新月サンに おーこーらーれーるーーーーー
初夏に館山で買った枇杷。
食べ終わった種を蒔きました。
・・・って。
何ヶ月経ってから出るのよ芽っ!
蒔いた事すら忘れてたわ・・・
水平線や上空に雲のない月の出。満月だから大潮とも重なりますが、できれば凪いだ宵の口に巡り合えれば、38万キロの彼方から光の道が届きます。
得てしてこういう時に限ってカメラを持っていなくて、慌ててケータイで撮るしかない(先月の満月)のですが、最近のスマートフォンならもっときれいに撮れるでしょう。今夜あたり月齢が15になるはず。あったかい格好して波打ち際をめざしたくなる天候だとよいのですが・・・
聞くところによると今回の満月は久しぶりのスーパームーンだそうで、耳にした話では地球との距離が35万キロくらいに近づいているとか。写真は日曜日の16時過ぎに厚木の246号から眺めた月の出です。まあ充分満月。満月だからこのあといろんなことが起きましたよ。
恒点観測員340号の後ろ姿と思われるこれは、須賀川市の松明通りに昨年3月ごろ現れたらしいです。
別名ウルトラセブンと呼ばれていますが、実はこの名前が本名なのか、地球人によって付けられた通り名なのか、今まで誰も語ってくれていないのです。1967年に初登場したときには、目撃した地球人から「何ですかあれは? あれは何ですか!」と言われていたのに次の回で、ウルトラ警備隊のアンヌ隊員からもう何の疑いもなく「ウルトラセブン頑張って!」と応援されているので、その間の経緯がうやむやになっています。
まあ恒点観測員340号の名前がどうであるかを語り出したら、「初代のウルトラマン」だって本名じゃなくて科学特捜隊のハヤタ隊員が付けたもの・・・とキリが無くなるのでここまでなんですが、それはともかく、松明通りの彼が恒点観測員340号だとするなら、東北道の阿武隈サービスエリア上り線にいる彼はいったい誰なのか?
そんなことを気にしてどうすんだよな話ですが、松明通りには珍しくゾフィー(これはウルトラマンがそう呼んでいるから間違いなく本名)がいるのだから、松明通りにいる方がウルトラ兄弟のはず。だとすれば、それこそゾフィーに匹敵する立ち位置ということで、彼はセブン上司なのではないかと・・・
昨年の車検時にも下回りにアンダーコートは塗っていましたが、1年経つとこんなもん、というくらい融雪剤の影響が出ています。今年はアンダーコートをやめてハードワックスを塗装します。本来なら浸透性の防錆剤も車体パネルの内側から全体的に注入してやりたいところですが、部分的には「これもうやっても効果ないでしょ」という哀しい現実も目視確認。「効果なくてもやってよ」のオーダーです。
施工後・・・あまり見てくれの変化はありません。黒いのと銀色とに塗り分けはできてます。どれくらい効果が出るかですが、やっとかないよりはましでしょう。あとはタイヤ(まだ好感していない)なんだけれど、これは2シーズン目でまだ使用に耐えるものの、夏物よりサイズの小さなことが災いして、低速度域でリアがバタバタするのが問題。あれならシーズン中スパイクタイヤ履かせっぱなしでもいいよなあと思うけど、粉塵だの騒音だので禁止だというのが今もって解せません。
沖縄在住のマミポコさんが所有するTA01Wは、それ自体が現役で使われている貴重な個体であると同時に、偶然にもBLUEらすかると同じマイアミブルーメタリックⅡという車体色で、たまに久米島あたりに渡ったりもしますが(もちろんフェリーでだよ)、ほぼ沖縄本島のみで30万キロを走り続けているとんでもないとてつもないエスクードです。
最近、塗装に及ぶ修理を行ったついでに、6年ほど前に進呈したミニカー(既に10年以上前に絶版)にも塗装を施しました。
考えてみたら沖縄は北緯26度あたりの島。マイアミとは緯度にして1度の差なのです。ニライカナイの空と海はの色は、限りなくマイアミに近いブルー。BLUEらすかる以上に空色のクルマと、同じ色のミニチェアというコンビネーションは実に羨ましい。
気仙沼市にはいくつかの離島があり、その最たるものが大島。約3000人が住む、東北地方にある最大の島で、本土とはわずか300~400mしか離れていませんが、定期便のフェリーでなければ行き来ができないところです。
年間延べ約60万人越え8万台を運ぶ大島汽船は明治39年の創業だそうですが、定期便に乗れるのはあと2年程度。本土と島を結ぶ橋が架けられるためです。
汽船の役目は終わるものの、観光船は残るという話で、気仙沼湾の湾というか入り江というかの風景を海から眺めることは続けられるようです。今、湾ではその大島架橋となる「鶴亀大橋」の組み立てが進んでいて、大きなアーチを観ることができます。が、これも今のうちの風景で、来年の3月には橋の架かる場所に曳航され据え付けられてしまいます。橋と道路はさらに次の年の開通予定だとか。
気仙沼の湾にはさらに、この橋よりも巨大な横断橋がそのあとに姿を現すことになります。三陸沿岸道路のルートが、なぜか気仙沼のあたりだけ海を渡すからです。汽船からの眺めはどんどん移ろい変わっていく。本土側の津波被災地もずいぶん変わりました。今しか見られない風景と思い出かけてみたのですが、小さなフェリーで車を載せるのが予約制だとまでは知らなかったよ。人間だけ海を渡ってきました。
レッツゴー4WDは時折、ちょっと古い世代の四駆を「ネオクラシック」と称する。このちょっと古いというのがなかなか難しい。西暦2000年のこっち側にいるモデルは、この企画にはまだ早い気がするし、2代目までのエクストレイルや5型あたりのJB23をネオクラシックと言っちゃうのは乗ってる人たちに悪いような括り。ましてやハリアーの30型を今だから乗りたい名車に選択するのかと思うと、時代の変遷を感じずにいられません。でもそれらは見開きで構成されている。
同企画の最後のページに、我らがエスクードもグランドチェロキーと同居の2分の1ページだけのっけっているわけですが、こっちはこっちでなんだかもう、ネオなんて冠をつけてもらいたくない気分です。それじゃあエスクードの世代がクラシックなのかというと、そう簡単にはいかない四駆の黎明期から80年代あたりにかけての質実剛健な車体骨格とは一線を画して・・・いや画されてしまいます。この程度の扱いなら、最初から外してくれた方が潔い。そうでないならもちっと厚遇してくださいな。です。
翻って同じタイミングで唐突に、なぜかGOOUTが80年代に輝いていた四駆とSUVの狭間という記事を載せていて、四駆から乗用車に歩み寄っていったモデルと乗用車が四駆っぽく着飾った事例を比較し、RVブームの方向性を決めて行ったテラノ、Mu、エスクードを取り上げています。まあその、これも回帰的な話題なのかもしれませんが、今だと乗りたくても簡単には手に入らない。といって30年後にこの手のクルマが回帰してくるかというと、それもないでしょう。
とすれば、今これに乗っていられる人々は、こうした企画の範疇においては幸福なのだと言ってもいいでしょう。石の上にも30年弱ってところですかねえ。