バーミヤンって、日頃それほど出かけて行く店ではなかったので、たまたま立ち寄って出くわした「アイルーなチャーハン」を頼んだら、店員さんに何となく「くすっ」とされたような気がしたのは、こういう盛り付けだったからか。しかしこのレンゲは何個かほしいなあと思ったけれど、11日でキャンペーン終了だとか。
さすがに二杯目は食えんし、チャーハンのはしごもなあ・・・
ステーキガストでも「骨ピック」がもらえたらしいけど、それはちょっと食指が働かなかった。
TETSUJIN勢の協力を賜り、ぷらすBLUEの足回りに組まれているコイル(ロードウイン)を別のコイルと入れ替えました。ロードウインは青影さんに進呈し、青影さんが持ってきてくれたとあるメーカーのコイルとコンバートです。箱にはエスクードTD01W用、1.5(インチ)UPとあります。ロードウインと同じ巻数ですが、鋼材の径は0.5ミリ細めです。が、問題発生。僕の椎間板が悲鳴を上げており、右大腿部まで痛みが広がり使い物になりません。AMGさんが用意してくれたエアコンプレッサーも持ち上げられない。もうはっきり言って邪魔。
言い訳をすると、前日まで基地の敷地に生い茂ってきた草木を刈払い機で除去し、駐車スペースや調理場確保をやってました。基地全体を草刈りするのに3日かかるんです。これで消耗(なさけねー)
数値で言うと、車高は下がりました。5ミリくらい。車体が軽いせいでしょう、ノマド用アップコイルなので、見た目には下がった事実はわかりません。ただしショックが伸びきるとコイルが遊びそうです。まあ霙はクロカンやらないから問題ないでしょう。
この作業の間、SPFYOさんが武蔵野うどんをゆで上げ、s.Doさんが飲み物とかき揚げを調達してくれ、TA01Wさんがハモのちくわを差し入れてくれ、こし亀さんがお茶菓子を持ち寄ってくれて昼飯の準備。ここまででTETSUJINの面子紹介も何気に完了です。我が家からは当日朝に作りたての柏餅を提供。甘さ控えめの餡でしたが塩辛めのつけうどんのあとにはちょうどいいコンビネーション。夕方、黄砂で薄暗くなるまでにはすべての作業を無事に終えました。
TETSUJINの撤収後、霙に運転させて隣町まで給油に試走。もちろんTETSUJINの試走も行われていますが彼女には一切説明せず。
「あー、なんか乗り心地がふんわりになりましたねー。今通過した道路の継ぎ目のとこなんか、どかんとぶつかってた感じだったけど、ぽよんと乗り越えましたよ」
TETSUJINの方々、お世話になりました。乗り手はきちんと理解してます。
ところで、今回組み付け部品確認のために久しぶりにサービスマニュアルを開きましたが、うちにあるのは88年5月版。前期型TA01系ならこれで充分で、というよりこれより古いのを持っている人はいないというよりありえません。こし亀さんもマニュアルを持ってきてくれて、どれくらい新しいか?と比べてみたら、彼の蔵書も同じ版でしたよ。
そんなわけで、ぷらすBLUEは上げた車高はそのまま、乗り味普通のエスクードとなりました(家内は・・・実はちょっと不服そうです←お前が異常だ)
僕は昔から「ポッド」と呼んでいますが、多くの人には「コンテナ」とした方が馴染みがあると思われます。これこそがウルトラ警備隊にマグマライザーを配備させ、搬送能力としてウルトラホーク3号をあてがうこととなった元祖。エレベーターカー(高速エレベーターカー)は最初に搬送された救助ツール。1号車から無線操縦される2号車以降合計4台が格納されています。3号車が不調の末アクシデントで大破し、急きょ4号車を繰り出す展開がリアルさを演出していました。
ところがですよ。玩具ではちゃんと3台収まっていたからスケール的な疑問を持たずに過ごしていたのですが、この搬出シーンを見ると、車両としてはかなり大きい。こんなのほんとに4台も搭載できるのか? ポッドの鉛直方向、左右に立てかけでもしないと格納しきれないような気がします(Thunderbird are Goではポッド内で組み立て式の超小型になってましたが)。先駆者がこうなんですから、マグマライザーとホーク3号のことはもう不問にしちゃってもいいでしょうねえ。
つくばーどサイトのコンテンツに、可能な限り飛行機と船舶類を除外したビークル博物館を開設していますが、さらにその枝コンテンツにあたる「仮面ライダーの専用マシン」というコーナーで、ようやく昭和ライダー分で欠けていたVマシーンを掲載することとなりました。このコーナーの最初の掲載が2001年4月のサイクロンからでしたので、16年もかかりましたよ。
しかし実は、Vマシーンについてはジャンク品をもとに、ハーレーダビッドソンのパーツを寄せ集めてレストアを行うつもりだったのです。で、この作業が遅々として進まないうちに、フィギュア物としてリリースされてしまったのは痛恨事でした。などと言いながらまあ加えてしまうんですが。
ところでこの商品が届くよりも早く、販売元から謝罪メールが入りました。
なんでも、同梱されている仮面ライダースーパー1の武装であるエレキハンドの「右手のスイッチの色分けに塗りミスがあったので、あとで修正品を送る」とか。
いや、何を言われているのかわかんなかったです(腕側の基部の小さなボタンの赤と黄色を塗り違えたとか)。クレームが入ったんでしょうか。調べに調べてどういう塗りミスかようやくわかったけど、そんなのこっちで塗りなおしてあげるし。そもそも使わないし・・・
さてこのライダーマシンの欄も、ここまできてもまだコンプリートには至らない、何台かのバイクがあります。ドラグサンザーとダークレイダーは生理的に受け付けないので放置していますが、それでもあと3、4台不足。いつになればそれらが埋まっていくのか、定かではありません。
そんな折、メカコレクションでのシリーズ化が始まるとか。こっちはどうなるのか。全車種揃えるなんてことが実現するなら大したものですが。
スーパースージー100号が届きました。いつもの1.5倍増しページにデモカー、ユーザーカー100台以上のジムニーと、ホープスターが所狭しと載っています。実際はジムニーの冠を付加してからの通巻で、スーパースージーという冊子に遡れば171号なのですが、それを言ったら「以前はジムニー・エスクード専門誌って名乗ってたじゃんかよっ」と愚痴一つもつぶやきたくなる時代の趨勢です。レースページの常連、ウエストウインすらエスクードはW不参戦の報です。
所狭しの中で肩身の狭いエスクードは、ふーんだ、今のジムニーには成しえなかった業績をエスクードは残したんだい(子供か俺は)と、TD01W・ノマドをカウンターアタックとして掲載しております。ノマドサイズ、ノマドスペックこそ、次期ジムニーの小型車版に求められているニーズと考えると、ジムニー・カリビアン(ロングサイズの小型車)が国内で販売されていなかったことは、ジムニーの歴史の上では唯一の空白。まさしく自社内ニッチをやってのけたのがノマドでした。
せめてノマドだってこんなにかっこよかったのだよ。というスチルを選んだのですが、なんとしたことか「室内の写真がねーよ」と大慌てで、締め切り直前に風花さんにメールを入れて「室内だけのまちゃん」を使わせてもらっております。
いずれにせよ、大部分ジムニー雑誌の中のわずか1ページです。肩身が狭い以前に薄い影も消えているだろうなと思っていたら、毎回投稿していらっしゃる読者の方が、おそらく初めて、エスクードのページ(前号)について触れておられました。
←前号は、若葉マークで20数年前の幌エスクードに乗り始めた霙に「お前は今のところ世界最年少のエスクード乗りなのだ。なんか書け」と命じてカフェで撮影したり買い物風景撮ったりしたものです。99号の記事を読んでいただき、別の回にて霙がコメントしている80号まで遡って読み合わせていただけているのは、この連載ページの担当としては何よりうれしいことでした。あっ、100号はたぶん、まだ書店に並んでおりません。9日の火曜日発売の予定です。
仕事ですから来いと言われれば行かねばならないので、暦から連休は一コマ消えます。でも連休ですから交通量の多いこと。月曜日には鶴岡まで出ていましたけど、さすが平日よねと思うくらい閑散としていた同じ道路が見事な行楽日和でした。
夏スキーもできる月山です。街道から外れれば許可なしでは進めない以前に道がまだ埋もれたままだよどうすんだよ。という瀬戸際まで、いったい何の仕事に行ってるんだというのは企業秘密です。
なんだかんだで再発しつつある椎間板ヘルニアをなだめながら仕事をこなして、寒河江に戻ったら絶対に混雑してるよなあとまたもや鶴岡に降りて行ったのは、まあ空腹で早く昼飯が食えるのはどっちか?という誘惑に負けての話。しかし当てがあるわけも無く、ずいぶんシャッターが下りている風景を一昨日見ていることを思い出して半分後悔。
それでもありがたいことに暖簾を出しているお店を見つけることができて、ええもう何が出てきたって文句なんか言いませんよと無礼千万なことを考えていたら、「昨日」採ってきたての山菜の天ぷらと買ってきたばかり(失礼)のはまちの刺身と、写真に写りきらなかったけれど具のたっぷりと入ったなめこ汁。山形っていろんなものが美味しい。日曜日に菖蒲のパーキングエリアで食った定食がひどいものだっただけに、仇を討っていただけた思いです。