshi~ J

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今回の福岡滞在をアシストしてくださった彼女を取り上げるにあたって、便宜上こちらで勝手に「TJさん」とお呼びすることにします。彼女もまた、ウエストウインに出入りするライダーかつ四駆乗りです。

って書くと島さんあたりはにやにやしながら

「なんば言っとるんばい。僕や後藤や川添なんかいつでん本名で書いてるんやけん、そんままでよかやなかやろか」

と言ってくる気がしますが、まあTJに乗っていらっしゃるのでそのままと言えばそのままの命名です。

直6の4リッターを手足のように扱います。福岡市内の交通混雑をすいすいとすり抜け、呼子や唐津の路地裏にもいとも容易く入っていきます。車を使わない日はカワサキのネイキッドな大型に乗っているそうです。

子育てを卒業してからしばらく経ち、四駆に乗りたいという昔からの願望を実現させたのがこのTJ。息子さんが推薦してくれたそうです。ご自身も子供のころから三菱のジープを運転したかったのだとか。

島さんが「彼女は才女とよ」←もういいよ博多弁コンバーター と紹介する通り、井戸端話題から福岡、佐賀の歴史文化ガイダンスまで丁寧に繰り広げます。前夜、日付が変わるまで宴会にお付き合いしてくださり、翌早朝、ウエストウインのミーティングが佳境になるまでのインターバルとして、呼子や唐津を案内に迎えに来てくださるというタフネスさも兼ね備えています。

福岡と呼子。驚くほどの距離ではないよ。でも彼女は最初に「阿蘇あたりまで行って帰ってくるくらいは時間的にできますよ」と言ったほどです。どちらもできなくはないけど、やってみればわかる。

そのような次第で、彼女推薦の佐賀行きは後日。

それにしても、名付けといていっぺんも使ってないじゃん。と突っ込みが入りそうなオチですが、そこはオチではない。彼女が2代目のジープ・ラングラーに乗っている、というところが絶妙だったのです。tasteful、tender、tough、tranquil・・・といろいろTの部分を考えたのです。それらではなかなかしっくり来ないので、日本語をローマ字化したのですが、TJ(2代目)だったからこれがまかり通るのです。

3代目だったらまずダメです。なんでかって・・・それはさぁ、書けねーよ。

イチゴのその後

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堪能しましたーっ!

二日に一度ペースで、4回程収穫出来ました。
家庭菜園レベルなら充分な収穫量でしょうね。
ナメゴンやアリンコとの攻防戦は仕方ない・・・
まぁマメに見てたせいもあって、今年は喰われた数は少なくて済みました。

そして既にランナーがゾロゾロ伸びてるんですが・・・
それを全部育てたら庭がイチゴ畑になってしまう(爆)

スズキエスクードミーティングinウエストウイン

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暑いながらも海からの風が程よく届いていた週末。スズキ自販福岡の車両提供による試乗展示会と、チーム・ウエストウインが保有する2台のダートトライアル用エスクードの展示を軸に、スズキエスクードミーティングが開かれました。三代目エスクードから四代目へと乗り換えのための商談に訪れる人、イグニスの試乗に来店される人、四代目エスクードを試乗する人などなど、ウエストウインの日常の延長といえばそのままです。

実際のミーティングは夜になってからの焼鳥屋での宴会ですが、ここのミーティングはなんといってもダートラ用エスクードの今年度のモデファイ作戦会議と、後藤、川添両選手によるお互いのドラテクの検証がメインです。それをこの場で書いちゃうと手の内を明かしてしまうことになるので割愛。それでもエスクード誕生30周年用の素材は充分に確保できました。5年ぶりの福岡はとにかく面白かった。腰も限界に来ましたけど。

それから、ESCLEV のスポーツタオルの最終在庫を、商談に来られたエスクードユーザーさんと、このブログのファンだと応援してくださる方、四代目を購入されたユーザーさんに超限定で進呈したのですが、島社長をはじめ多くの方々から

「いいなー。また作らないの? 作るんでしょ? 作ってーっ」

という要望をいただいてしまいましたよ。どうしようね。作るのであれば色を変えることになると思われますが、新色仕様ほしい人がどれくらいいるかです。オーダーが百本を超えるなら考えてみますか。

Team WESTWIN Warriors#108

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チームウエストウインのレースを最初に観戦したのが十年前のことで、その頃すでに最初のエスクードは現役を退いていたのですが、非凡な才能と簡単に言ってしまうのは失礼なほど速く、快活な青年たちと出会いました。

実は僕は、島雄司監督やエスクードとお目にかかるよりも先に、後藤誠司君と川添哲朗くん、そしてウエストウインのチームメイトと邂逅しているのです。

このチームでエスクードを操ってくれたら、ダカールラリーともパイクスピークヒルクライムとも異なる、しかしすぐ手に届く近しいところで強靭なレースが実現するのではないか? もっと言えば、それら二つの星に次ぐ第三の超新星爆発を起こせる!(かもしれない)

その要望に彼らは応えてくれ、女性チーム編成の耐久レースやディーゼルエスクードの投入を経ながら、現在のダブルスーパーエスクード体制を構築していきます。

そして五年前のこと、遅まきながら僕は彼らの本拠を訪ねることとなりました。この間、二度ほど彼らのレースを観戦していますが、交流の大半はオンラインでした。それが仙台と福岡の現実的な距離です。

やー、五年も費やしちゃったのかよー。と後悔先に立たずの今回の訪問です。でもこの五年間、彼らは最強のチームであるこことをずっと護り続けてくれていまして、鼻が高いわ臍がかゆいわの福岡です。

今日、ウエストウインのミーティングにお越しいただけるすべての人々に、自信をもって自慢と紹介のできるチームです。

で、こんな忘れたころの訪問なので「そんなこと言ってるあんたは誰ね」って言われるかもしれないので、そこはご勘弁ください。

 

ではちょっくら行ってきます

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夕方までにはウエストウインにたどり着く予定です。

明日のブログはお留守番記事となります。

てなわけで搭乗待ちですが、キャノピーなかなか開かないんだよなー。

いい事あるかな?

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色も変わってるのよね。

通りすがりのお宅の入口。
パッと見ただけでも4つか5つはあるんだわ、四つ葉。
さすがに取りませんでしたけど(笑)

何かいい事あるかしらん♪

敵を欺く影、影、影!

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宮古で仕事が早めに終わって時計を見たらば、仙台のレイトショーに何とか間に合うということで、「破裏拳ポリマー」を観ようとひとっ走りしましたですよ。冒険活劇だけに冒険しちゃって、東北じゃ仙台の1館でしかやっていないのですよ。いやしかしあんなの(笑)に約2時間もの尺で映画作るとは。と驚きですが、2時間あればまあまあ見せ場がちゃんと確保できるものだなあとちょっと感心。それでもポリマーのあれとかそれとかこれを描ききる余裕はなかったようです。

でも、ドラマの仕立てはそこそこ面白かった。格闘をやる人の目から見た場合、破裏拳の形であるとか組み手の良し悪しがどうとかあるのだと思いますが、まあいいんじゃないかなと思えました。ただやっぱりこのスーツがかっこわるい。正面から見るとどんぐり頭なポリメットもかっこわるいのでした。

変わらない味わい

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僕がスズキエスクードの最初の1台に乗り始めた年に開店したレストラン。それ以前はラーメン屋で、学生の頃は自転車で通い、免許をとってからはジムニーで出かけていたのですが、レストランに転向したらトロピカルな内装に模様替えされ面食らったのは昔話です。

先日そこを通りかかったらまだ看板もそのままに営業している。もう15年以上遠ざかっていただけにこれもびっくりで、立ち寄りました。

ランチの内容は変わらず・・・さすがに経営は大変のようで、トロピカル感は薄れ営業時間も15時で閉めてしまうとのことですが、なによりうれしいのは内容だけでなく味も変わっていなかったことでしょう。街なかで行きつけだった店は9割がた無くなっていますから、勝手ながら懐かしい思いも募ります。

ジムニー時代(の最後)に家内とデートで出かけていたお店でもあります。その頃の家内と同じ年頃になった霙の運転でここへ来ることになろうとは・・・

 

天気わるぅ。

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寝るわ寝るわ・・・

「お日様出てこない。寒いから寝るzzz」

とばかりに、朝からこの調子。
缶々もカリカリも用意してお皿に出したのに降りてきやしない。

寝っぱなしの婆にゃずに対し、じゃらしのポンポンで爆走するチビにゃず。
お願いします。たっぷり中身入りの水皿だけは蹴り倒さないで下さい・・・

ビギニングの時代

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アトムザ・ビギニングのコミックスやテレビアニメーションを見ていてふと気になった。この物語は「いつの話なのか?」。ドラマの骨子は「鉄腕アトムの誕生前史」なので、アトムが誕生した2003年よりも過去のお話だとは承知しているのですが、どのくらい遡るのか筆算したら、なんと1980年代半ばでした。いやそれすごいわ、その当時だと筑波の工業技術院(今の産業技術総合研究所)でも、自律型で自立型の2足歩行人型ロボットはまだ形になっていなかったはず。

ホンダのASIMOの前身となるEシリーズはその頃すでに開発着手していたようですが、公式に世に出たのは96年のE2から。それだってA10‐6と比較したら足元にも及ばないレベル。なるほど天馬午太郎とお茶の水博志だけでなく、練馬大学の学生たちは半端じゃない天才なのです。特に天馬くん、この作品では飛び級を5年分重ねて大学院生というただものじゃない設定。彼は1966年生まれだそうですから、お茶の水くんなんか僕と同世代だったのかと二重にびっくりです。