昨年の10月下旬に入れたら山間部の降雪は割と早かったので、この冬は役に立ったのです。なによりアルミホイール付き4本で2万円という破格ですから、1シーズン使えれば充分に働いたと言えるでしょう。
しかしなー、15000キロでこうなるかよ、ジオランダーiT/S。ブリザックDM‐V1もこうなったけど、まともに走っていなくても3シーズンは使っていたのですよ。
15000キロを半年足らずで走るのがいけないのか? いやしかし、DM‐V1だって同じ使い方していたもの。
昨年の10月下旬に入れたら山間部の降雪は割と早かったので、この冬は役に立ったのです。なによりアルミホイール付き4本で2万円という破格ですから、1シーズン使えれば充分に働いたと言えるでしょう。
しかしなー、15000キロでこうなるかよ、ジオランダーiT/S。ブリザックDM‐V1もこうなったけど、まともに走っていなくても3シーズンは使っていたのですよ。
15000キロを半年足らずで走るのがいけないのか? いやしかし、DM‐V1だって同じ使い方していたもの。
まさかね、とは思いましたがエンジンオイルが漏れて落ちているんです。確か58年式のインペリアルをベースとしたレプリカですから、東北道を走りぬいてきたらオイル漏れは必至でしょう。なんかもうそのリアルさに立ち尽くすばかりです。このポインターは公道を走れるのです。車検も11月まであります。
千葉県の城井康史さんが91年ごろから制作したこの車体は、スクラップとして廃棄されてしまったオリジナルのポインターを限りなく当時のものに再現したというエピソードで有名です。と、この個体を決めつけちゃって書いていますが、そういった説明書きは何もなし。たぶん間違いないと思います。
成田亨展に花を添える形でゲスト展示されているのですが、青森県立美術館の表なんだか裏なんだかわからない無機質な建物(でもここって入り口横)に、こうもそっけなく置いてあるところが逆にそれっぽいです。
しかしですよ。
成田亨展の本質と、ゲスト展示であるこれは、分けて捉えなければならないと思います。これを客寄せ材料にするのは双方にとって失礼なことです。まあ他ならない青森県立美術館がそれをわかってないのね。
「後のシリーズで良いものができないのは、それがデザイナーの仕事だからだ。美術家とデザイナーは向いている方向が異なる」
成田亨さんは90年代にウルトラの造形について持論を展開していました。芸術としての発想か、産業のための仕事か。という違いが明確にあって、美術家の生みの苦しみは生半可なものではなく、安易にウルトラマンに角など付けたりしない。と・・・
それはごもっともなれど、成田さんご自身もウルトラマンの形を仕上げていくプロセスでは、幾ばくかの迎合を余儀なくされたのではないかと思わされます。
だって、そうでなかったら、初代ウルトラマンがその後半世紀近く不偏の姿で居続けられるだけの、視聴者の受け入れは無かったと感じるのです。それくらい、美術家としての成田さんの作風は癖が強い。「突撃ヒューマン」と「ザラブ星人」なんて、ほぼ一緒の顔立ちですよ。ヒューマンがヒーローであったというのは、かなり異例のことだと。
いや、僕は「突撃ヒューマン」けっこう好きで見てましたけど。
しかしあれだけの数の原画が一堂に会すると、もう毒気に当てられた気分になります。全体の1割程度のメカニックの図版を逃げ場にしてしまいます。本質的に成田美術は苦手なのだわ。
そんな中でしばらく見とれていたのは、油絵で描かれた「波間のMJ」。うねりの中を突き進む、洋上の万能戦艦マイティジャックですが、船体よりもそのうねりの波の迫力がものすごい。その隣にあった「ピブリダーの帰還」も、夕映えの中から飛んでくる小型戦闘機の立体感と構図は、アニメ屋さんにはできない画だなあと感じます。
そのくせ、同じMJシリーズのアクリル画はちっとも面白くない。なぜってそれは、あまりにも商業的な絵だからなのです。
てなわけでこの企画展。混雑していないときに観ないとだめだなあ。もっともどんな展覧会もそうなんですけど。あとは、やっぱり成田さんに精通している学芸員さん(どれだけいるのやら見当つかない)を配置してくれないと、問い合わせても何も答えられないガイドじゃ話になりません。
「そんな車には乗りませんっ」
ものは試しに話をすれば取りつく島もない以前の鼻もひっかけてもらえないありさま。いやいや、いずれ霙が免許取るでしょ? というところへたどり着けません。
「どうせその手のに乗るんだったら、こういうのを探してきなさい」
と、家内は不敵に笑うのですが、あなた5MT乗れるくせにめんどくさがって触ろうともしないじゃん。だいたい4ATものなんてあるわけが・・・
と思ったら88年式で9万キロちょっとの4ATが、なんだって隣町に出ているわけ?
しかしまあこれは、それこそさわらぬ神に祟りなしだろな。
中期型までの現行エスクードは、言うまでもありませんがスペアタイヤをリアハッチに背負っていました。これが廃止される経緯は諸説あるものの、今さらそこを議論しても仕方がありません。ただ、諸説俗説の中「後方視界を妨げる」というものについては、タイヤの上の方が見えているから強く否定もできないのですが「ほんとにそうか?」とも言っておきたいところです。
見えているスペアタイヤがどれほど後方視界をスポイルしていたかというと、実はたいしたことはありません。それよりもDピラーのこの肉厚な内装の方が、外からはわからない後方視界の抑制となっているのです。
ピラーの話も初期インプレッションには出ていたと思いますが、なぜスペアタイヤばかりが槍玉に挙がったのかは解せぬ話です。
三代目の真面目さは、スペアタイヤを歴代同様純正規格で載せていた点で、スペースを取らないテンパータイヤを潔しとしなかったことです。それはこの重量を持ち基本性能の高い四駆であったからですが、床下にスペアタイヤを吊り下げできない構造も災いしました。まあ苦肉の策の設計なのです。そのしわ寄せがスペアタイヤという安全装備に向けられたことは、不運。おそらく後方視界は劇的に変化していません。
昨年のタレかつ丼・・・と昨日書いてみて、夜会のことは触れたものの、そのタレかつ丼については流していたんだっけ。と、昨年の記事「その日から45年」を読み直して気がつきました。
などと書き出していて、最初に出てくるのがタレかつ丼ではなくて洋風カツ丼なんです。「新潟行ったらイタリアンだろうっ」とも言われそうですが、実はそこはまだ介入していません。新潟ファーストコンタクトは、単独でふらっと立ち寄った長岡の武屋の洋風カツ丼でした。
大体にして無謀なのは、洋風カツ丼がどんなものかも知らない状態で、いきなり武屋にたどり着くという当てずっぽうさ。おおよそ「ふらっと立ち寄れる」ようなところには所在していません。その上「洋風」とうたっているわけなので、思わず、どこが丼なんだ! と言いかけてしまう未熟者っぷりです。サラダ、マカロニとワンプレートなのかと油断させておいて、その下にまでご飯がよそられているうえ、厚切りのカツを隠すようにマッシュルームをこれでもかというほど入れ込んだデミグラソースには良い意味で唖然としましたです。
その後連れて行ってもらった新潟市のかねこで出会った、ここでようやくタレかつ丼ですが、品書きを見ていて「三段とかチャレンジとかったなにそれ?」と聞いたら、たれの効いたヒレカツがご飯の中に積層され、チャレンジに至っては五層におよぶ1キロものだという。「無理だそんなの。普通ので」と頼んだらば、普通のも二層。さらにお通しというより箸休めの冷奴が側面から攻めてくるのです。いやー・・・若いうちに来ておくべきだったよと、後悔しながらも食うだけは食うのですが。
しかし考えてみたら、新井(現・妙高)のたちばなのとん汁だって、ある意味とんでもない盛りだったわけです。新潟おそるべし。米どころだからご飯も「さあ食え」の勢いだもの。
で、「次回は海鮮行きましょう」とおいたマンさんに薦めていただいているわけですが、これ、某所で拝見した、アルバイトさんのために用意されていた賄。
なんだこりゃ。東京に比べれば時給は低いそうですが、なに贅沢言ってんだとつぶやいちゃいますよ。
新潟うらやまし。掘り起こせばまだまだ出てくるんでしょうね。